【番外編2】喪失感と嫉妬
「ところで、そちらのご令嬢はもしかして?」
「うん。婚約者のアリスだ」
「やっぱり!貴方からのお手紙通りの女性ね。
はじめまして、クレイバーンの従姉妹のクララ・ウェスティンです。私も貴方をアリスと呼んでいいかしら?」
少し高めのテンションでアリスに笑顔を見せるクララは表情豊かだ。
存在そのものが、生き生きとした生命力に満ちて見える。
アリスはそのオーラに圧倒されつつも、無難かつにこやかに返事をした。
「勿論です。ウェスティン子爵令嬢」
「クレイバーンが、まさか恋をするなんて思ってもみなかったわ。女装までして側にいたいなんて言うから、ずっと会ってみたかったのよ」
「クララ!その言い方は……」
いたずらっぽく笑うクララに、クレイバーンは慌てる。
しかし否定はしなった。顔も若干赤い。
アリスは、動揺するクレイバーンをぽかんとした顔で見ていた。
「はいはい。女除けのために女装して入学したら、好きな女の子ができたけど、既に好きな人兼婚約者がいたから、2年間女友達として側にいたのよね」
「……そうだ」
低い声で唸るように、クレイバーンは短く肯定した。
羞恥に悶えつつ、しかし、間違ってはいない認識に、悔しそうなジト目でクララを睨みつつではあったが。
クレイバーンの様子を見て、なんだかアリスのほうが恥ずかしくなってきてしまい、アリスはかぁっと頬を染めて両手で頬を覆った。
クララはそんな二人を見て、ニンマリと笑った。
「クララ、わざとだろう」
「何が?ねぇアリス、私のことはクララと呼んでほしいのだけれど、いいかしら?」
クララの琥珀色の柔からな眼差しが、アリスに向けられる。
そこに、クレイバーンに向けていたような悪戯な色はない。
この色の目にアリスは弱い。
見つめられると、何もかもを見透かされている気持ちになってしまう。
アリスは少し躊躇いつつも、恥じらいながら微笑んで、クララの名を口にする。
「はい、クララ様」
「――っ可愛い!!」
どうやら、本物のクララにもアリスの小動物的な可憐さは刺さったらしい。
突然、アリスはクララに抱きしめられた。
小柄なアリスは、偽クララに抱きしめられた時と同じく、本物のクララに包まれた。
アリスは目を白黒させながらも、クララだったクレイバーンに抱きしめられた時との違いを噛み締めていた。
感触が、全然違う。
本物のクララは、たゆんとした胸が柔らかくて凹凸があるし、腕も細いし、花のような匂いがする。
「アリス、どうしたの?」
無抵抗に抱きしめられているアリスだったが、どこか様子がおかしい。
クララは、照れて抵抗するだろうという自らの予想を裏切るアリスに違和感を持ち、アリスが複雑な表情をしていることに目敏く気付く。
アリスはクララの声に意識を引き戻され、クレイバーンと同じで察しがいいなぁと舌を巻く。
そして、恐らくこの二人には嘘をついても無駄なのだろうとも思い、本音を吐露する。
「もしクララ――いえ、偽物のクララが女性だったら、本当はこんな感じだったのかもしれないと思って。
何だか不思議な感覚です」
いかに同一人物とはいえ、女友達だと思っていた偽クララと、婚約者のクレイバーンは、やはり別だ。
同じだ、と言われればその通りなのだが、アリスからしてみれば、兎に角違うのだ。
自分でもよく分からなくて、上手く言葉で説明ができないから、まだ口にしたことはないけれど。
アリスは、何かを見極めるようなクララの琥珀色の目にじっと見つめられていることに気づく。
クララの目元は、偽クララ、つまり、女装のためにメイクをしたクレイバーンの目元にそっくりで、アリスは思わず頬を染め、眉根を寄せ、少し困ったような顔ではにかむ。
その様子に、クララは心臓を鷲掴みにされた気持ちになった。
「アリス。お友達になりましょう」
「えっ、よろしいのですか?」
「よろしくてよ。その代わり敬語はやめてね。呼び捨てにしてちょうだい」
「はい。ありがとう、クララ」
アリスは、鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなった。
目の前にいるクララは、アリスが一緒にいたクララじゃない。
しかしアリスにとっては、偽クララはずっと心の支えで、一番大切な人だったのだ。
「アリスは、偽クララのことが大好きだったのね」
クララが、太陽の女神のように優しく微笑む。
アリスは、水分を増した空色の瞳でアリスを見つめ、こくりと深く頷く。
偽クララは女性ではなかったし、そもそもクララというのは偽名だったけれども、アリスは、偽クララに会えると嬉しかった。
一緒にいると楽しかった。
気持ちが満たされるような安心感があった。
だからディランのファンに嫌がらせをされても、学園に行くのが苦痛にならなかった。
偽クララはいつでもアリスの味方で、心の支えだったから。
「お友達として、私がアリスの寂しさを埋めるわ。
