ごめんな
ごめんな
私は記憶力が弱い。人によっては2歳の頃の事を鮮明に覚えている。私は10才の頃の事を余り覚えていない。しかし、鮮明に覚えていることも沢山ある。
鮮明に覚えている言葉に「ごめんな」がある。それは母が私に残した最後の言葉です。私が姉夫婦宅に母の見舞いに行った時の事です。母は私を見るなり「ごめんな」と言ったのです。
「何で定にごめんなやね。言うんなら私にやろ」と姉が言った。
しんどそうな母に次の言葉は無かった。母はもう口を開ける元気も無かった。私はその日は自宅に帰ったのであるが、次の日に呼び出され、母と同時に病院に向かったが、私が遅れて着いた時には母は既に息をしていなかった。
さて、この時の「ごめんな」は謎なのだ。私には心当たりがある。それを理解するには過去に戻らないといけない。
私の記憶は田舎で親子3人暮らしだった頃から始まる。父が死んだ後、高校卒業するまで母と2人暮らしだった。卒業後、大阪に勤め、会社の寮で暮らした。未だ夜学生の頃、寮を出て母を大阪に呼び寄せ2人で暮らした。結婚した後、長家の隣に呼び寄せ、付かず離れずの生活をした。
妻が子供を連れて別居した後、小学2年の次男が帰って来た。母は次男のお母さん代わりになり、急に忙しい生活をする様になった。そして脳血栓で倒れて半身不随になり入院した。退院後は姉夫婦と暮らすようになった。
その後、窮乏の生活を脱し、会社は別荘を持ち、会社宣伝の為、映画を製作するまで隆盛を極めた。そしてバブルが弾け、手形パクリに遭遇し、自己破産するまでになった。私は仕事の話は母にはしていないので、母は隣に住み、近くで感じていただけである。
母は言った。
「又、元気になって登れるよ。その時まで生きててやるよ」
母は95才まで生きた。しかし、私は未だあの頃の隆盛時代に戻れていない。母は「その時まで生きててやるよ」の約束を覚えていて、約束が守れないでごめんなと言ったのだと思う。




