出産
出産
私の遅刻癖は年季が入っている。遅刻を遅刻と思わない所だ。出産の日が近づき、病院のパンフを読み、持参する物を準備しておいた。これは妻がした事で、私がした事は病院が朝9時に始まり、夜間は費用が高くつくと認識したことだ。陣痛は深夜0時に始まった。私は夜間は高くつくので朝まで我慢をしてくれといって、夜どうし妻を抱きかかえていた。そして朝9時に着くように20分前に自転車の荷台に座布団を敷いて妻を乗せて出発した。病院に着くと、用意した物の中にバスタオルが無いと言われた。バスタオルが要るとどこに書いてあるのだと口論したが、そんな場合ではない。私は全速力で往復した。
バスタオルは必要で無かった。既に長女を出産して、病院のバスタオルを使用していたからだ。深夜料金もタクシー代も節約して最も短時間出産であった。
<なあ~んや、出産って簡単なもんや>と私は思いました。しかし、これは立派な遅刻であった。妻は私に任せていたら大変なことになると思ったに違いない。その思いは、その後も繰り返す遅刻の中で、消えない沈殿物となって行ったと思う。
長女が言葉を憶えたての頃、風船が破裂するのを見て、「フーセンがビックリした」と名言を発した。そのうち、この沈殿物もビックリするのである。
3年後の長男の出産は福井市の実家の方で行った。安全を見て早くから長女を連れて行き、出産後も1ヶ月程帰って来なかった。約3ヶ月の間、1度も見に行くことも電話を掛けることもしなかった。付き添いのお母さんと2人の子供を連れて大阪に戻った妻に、冷たい男だとこっぴどく叱られた。これも遅刻の変形であった。




