無錫旅情
無錫旅情
私は大阪府中小企業家同友会の会員になっていて、経営の勉強をしたり、経営者同志の交流を深めていました。その会の中にある日中経済交流研究会と言う部会のメンバーになっていました。
毎年1回中国江蘇省に8日間の視察に行っていました。何度目かの訪中の時<無錫旅情>を聴いた。1日中移動中のバスの中で流れているのだ。1週間の旅の殆ど毎日聴いた。視察団一行は誰もが口ずさむ事が出来るほどになって日本に帰った。すると<ゆうせん>で無錫旅情が流れて来る。
「へ~、本当に流行っているのだ」と私は思った。
後で<想い出模様>を中国語バージョンで歌ったIさんに裏話を聞いた。
I氏が無錫市の要人から「日本人を沢山太湖に観光で来て貰うにはどうすれば良いか」と相談を受けた。
「日本ではご当地ソングを作っている」とI氏が応えた所、直ぐに話がまとまり仲を取りもったとの事だった。それで産まれたのが
<無錫旅情>だったとの事。そして日中共同で歌を流行らせたそうだ。
「なあ~んや、中国では日本人の乗ったバスの中だけで流れていたのだ。殆んどの中国人は聞いたことも無かったのだ」
私は中国ロケで映画を作ると決めた時、I氏の話が頭に浮かんだ。無錫旅情に対抗する映画主題歌を作ってやろう。
素人がプロに挑戦状を出した気分であった。




