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【番外編3】元婚約者の矜持

番外編の最終話です。

学園の庭園の片隅にあるベンチ。

そこは、少し背の高い植栽に囲まれていて、四季折々の花が咲き乱れる場所。

暫くここで気持ちを落ち着けようと思って、アリスはベンチにカバンを置いて、その横に座る。


周囲の桜は満開。

風が吹くとサラサラとピンク色の花弁が流れ落ちており、とても綺麗だ。


ディランの婚約者だった頃、傷付いたり疲れたりしたときは、よくここに来ていた事を思い出す。

でもいつからかクララに話すことがルーティンとなり、この場所から足は遠のいたが。

アリスが深呼吸したところで、不意に、木陰からディランが姿を現した。


「久しぶりだね、アリス」

「ディラン樣」

「会いたかったよ。君はよくここに来ていたから、いつか会えるかもしれないと思って、時々ここに来ていたんだ」


顔を強張らせるアリス。

ろくに言葉を交わしたこともなかったのに、この人は何故それを知っているんだろう。


「どうして知っているのか、と顔に書いてあるね。君のことなら、割となんでも知ってるよ」


金髪に紺色の目をしたディランは、王子様のように甘いマスク風でにこりと笑う。

相変わらず、美しい。ファンの女性達がこの場にがいれば黄色い悲鳴が飛び交い、明日のアリスへの嫌がらせは3割増で間違いないだろう。


「アリス、この間は申し訳なかった。つい頭に血がのぼって、少々乱暴なことをしてしまった。

もし君が嫌でなければ、少し話がしたい」


その言葉通り、心底申し訳無さそうに言うディランには、丁寧で落ち着いた印象しかない。

しかし、断れば逆上する可能性はゼロではないし、仮に今このタイミングで逃げたところで、すぐに捕まる気がした。

アリスは、諦めると共に腹を括った。


「分かりました。それで、お話とは?」


きゅっと表情を引き締めたアリスに対して、ディランは少し顔を緩めた。


「単刀直入に言うと、私ともう一度婚約してほしい」

「ご冗談を」

「本気だよ。前にも言った通り、君が好きなんだ」

「以前も申し上げましたが、遅くありませんか?」

「その点は認める。何度でも謝ろう。申し訳なかった」


アリスはじっとディランを見つめるが、ディランのその紺色の眼差しに嘘はないように見えて困惑する。

ディランは、警戒するアリスに苦く笑って行った。


「ところで、君のお友達の子爵令嬢は留学したそうだね」

「はい。クララは外国へ行きました」


アリスはサラリと嘘をつく。

本物のクララはずっと外国へ留学していて、ディランの知るクララは偽クララで、その正体は女装したクレイバーンなのだけれど。


「そう。じゃあもう君が助けを請うナイトはいないわけだ」

「ナイト……クララが?」

「だって普通、あの状況で名前が出てくるのは男でしょう。でも、そうじゃなかった。だからまだ、チャンスはあると思ってるんだ」

「ありませんよ。私には、もう新しい婚約者がいます」

「知ってる。だけどそれは、あの子爵令嬢じゃない」


いや、あの子爵令嬢が新しい婚約者のクレイバーン・ウェールズなんですよ、ということだが、アリスは約束通りぐっと呑み込む。


今回は乱暴をされそうになくて、アリスはひとまず胸を撫で下ろす。

ディランから真っ直ぐにぶつけられる好意は、今この瞬間、特に不快ではないから一旦受け止める。

ただ、特に嬉しくもなく、ひたすら面倒に思えた。


「どうして私なんかにこだわるのですか?ディラン様なら、どんなご令嬢も選り取り見取りでしょうに」

「どうしてだろうね。なんかパッと見てこの子だなって思ったんだ。でも、人を好きになる理由なんてそんなものだろう?」


穏やかに笑うディランはこれまで通り紳士的で、襲いかかって来たときとはまるで別人である。

アリスは1つため息をついて、小さく笑って同意した。


「そうかもしれませんね」


ディランは生来、生真面目な男だ。

優しい王子様風情で、愛想も良い。

