中国ワイン
中国ワイン
私は神戸で土地を買ったのだが、70年続いた食料品店が売主であった。有限会社の老舗の旗を降ろさないで欲しいとの社長の頼みに了解を与えた。米と酒とタバコと食料品を扱っていた。
私はビルを新築して、酒店を営業した。有限会社江南慕情に社名を変更し、<江南慕情>は商標登録した。A社長の紹介の夫婦を雇って出向させた。親会社が破産した時、夫婦は独断で商品を卸し会社に返品し、現金を持って退散していた。私と親会社は12月に破産したが、子会社を残すべく、私は翌年1月7日1人子会社に出社した。
有限会社江南慕情は親会社より5000万円借り入れをし、親会社の所有するビルに入居していた。ビルは競売に出される運命であるが、営業は続けられる。ビルが競売で落ちれば出るか、家賃交渉をして続けるかすれば良いと思われた。
初日、ガランとして商品の無い店内を観察する所から始めた。次に名刺入れや帳簿類を調べ、仕入先を調べた。私と妻の2人が共同代表者になっていたが、2人とも子会社の運営に一切タッチしていなかったので全く酒店の事は解らなかった。そのうち親会社の方が落ち着いて余裕が出来たら、江南慕情の銘柄のワインか酒を販売する事を研究しようと頭の片隅に置いていた程度であった。破産時に私は代表者から外れて、妻を単独代表者にしておいた。
名刺を頼りに卸し会社の社長に会いに行った。
「150万円の支払いが出来ていません」社長が言った。
店の閉鎖時の処理の事は不明だったけれども私は言った。
「150万円は必ず支払いますので、その為にも商品を入れて下さい」と頼んだ。
社長は暫らく考えた後、「自動販売機は必ず売れるのでその分だけ入れてあげます」と言った。
同様に日本たばこ産業にも「自動販売機の分だけ」納品を頼んだ。 納品は毎日ある。そして納品時に現金で支払うのだ。幸いに初日の分は自動販売機に入っていた。私は1週間、自動販売機の観察を続けた。タバコと酒で毎日1万円の利益があった。向かいと近くにパチンコ屋が在り、2つの店の休みはずれていたので客は1週間通してコンスタントに自動販売機を利用していた。酒もタバコも良く売れていて毎日3回入れ足す必要があった。
そこで私は一週間後、自動販売機入れ足し用の商品在庫を店内に並べる事にした。そして店を開けたのだ。最初に店内に入った客は目を丸くして「これだけ?」と訊いた。それでも自動販売機の中と同じ商品を買って帰った。
私は毎日数百円しか使わなかった。そして毎日1万円分ずつ商品を増やして行った。そして10日目に勝負に出た。現金払いを小切手払いにして貰える様頼んだ。すると15万円分の支払いが1日ずれるのだ。その15万円分を商品に換えた。店内の商品も売れるので、金、土、日曜日の分は大量に発注した。小切手は月曜日まで落ちないのだ。こうして1ヶ月で店内は商品で1杯になった。毎日2時過ぎに小銭をかき集めて銀行まで商店街を100Mばかり必死に走った。1ヶ月で私は商店街で目立つ存在になっていた。商品が店内1杯になると、もう小切手が不渡りになる心配は無くなった。
次に力を入れたのは店内の飾り付けだった。ポスターカラーと筆とカラー画用紙を買って来て書きまくった。商業デザイナー志望者の腕の見せ所だった。酒の空き箱を束ねて特売用の台を作った。卸会社の社長に頼んで特売用のワインを入れてもらい、それを売りまくった。
やっと余裕が出来たので、初めて他の売れている酒屋を見学に行った。何と!缶ビールが10円安いのだ。私は知らずに冬に冷やし賃を10円取って売っていたのだ。冬に辞めて行った社員は早くからやる気を失くしていた事が判った。又、ヘネシーが9000円だった。我が店では14000円で売っていた。
先日、スナックのママが買いに来て「うちは9000円で納品して貰っているけど、客が来ているのに切れていて、急ぐのでここで買います」と言った。
「うちは14000円でないと売れない」と言って買って貰ったが少し恥ずかしかった。それでお返しのつもりでスナックに飲みに行った。3000円取られた。
歌には自信があった。するとその後、近くのスナックのママが次々にヘネシーを買いに来た。私をナンバーワン歌手として取り合っているのだ。ビルの3階が住居になっており、私は独身生活である。遊ぶ余裕も出来ている。しかし、そろそろ家に金を持って帰らないといけない。私がそう考えている頃、妻は酒屋を売り飛ばす準備をしていた。その事を私は知らなかった。
私が3ヶ月目にした事は飛躍の準備だった。私は加古川市に支店を出す許可願いを出し、その許可が降りたのだ。卸会社の社長は資金は全面的に出すと約束してくれた。次に中国のビールとワインを仕入れた。ビールはもう1つだったが、青島ワインは美味かった。味は1000円クラスだが、ネームバリューが無い為、400円の売り価格だった。私はこのワインを特売で売りまくった。
私はこれを江南慕情の銘柄で売り出すことをイメージして、法的な事等の研究は後にして、先ずどこまで売り上げが伸びるか実験してみようと考えた。
この頃、私はたった1人で店を開けていたにもかかわらず、卸会社の配下の小売店で売り上げナンバーワンになっていたらしい。
<なあ~んや、俺は酒屋の経営も出来るんや>と思った頃、経営コンサルタントが私を追い出す為にやって来た。
「この会社は売却されたので出て行って下さい」
私は、会社の代表者を妻にしていた。妻は、長女の立命館大学の入学金欲しさに、会社を売り飛ばしたのだ。私は電話で妻と口論した。私は子会社を守る為に必死になっていた為、単身赴任状態であり、連絡もしていなかった。しかし、それ以来口も利かなくなった。
商店会から数人訪ねて来て役員になる事を頼まれた。訳を話して断ったが、訳が判らないのは私の方だった。卸会社の社長にも訳を話して謝った。商品を再度引取って貰った。商品は150万円になり、借金は帳簿上消えた。実際は1度開包した物は商品価値は落ちている。社長は私の努力に免じて相殺してくれた。その上で送別会をして貰い「たった3ヶ月でナンバーワン店に迄売り上げを上げた手腕は素晴らしい。本当に惜しかったな」と言って頂いた。




