学園闘争の疑問
学園闘争の疑問
夜間学部の鉄パイプを持った3人の内、1人を私は知っていました。同じアパートに住んでいた住人だったのです。アパート内では誰とも挨拶もしない気味の悪い青年でした。私は同じ大学の学生である事も知りませんでした。
襲撃事件の時初めて鉄パイプを持っている2部の学生と意識しました。この事件の数か月後アパートは全焼しました。彼が火炎瓶を製造中に誤って爆破させてしまったのです。彼が逮捕されたニュースは聞きませんでした。当時赤軍派は泳がされていたので、逮捕されなかったと思います。
私は田舎から母を呼び寄せ、一緒に暮らす為、近くに引っ越した後だった為、火事に巻き込まれず無事でした。
襲撃事件の後、暴力集団は増々破壊活動をエスカレートして校舎の窓ガラスを割って歩くなどの暴挙を繰り返すようになりました。
前回記事に戻ります。彼らが鉄パイプと角材を持って私達を襲ってきた時、もしバリケードをしていなかったらどうなっていたでしょうか?
現実は私達はバリケードをして、彼らはバリケード越しに角材を頭めがけて振り下ろしてきたのです。私達は暴力反対の立場だったので、素手で角材を受け止め、頭を防いでいたのです。バリケードを守っている数人の頭から血が出ていました。死人が出なかったのが不思議な状況でした。私も耳元をかすった角材がもし10CM横にずれていたら、死んでいたと思います。ここまで書いて来て、大きな疑問が生まれました。
暴力集団は殺人事件になる事を予想していなかったのだろうか?
そして角材の数は誰が指示をしたのか?
私達は角材を用意していませんでした。頭や手を血だらけにしながら、相手から角材を奪ったのです。しかし彼らは未だ角材を持っていました。つまり、角材は初めから奪われる分まで用意していたことになります。結果的に両者の人数分の数量になっているのです。
全国各地の大学で角材のチャンバラごっこの写真が新聞に出ていましたが、仕組まれた<内ゲバ>写真ではないでしょうか?他所の事は分かりませんが、私達の写真はそうとしか考えられません。
再度、香港に戻ります。街を破壊する集団が現れたのと、警察が暴力的になったのと同日だったと思います。誰かが指示をしていないと説明が着きません。指示は全員にする必要はありません。SNSの発信の様なものです。もっともらしい嘘を誰かが発信すると、それを信じた誰かがリツィートして拡散していくのに似ています。香港の事件と照合しながら、私達の学園闘争を振り返ってみましょう。
警官隊が取り囲む中、角材を持ってわずか5分だけチャンバラごっこをした写真が撮られ、<内ゲバ>と新聞に載りました。結果として、私達の勉学条件改善の交渉は潰され、その後、本物の全学連の運動は活動できなくなっていくのです。
偽物の全学連は<大学解体>を叫んでいました。早口で何か難しい熟語を連ねていますが、それが<なあ~んや>です。結局、することは<大学生にもなって、大学の校舎の窓ガラスを壊して回る>という幼稚な事だったのです。私は昼に働き、夜は卒業する為に勉学に集中したので、学園闘争のその後を詳しく知らない。卒業してからは尚知らない。
しかし、50年以上も前の出来事が香港のニュースと重なります。過激集団と警察の乱闘が拡大しています。これを口実に、本物の自由と民主主義を守る運動が確実に潰されています。
(2019年11月2日追記)