その上、伯爵家嫡男ということで、ご令嬢に大人気だの引く手数多だ。

嫌な顔をしないからか、傍目から見るとどうしても女誑し感は拭えないものの、アリスに婚約者としての接し方をしないという点以外は、特に欠点が見当たらなかった人だ。


「もしも、もっと早くこんな風に話せていたら、また違う今があったのかもしれませんね」


ため息とともにアリスの唇から零れ落ちた台詞は、後悔というよりは、諦めと懐かしさの色をしていた。

ディランは思わず、ぐっと眉根を寄せた。

そして、見ているこちらが切なくなるような顔で綺麗に笑う。


「そうかもしれない。けれど、私はまだ君を諦めていないんだ。悪いけど、過去にしないでくれるかな?」

「ごめんなさい。私にとっては過去です」

「うわ、はっきり言うなぁ。まぁいいか、もう失うものはないからね」


ははっ、と爽やかに笑うディランの表情は明るい。

アリスは、乱暴されかけた相手を許すつもりはなかった。

けれど、そもそも悪い人ではなかったはずだと思い出す。

よって、気の迷いでも起こしたのだろうと一旦は思うことにして、ディランに微笑んだ次の瞬間。


「アリス!」


若干距離のある場所から、慌てたような男性の声が聞こえた。

春の陽射しを浴び、制服に映える銀の髪。


「どうやら君に迎えが来たようだ。――アリス」


座ったアリスに対して、正面に立つディランが少し身をかがめた。

まるで大切なもののように名を呼ばれ、その手が、アリスに向かって伸びてくる。

アリスは反射的にビクッと身を固くし、恐怖に顔を歪めた。


怯えた様子で見上げたその先には、ディランの紺色の目。

しかしそれは、静かな夜空のように凪いでいる。

その時、パシッと音を立て、クレイバーンがディランの手首を掴んだ。


「アリスに触るな」


静かな怒りに満ちた声。

短く、しかしはっきりと言い放ったクレイバーンの琥珀色の目は、鋭く光っていた。


震えながら泣いていたあの日のアリスが、クレイバーンの脳裏に蘇る。

窓際に追い込まれ、衣服を乱され、床に座り込みそうになりながら、叫ぶようにクララを呼んでいたアリス。


「彼女を傷付けることは許さない」


クレイバーンは、強い力でディランの手首をつかんだまま、凍り付きそうなほどに冷たい空気を纏い、ディランに言い放った。




あの日――アリスにクララの正体を明かした日、クレイバーンは随分と肝を冷やした。

重なり合った偶然が、もし何か1つでも欠けていたら、多分、間に合わなかったからだ。


あの日はたまたま、数日ぶりにクララになって放課後の学園に行った。

目的は、事情を知る公爵家と子爵家に、来月からクララをやめてクレイバーンに戻る旨の了解を取ったため、同じく事情を知る学園長に挨拶をすること。

学園長室を出た後、担任の先生にも一応挨拶をと思い、クレイバーンは近くにあった職員室に立ち寄った。

しかしたまたま不在で、資料室にいるかもしれないと聞いたため、一応別棟へ行ってみたのだ。


結論、先生は資料室におらず、まぁいいかと諦めて帰ろうとした瞬間、声が聞こえたのだ。

アリスが助けを請い、クララを呼ぶ叫び声が。


慌てて駆け付けると、アリスに強引に迫っていたのはディランで、彼に対して好青年という印象しか持っていなかったクレイバーンは衝撃を受けた。

確かにディランは、婚約者としては不十分な振る舞いをしていた。

しかし、クレイバーンがクララとしてアリスと一緒にいる時に時々感じていた彼の視線は、アリスに対して優しく、温かかった。それなのに。




ディランは、自分の手を掴んで止ているクレイバーンと見つめ合うことになり、一瞬、驚いた顔をした。

強い光を湛えた琥珀色の瞳。

それは、あの長い黒髪の子爵令嬢を思い出させた。

彼女は風のように現れ、アリスを護った。

研ぎ澄まされ、周りの空気を氷点下まで下げそうな空気を纏い、女騎士にのように素早く無駄のない身のこなしは見事だった。


ほんの刹那、ディランはその深い紺色の瞳に傷付いたような色を浮かべる。

