骨折
骨折
私は小学4年の秋に右手首を骨折した。その経験は老年の現在までの人生で大きなウェイトを占めている。
小学校は山の麓に位置していた。山から学校の近くを谷川が下っていた。そこには休み時間にも行って遊ぶ事が出来た。私の記憶では一方が3Mくらいの石垣で、他方が2M位の石垣、底は一枚岩で5センチ位の深さで水が流れていた。そこを高い方から低い方へ跳ぼうと言う無謀な挑戦をした。水平距離は約2米だが、高低差が約1米有るので、幅跳びでは飛べなくても1米下がる間に前に進むはずだというものであった。
クラス1番のスポーツマンが成功した。私は弱虫だったが4年生になると身体も大きくなり、負けん気が育っていた。彼に続いて成功した。それで止めれば良かったのだが、再び挑戦した。成功したと喜んだその瞬間、足元がすべり一枚岩の底へ落ちた。
骨折医の先生は「手首の骨は2本あって、1本なら1ヶ月だが、君の場合は2本共折れているので3ヶ月かかる」と言った。
ところが、全治まで3年もかかってしまったのだ。
家に見舞いに来たクラスメイトが、雨が降り出したので家に飛び込んで来て、私のギブスの手にぶつかったのだ。私は痛いのを3日間我慢した。私の無謀な行為で金を使わせてしまったので、我慢して、骨折医院には2度と行かないと決めていた。ところが余りにも痛いので結局医院に行くことになった。
骨は2本共外れており、外れたまま引っ付きかかっていた。それを元に戻すのには一度目の時より時間もかかり、数倍も痛みを伴った。
私は始めての骨折だったので、骨折の痛みはこんなものなんだと思って辛抱していた。ギブスは太くて、骨が外れていても目ではわからなかった。<なあ~んや、次から注意しよう>と思ったものです。
さて、骨折を機に「なあ~んや」は少し変化します。右手を骨折した私が先ずしなければならない事は、<右手でしていた事を左手でする>でした。
それは不思議な経験でした。箸を持つ、ボールを投げる等は7割位の精度で1週間で出来る様になりました。次いで字を書くとか、こま回しとか必要度の低い事とか、少し時間が掛かる事が出来る様になりました。<必要は発明の母>と言いますが必要は右利きを左利きにもするのです。
<なあ~んや、必要になれば出来るんや>と思ったものです。
ところが、この話には事後談があります。右手が使えるようになれば、私は両手使いが出来ると内心自慢していたのですが、右手で字が書けるようになった直後に、それまで右手同様に書ける様になっていた左手は、全く書けなくなってしまいました。右手でボールが投げられるようになったのはそれから半年程後になりますが、右手の最長距離まで投げられた左手が、右手が投げられる距離に反比例して投げられなくなりました。
<なあ~んや、右手に送っていた信号を左手に送っていただけなんや>




