映画ロケ突入
映画ロケ突入
妻の先輩の御主人がN映画関係者だった。クリスマス・パーティの後、私が映画を作りたい旨が、妻を通して伝わった。
<あらすじを送ってくれると見積もりする>との返事が来た。
私はその日の内にあらすじを書き上げてファックスで送った。前日には全く考えてもいなかったあらすじだ。N映画関係者が動いたと意識して、突然頭が動き出したのだった。
翌年初出社で見た郵便物の中には年賀状の束と共に返事が入った封書があった。
「内容がプライベートなのでN映画では扱えない。3億円の予算があれば子会社を紹介します。又、600万円で実行シナリオを請け負います」との事だった。
よし、シナリオを自分で書けば600万円儲けたのと同じだ。
私はF氏に声をかけた。
「2億円の予算で映画を作る。中国ロケだがやれますか」
「可能ですが、この業界はスケジュールは1年前から決まります。遅くとも3ヶ月前までに手配しないと良い人材は集まりません。又2ヶ月前を過ぎるとキャンセルは効きません」と教えられた。
私は具体的な打ち合わせに入った。そのなかでF氏と交渉して、監督は私、F氏は演出・編集の役割と決めました。F氏が簡単に監督業の肩書を譲った訳ではありません。しかし、F氏もレーザーディスク制作の時に私がシナリオを書いた事、監督業の真似ごとをした事を評価してくれていたからです。
私はクリスマス・パーティでの宣言の翌年、初出社の日から社長机で、シナリオ書きしかしなかった。
ホテルを借りてオーディションを開いた。ヒロインは決まったがヒ-ローは該当者なしだった。これより前、あるプロ歌手と内密に面接した。芸能プロの社長は私の前作2曲とこの映画主題歌を歌って毎日宣伝してあげるから、彼をヒーローに使ってくれとPRした。しかし歌手本人の迫力が全く感じられなかった。
私には断った理由がもう1つあった。もし映画が失敗すれば歌手の将来まで消してしまうと考えたのです。
後日、「プロの業界には入れない」との理由で断りました。それから1年後、映画も無事完成させた後の事である。その歌手は大ヒット曲を飛ばした。もし彼にヒーロー役を頼んでいたらどんな展開になっていただろうと思う。
実際は後日、S氏が推薦した俳優志願者で決まった。
実は私が歌手を断った時、映画が失敗をするかもしれないと言う不安を持っていました。おぼろげにバブル崩壊の末路のシナリオも浮かんでいたのでした。
シナリオ原稿は1990年4月6日にF氏に渡した。F氏はパラパラとシナリオを見るなり言った。
「あかん、桜のシ-ンがある。大阪城の桜はもう散っている」
大慌てで桜を追いかけると、吉野が満開になった所だった。取り敢えず4月10日、京都府の美山町まで桜を追いかけ、桜のシーンからクランクインした。
「なあ~んや、クランクインする前からもう遅刻するところやった」
桜は映画のクライマックスになるサクラハウスのシーンと結ぶ重要な役割を持っていたが、桜の咲く季節の事を忘れていたのだ。
それと言うのも、私にとっては大変大きなニュースが飛び込んでいたからだ。