だがしかし、誰にも気づかれぬ程素早く隠した。


「クレイバーン・ウェールズ。君は、クララ嬢と親戚らしいな」


ディランは、落ち着いた表情と声のトーンをしていた。

クレイバーンは、掴んだ手首をそのままに、怪訝そうに琥珀色の眼に力を込める。


「だから何だ?」

「今度彼女に会ったら、礼を伝えてくれないか。もし彼女が現れなければ、私は取り返しのつかないことをしていたと思う」

「承知した」


視線の鋭さはそのままに、取り敢えずクレイバーンは頷く。

ディランは1つ溜息を吐き、口元にふっと薄い笑みを浮かべた。


「そんなに怖い顔をしなくても、もうアリスの嫌がることはしないよ」


ディランはクレイバーンに掴まれている手と反対の手で、己の手を掴んでいるクレイバーンの手にそっと触れた。

クレイバーンはその意図を汲み、ディランの手首を解放した。

しかし、1ミリでもアリスに触れようものなら殴り飛ばすと言わんばかりに、ディランから目を離さない。


「今日のところはこれで失礼するよ。でも、私はまだアリスを諦めたわけではないからね」


冷たい表情のまま、警戒を緩めないクレイバーンを横目に、ディランは切なげに瞳を細めアリスを見つめた。

今度はその手を伸ばしはしなかった。

しかし、ディランの視線に気づいたアリスには緊張が走る。


「アリス、君の髪に桜の花弁がついている。

今の私にそれを取る資格はないようだから、彼に取ってもらうといい」


春の風に、ディランの金の髪が流される。

ディランは、身をすくませるアリスに対して寂しそうに笑った。

しかし、すぐにいつもの王子様然とした笑顔になり、じゃあ、と踵を返した。

アリスは呆然と、クレイバーンは最後まで睨み付けるように、ディランの後ろ姿を見送った。




「アリス、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


暫くの沈黙の後、クレイバーンは心配そうにアリスに声を掛けた。

アリスのどこか引きつった笑顔に、全然大丈夫じゃないなとクレイバーンは眉根を寄せ、アリスの隣に腰を下ろす。


「無理に笑わなくて良いよ。あんな事があったんだから当然だと思う。まだ怖いんだろう?」


その優しい言葉に、アリスは素直にコクリと頷いた。

クレイバーンは、その整った顔に労るような微笑みを浮かべて、アリスにそっと手を伸ばす。

アリスが怯えないことを確認してから、クレイバーンは、アリスのピンクブロンドの長い髪についた花弁を指先で摘み取り、ひらりと地面に放った。


「何か、あった?」

「?」

「ここに来るのは、落ち込んだり気持ちが乱れた時だと、以前教えてくれたから」

「……!」


そういえばそうだ。クララには話したことがあった。

それどころか、何度かここに二人で来たこともある。


どうしてここに来たのか。

それを思い出したアリスは、思わず赤面して両手でその顔を隠す。

ディランに会って、頭から抜けていたけれど、ここに来た理由はクレイバーンが原因だ。クレイバーンが、別の女性と二人で談笑していたのを見て、ショックだったから。

改めてそれを確認した途端、顔から体まで、全身がぶわっと暑くなるのを感じた。

無言で悶えるアリスをどう捉えたのか、クレイバーンは少し寂しそうな色を滲ませた。


「言いたくないなら無理に言わなくて良いんだ。

でも、もしつらいことがあるなら、私でよければ話してくれると嬉しい。

私にできることがあるのかは分からないが……」


心配そうなクレイバーンの声は、優しかった。

アリスはふと考える。

もし、素直に言えば何か変わるだろうか。

例えばまた、抱きしめてもらえたり、キスをしたりするのだろうか。

今度はちゃんと、クレイバーンの姿で。


想像すると、心臓が痛いくらいにドキドキするのが分かった。

アリスは思わず胸を押さえた。


「アリス?」


赤い顔で、涙目になったアリス。

隣に座るクレイバーンは、陽の光に透けそうだ。

髪も目も色素が薄いせいか、暖かな春の太陽の下でも、とても涼しそうに見える。

