遅刻
遅刻
私の自信の源に「自分は奥手」だと信じる事がある。
私の遅刻癖は前述した程度のものではない。小学校の写生ではその時間内に描けず、必ずと言っていい程、泣きながら徹夜して描いて、次の日に持って行った。
家が貧乏だった事もあるが、私は母に買ってくれとよう言わなかった。その為、笛もハーモニカも、そろばんも持たずに授業をした。
どんどん皆に遅れて2ヶ月程経ってから仕方無く買ってもらったのだが、既に手遅れで、授業に着いて行けなかった。
小学校の徒競走では最後から1,2位を競っていた。
高校の入試は合格していたが、私は中学を卒業したら漫画家になるつもりでいたので、入学式にも行かず、先も分からず闇雲に漫画を描いていた。送られてきた入学案内には、<入学式を欠席された方は入学辞退とします>と書いてあったからだ。ところが田舎の為、入学式から1週間後、中学と高校の先生が入れ替わり立ち代り自宅まで進学を勧めに来て、結局、初登校は入学式から10日目の事だった。私の人生を代表する遅刻歴であったが、私にとっては第一回目の進路変更と言う挫折でもあったのです。
大学の入試発表の日は会社で働いていた。会社を休んで掲示板を見に行くあつかましさは無かったので、後日職員室に訊きに言った。幸い合格していたが、もしも落ちていたらどんなリアクションをしていただろうと思うと今でもゾッとする。就職した会社の厚意で夜学に通ったのである。卒論が間に合わず、会社の後輩に手伝ってもらって仕上げた。大学闘争も有り授業日数が減った。<単位が足りない>と卒業後も悪夢にうなされた。まるで落ちこぼれ人生である。
しかし、私は現在、絵に自信を持っている。作詞、作曲も出来る様になった。高校3年の体育祭当日は陸上部が大会の為不在ではあったが、400m走ではトップで走って高校の最後の年を飾った。
映画の脚本、監督も手がけた。主題歌の作詞作曲も、そして2億円もかけて自主製作をした。
少し年をとったのでコートには出られないが、<硬式テニス新打法>と言う、打ち方の本も出版した。
今度は作詞作曲だけでなく自分で歌ってレコーディングしたくて、歌の練習も我流でやっている。
「なあ~んや、少し遅刻するだけなんや」