亡き母の思い出
亡き母の思い出
それはバブルが弾けた煽りで私と会社が自己破産した後の事でした。私は家族と別居して、母は姉夫婦の元で暮らすようになっていました。
自己破産をすると速やかに不動産は換金処分をすることになっていたのですが、バブル崩壊で不動産は全く売れませんでした。
会社は別荘を持っていました。会社が順調な時は忙しくて、私も社員も別荘を利用していませんでした。皮肉にも、私は自己破産をしてから別荘を利用する様になったのです。
姉夫婦と母と私の4人で別荘に行きました。広い池が有り、大きな鯉が10匹ほど泳いでいました。地下水をポンプが汲み上げ大岩の上から流れ落ちる仕掛けになっていました。庭を鑑賞していると優雅な気分を味わえました。
何度目かの利用で別荘に行くと、鯉が死にかけていました。阪神大震災の影響で、ポンプが止まり、池は僅かの深い場所に少しだけ水を残して干上がっていました。私は鯉と自分の心境をダブらせていました。慌てて造園屋を手配しました。良く覚えていないのですが、おそらく近くの家で造園屋の連絡方法を訊き、社長と値段交渉をしたのだと思います。
しばらくして来たのは青年でした。そして池を見て言いました。
「ポンプは交換すれば動くようになると思います。しかし、池に穴が開いているから水が無いのです。それを直すのが先決です」
そう言って青年は池に入り、掃除を始めました。池は広く、渕は水草や藻が茂っていました。底には枯葉と泥が溜まっていました。それ等を丁寧に取り除いて行きました。私達は汚れるのが嫌で見ているだけでした。青年は汚れるのをいとわず1人で清掃を終えました。
「おそらくここが水漏れの原因です。他には無いようです」と言って速乾セメントで補修をしました。その後ポンプの交換に移り、しばらくして水が岩の上から落ちる様になりました。私達は拍手をしました。青年は水が溜まるのを待ちました。
「大丈夫の様ですね」
青年がそう言ったので、私は取り決めていた金額を払いました。その金額は覚えていません。しかし、その後母が言った言葉は鮮明に覚えています。
「これは貴方に払う分です。よくして貰ったからね」
そう言って1万円を青年に渡したのです。
青年が帰った後、姉の旦那さんが母に咎めるように言った。
「何で余計なことをするんだ。決めた金額を払ったんだから、それ以上払う必要はない」
そして付け加えた。
「自己破産した身で、何ええ格好してるんだ」
その時母が凛として言った言葉が<なあ~んや>だった。
「そうじゃないやろ。向こうの社長はこんな苦労をした事は分かっていない。それを分かっている者が払って上げないでどうすんだ。こんな時こそ人を大切にしないといけないやろ」
母は戦後、貧乏生活しか経験していない。足を痛めてからは勤めに出た事も無い。戦前には使用人を使っていたそうだが、30年以上も前の話だ。母の生き様を見た感じだった。




