レーザーディスク
レーザーディスク
レコード会社からレーザーディスクを共同で作らないかとオファーが来た時、即座に了解を与えながら考えた。
それまで見てきたプロの作品が、余りにも歌と画面が合っていない。おそらく当時は、急速にカラオケ映像の品揃えが必要であったからと思われる。
そんな業界事情に無縁な私は、歌詞と画面を一致させたシナリオを書き、映画監督と打ち合わせをして、出演者をカタログから選んだ。
F氏は映画監督が本職である。映画製作の仕事がテレビ制作に取られ、レーザーディスク映像の制作もしている。このF氏も当時のカラオケ映像の制作ラインからはみ出していた。
私はF氏の後から撮影に色々注文を付けた。意見が食い違うところは論争になった。「想い出模様」の映像を完成させた時、1つの芸術作品が誕生したと思った。
後日、監督が譲らなかった画面を見て、彼の能力の奥深さを感じた。この時既に映画製作を予感した。
<カラオケの画面が完璧の4分なら25倍すれば映画になる>と確信したのである。
<ランナー>では徹底して制作を楽しんだ。社員や歌手、友人たちを多く画面に登場させた。こうして出来たレーザーディスクを配ったり、スナックに持ち込んで歌って遊んでいたが、これも長くは続かなかった。だんだんとジュークボックス化して、持込みして使用する事が出来なくなった。楽しみは又も大きな時代の力で潰された。
「第3作は映画にしよう」
Sさんが提案した。私は即座に同意した。続けてSさんは言った。「日本で撮影した位では誰も驚かないから海外ロケにしよう」
「よし、中国ロケにする」と私は言ったものの、未だどうしたら作ることが出来るか、幾ら位かかるものか想像も出来なかった。
しかし、<やると決めたことはやる>
私は250人近く集めて行ったクリスマス・パーティで宣言した。
この頃、人を集めるのは簡単だと思っていた。
<なあ~んや、これが俺の性格か>と私は思った。
1989年の事である。中国では天安門事件が起こっていたのだが、私達はレーザーディスク遊びで浮かれていた為、全く見過ごしていました。




