夢を持つ事の困難な時代に 「なあ~んや」人生が闊歩する。
「なあ~んや、死ぬってこう言う事やったんか」
私は息を引取る時に、きっとこう思って死ぬのではないだろうか。
振り返ってみて、私の人生は「なあ~んや」が多かった様に思う。
中国で映画を撮った日本人
第2部 なあ~んや
天安門事件の1年後の1990年、上海から南京を舞台に映画を撮った日本人がいた。これはその人物の「なあ~んや」語録です。
夢を持つ事の困難な時代に
「なあ~んや」人生が闊歩する。
はじめに
「なあ~んや、死ぬってこう言う事やったんか」
私は息を引取る時に、きっとこう思って死ぬのではないだろうか。
振り返ってみて、私の人生は「なあ~んや」が多かった様に思う。
と言っても、今年3月22日に65歳になったばかりで、まだ年老いた訳ではない。少し遡る3月11日に東日本大震災をテレビで見て、多くの命が夢半ばで消えて行くのに凍りついた。私は40代までに色々夢見た事を、今も捨てずに持ち続けています。夢を持つ事は大切と思う。しかし、何時予期せぬ災害で命が消えるかも知れない。勿論この命題は昔から変わってはいないが、兎に角私は今、強くその事を意識したのです。そして、今出来ることは、今しなければならないと思ったのです。それが「なあ~んや」を書く動機です。
面白、可笑しく、また、あることに到達した時、「なあ~んや」と思った事を取り敢えず書き留めて、夢を持って生きている同時代の人々に発信して置くことにしたのです。
夢を持ち続ける事の困難なこの時代に、「なあ~んや」をお届けします。
2011年4月に思う。
私には夢がある。こんなところで死んでたまるか。