中国ロケ隊出発
中国ロケ隊出発
天安門事件は1989年5月1日のメーデーから始まった。私は中国経済視察団のメンバーとして中国1週間の旅を終え、帰国の為バスで上海空港に向かっていた。中国人の添乗員が日本語で「メーデーで混み合っているので迂回します」とマイクで伝えた。
日本に着いてテレビを見ると、中国で何かが起きていた。メーデーに集まった群衆はその後解散せずに天安門事件へと発展するのであった。
翌年の1990年5月1日に私たちロケ隊は中国に向かった。私は映画を撮るのに浮かれており、天安門事件の事等忘れていた。しかし中国側から見ると、天安門事件1周年に撮影部隊がカメラを持って乗り込んでくるのだ。警戒して余りある。
私達は観光団として中国に乗り込んだ。業務用カメラは分解し、家庭用カメラと強弁し、スタッフの機材はキャストの皆さんにも少しずつ持ち物に加えてもらって運んだ。中国で直談判に失敗すれば、本当の観光団として旅行する覚悟だった。視察団の団長が例年、観光団の団長だった為、今までの実績がありチェックが甘かったので助かった。税関は無事通過した。
上海空港には南京より出迎えの使者が来ていた。南京行きの列車の中で、出迎えの要人と団長と私は重い会話をしていた。
「撮影の許可は降りていない。ファックスは見たのか?」
「見ている。しかし日本ではキャンセル出来ないから来た。南京市長と直接交渉する」
「撮影は無理だ。今晩の夕食会には副市長が出ます。しかしそんな話はしてはいけない」
私は同席してそんなやり取りを聞いていた。その間、何も知らない撮影隊は列車シーンの撮影を開始していたのだが、その事は私も後で知ったのであった。ファックスの件は私と団長しか知らなかった。皆に心配をかけないように誰にも伝えていなかったのだ。
「なあ~んや、撮影してたの?」




