同窓会
同窓会
時間のかかった「なあ~んや」は同窓会にもあった。我が高校の同窓会があったのは、卒業から26年後の事である。それまで一部のグループでは、らしきものを開いていた様だが、正式に卒業生全員に呼びかけたのは、担任の先生が校長になり、そして定年を迎えた年に初めてであった。
一人、地元組の会社社長が皆から嫌われていた。酒癖が悪く、懐かしいフォークダンスをした時も酔っ払っていた。どの女子も年をとっていたが、絶対に彼には近づかなかった。彼の周りだけオクラホマミキサーの輪が崩れるのです。仕方なく彼は輪から抜け出たのでした。その彼が最も親しいと近づいた相手が私だった。
同窓会終了後、私をスナックに誘った。そこでぐでんぐでんになりながら彼はおもしろい話をした。
「わしは社長やけど、会社では何もしとらん。みんなかみさんがしとるねん。わしはどこに行っても厄介者や。おふくろが死ぬとき、わしとかみさんを枕元に呼んで言うたんや。最後の力でかみさんの手握りながら『息子はアホやで頼むわな』やって。それ以来、わし、かみさんには頭上がれへんねん」
私は笑いをこらえた。彼は泣いていた。思い返せば小学生の頃、彼はガキ大将で、私はいじめの対象だった。昔のいじめは最近のいじめ程陰湿ではなかった。それでも私は弱虫で、彼にいじめられるので学校に行くのが嫌だった。甘やかされて育ったボンボンを慰めながら「なあ~んや」と思った。
高校の同窓会では「なあ~んや」の付録が有った。
小学生の四年生になるまでは、学校に行くのが嫌だった。それが原因かどうかは判らないが、高校を卒業するまで私の遅刻癖は治らなかった。落ちこぼれの目立たない存在だった。ところが同窓会での会食中言われた事が「なあ~んや」だった。周りの者が口を揃えて「お前は学校で目立っていたなぁ」と言うので、何故かと訊くと、「お前はいつも遅刻して来た。普通の者はその時限が終わるのを待って入って来るのに、お前はいつも堂々と時間中に入って来とった」と言うのだ。私は何時もビクビクしながら小さくなって教室に入っていたのに、他人が思うことは違っているのだ。