彼の琥珀色の目は、アリスだけを真っ直ぐに見ていた。


「あの、私……」

「うん」

「クレイバーン様が、女性の方と二人でお話しされていたのを見てしまって、ここに来ました」

「え?いつ」

「さっきです。いつも迎えに来てくださるので、たまには私が行こうと思って、教室を出たらお二人が……」


しゅわしゅわと音を出して小さくなりそうなほど赤くなったアリスは、とても悲しそうな顔をしていた。

クレイバーンはぽかんとした。

しかしその後すぐ、湧き上がる歓喜に打ち震えた。

勿論心の中だけで。


「そういえば今日は日直だったから、もう一人の日直と職員室まで提出物を運んだ。もしかしてその時かな?」


アリスの顔が、はっとして、明らかにほっとした。

空色の瞳は水分を増し、今にも涙が溢れそうだ。

正直過ぎる表情に、クレイバーンは愛しそうに目を細め、困ったように微笑んだ。

そして、重くならないように気を遣い、冗談めかして問う。


「それ、もしかしてヤキモチだったりする?アリスは私が他の女性といるのが嫌?」


アリスは、その質問にどう答えるのが正解がわからなかった。

ただ、我が儘というか、自分の勝手な気持ちを口にしている自覚はあったため、慌てて言い訳をした。


「いえっ、そんな、クレイバーン様の交友関係に、私が口を出すつもりはないです。

でも、クララだった時みたいにいつも一緒にはいられないし、クレイバーン様は格好良いから、凄く女子生徒の皆さんに人気で、その、……」


言いながら、アリスの空色の瞳は切なげに歪む。

惚れた弱みと言うべきか、もだもだと言い募るアリスは可愛い。

アリスの口から溢れ出す言葉は、最早独占欲としか思えない。

もしこれが勘違いでなければ嬉しすぎて目眩がしそうだと思い、クレイバーンは、堪らず眉根を寄せた。


一方のアリスは、クレイバーンの苦しげな表情を目にして、胸がズキズキするのを感じた。

迷惑だと思われたのだろうと思い、しおらしく詫びた。


「不快な思いをさせて申し訳ございません。

私、クレイバーン様を好きになってしまったかもしれません……」


アリスの告白には、かなりの破壊力があった。

クレイバーンは目を見開き、数秒間フリーズした。

それは、アリスにとって、とても長く感じられた。

羞恥と不安で震えだしそうになりながらも、アリスは、スカートを握りしめ、滲む視界でクレイバーンを見つめ続けた。

クレイバーンが歓喜に震え、思い切りアリスを抱きしめるまでは。


「好きになったんじゃなくて、好きになったかもしれない、なんだ?」


すっぽりと腕の中に収まったアリスを堪能しつつ、クレイバーンは甘く尋ねた。

きっとクレイバーンは、分かっていて聞いている。

少し悔しかったけれど、アリスは、真っ赤になった顔をクレイバーンの胸元に隠しながら言った。


「そんなの、同じようなものです」


恥ずかしくてどうにかなりそうなアリスは、可愛く無い言い方をした。

しかし、言い終わると同時に後悔に見舞われ、クレイバーンをぎゅっと抱きしめ返し、すり、と胸元に頰を擦り寄せた。

背中に回された腕と、甘えたように身を寄せる柔らかくて小さい体。

クレイバーンは、改めてじわじわと湧き上がる喜びに叫びだしそうになる。勿論我慢したが。


「そうか、ならいい。――私もアリスが好きだよ」


少し声が上ずったのは、心臓が騒がしいせいだ。

クレイバーンは、幸せを噛みしめるようにそう言って破顔した。

それは、とても晴れやかで美しい笑顔だった。


その後、日直の日の朝の登校時は、クレイバーンからアリスに日直である旨の事前申告がなされるようになった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(今更ですが、ディランは割といい奴という設定でした。)


ブックマーク、いいね、コメント、もしよろしければお願いいたします。すごく励みになります。

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