バブル崩壊
バブル崩壊
1990年4月1日橋本大蔵大臣が銀行貸付金の総量規制を発令した。不動産融資が膨れ上がり、不動産価格の暴騰が止まらず、大蔵行政の拙さを追求されたためだ。しかし、この決定は歴史に残る悪政であった。
スピードの出すぎた車のスピードを落とすのに道を爆破するようなものであった。銀行は1億人総不動産屋といわれるほどあらゆる分野の個人、法人に不動産融資を行っていた。大蔵省は銀行に再三融資を控えるように通達を出したが、一向に効果が出ない。そこで前年度の融資残高を上回った銀行の銀行資格を剥奪すると発令したのだ
全ての銀行が4月1日時点で前年12月末の実績を超えていた。銀行は一斉に回収にかかった。回収する為には担保物件を売らないといけない。売る為には、買う者がいないと売買は成立しない。又買う者に融資する者がいないと売買は成立しない。回収が至上命令の銀行は融資をしない。
こうして2~3年間不動産売買は不成立のまま膠着状態が続いた後、倒産が続出した。倒産したのは不動産会社だけではない。前述のように銀行はあらゆる業界にも不動産を購入する資金を貸し付けていた。倒産は業界を問わなかった。そして3~4年して不動産は急速に下がり始め、都心部などでは10分の1位に下がった。
私は4月1日のテレビのニュースを聞いて凍りついた。悪循環を断ち切る術を見つける事無く、この日を迎えた。
<これで不動産は止まった。もう金利も払えない。映画代金も捻出できない>と私は思った。
しかし、映画は会社の宣伝の為にしようとしている。既に<素人の自主製作映画>の記事が何紙かの新聞で紹介されている。何よりもスタッフやキャストと既に契約をしている。余談ではあるがこの時契約書は一切交わしていない。この業界の習慣なのだろうか。その代わり、その都度の前払いを口頭で取り決めていた。唯一契約書を交わしたのはヒロインの所属事務所とだけであった。
細部の事はともかく、今更止めるわけにはいかない。
「よし、やれるところまでやろう」と決意した。
しかし、こんな内情を誰にも話さなかったので、取り巻きの人達は陰りのあることを気付かなかった。
「なあ~んや、そんな事思ってたんか」は翌年の事である。