でも、貴方が失くした気分になっているものは、貴方も偽クララもちゃんと持ったままのはずよ。
どうか、クレイバーンをちゃんと見てあげてね」
アリスは、クララの言葉にハッとした。
偽クララがクレイバーンに戻ってから約2週間。
クレイバーンは婚約者としてきちんと優しくしてくれて、嬉しい気持ちはあるのだけれど、ずっとモヤモヤしていたのだ。
クレイバーンが性別を偽り、偽クララを演じていたことがショックでたまらない、というわけではない。
けれど、クレイバーンでは何かが足りなくて、満たされない部分がずっとあって、それが何なのかずっとわからなかったのだ。
だけどそれは、大切な友達、という、唯一無二の存在を失った喪失感のせいだったのかもしれない。
無論、実際には、偽クララの正体はクレイバーンだったのだから何も失くしてなどいない。
あくまでも関係性が変わっただけなのだが。
「クララ、初対面なのにすごい」
「そうでしょう?ま、クレイバーンにはきっと、乙女心が分からないのよ」
ドヤ顔で胸を張る美人に、アリスは吹き出す。
「ふふっ、そうかもしれない。
だけど時々、クララとクレイバーン様は同じような顔をするのね。今も少し似ていたわ」
眩しそうにクララを見つめ、懐かしそうに話すアリス。
クララも柔らかく微笑んで、素直に謝罪した。
「従兄妹だからね。だけど、私も偽クララの片棒を担いだわ。嘘をついてごめんなさい」
「ううん、大丈夫。それにさっき、クララにモヤモヤする原因に気付かせてもらえて、何だかスッキリした」
ありがとう、と笑みを見せたアリスは、どこか迷いが晴れたような顔だ。
それに気付いたクララは、労るようにアリスに伝えた。
「私はね、最初からやり直せばいいと思うの。偽クララとは全く別者の、クレイバーンという婚約者として。
アリスの中で、いつか偽クララとクレイバーンが違和感なく一つに重なる日が来るのかはわからないけれど、時が解決することもあると思うから」
「うん、そうね。そう思うことにする」
空色の瞳に明るい光を取り戻し、むん、と拳を握って頷くアリスに、クララも優しく頷いた。
アリスとクララはこの短時間で心を通じ合わせたようで、完全に二人の世界だ。
やはり女性同士というものは、やはり何かが違うらしい。
クレイバーンとしては、偽クララをやめてからはアリスがこんな風に笑ってくれなくなったため、クララに対して敗北感を感じざるをえない。
とはいえ、アリスの笑顔が見られたのだから引き合わせて良かったと、クララへの感謝を噛み締めていた。
「でも、いきなりたくさん優しくされるのはちょっと……」
困ったように情けなく眉尻を下げたアリスの発言に、クララは思わずぎょっとする。
クレイバーンはピシッと凍り付き、顔色と共に言葉を失っている。
「もしかして嫌だった?クレイバーンがアリスの好みじゃないとか?」
こわごわしながら、それでも、クララはストレートに疑問をぶつけた。
するとアリスは、ふるふると首を横に振って否定した。
そして、所在なさげに視線を彷徨わせ、悲しそうに俯いた。
「あのね、私、クララのことが本当に好きだったの。
それなのにもう次なんて、何だか気が多い女みたいで、はしたないかなと思って……」
ポツリと小さい声で理由を述べたアリスの顔には、羞恥や戸惑いと共に、申し訳無さそうな色。
クララは、きょとんとした後、思わず破顔した。
そして、黙って近くに立っていたクレイバーンに、ニマニマしながら声をかける。
「ですってよ。聞こえてた?婚約者さん」
絶望からの天国、ここにあり。
クレイバーンは、花も恥じらう乙女状態のアリスに心臓を撃ち抜かれた結果、少々胸が苦しかったが、涼しい顔のままで会話する。
「何の問題もない。そもそもそのクララは私だ」
「そうね。だけど焦りは禁物よ?乙女心は複雑なの」
「努力する」
「とはいえ、モタモタしてると愛想尽かされちゃうかもしれないけどね」
「2年間、別の男を待ち続けるアリスを見てきたから何となく分かる。あいつと同じ轍は踏まないよう気を付ける」
スンとした、しかし強い決意の色を滲ませたクレイバーンの琥珀色の目が、同じ色をしたクララのそれとぶつかる。
真剣な様子のクレイバーンを視界に収め、「そう、ならいいわ」とクララは微笑んだ。
クレイバーンはアリスを見つめた。
「アリス。まずは友人のつもりで構わないから、私と仲良くしてほしい」
台詞末尾で、冷たく見えるクレイバーンの美しい顔が、とろりと甘い笑みを浮かべる。
しかしその瞳は少々熱っぽい。
アリスはその温度にあてられたようにふるりと身を震わせ、「はい!」と元気よく返事をした。
クララは、いちいち反応が可愛いアリスにむくむくと興味が湧く。
「それにしても、アリスは素直で可愛いわね」
「私の婚約者だ」
「知ってるわよ。私は単なる女友達。貴方の偽クララと同じよ」
その台詞に、まぁそれもそうかとクレイバーンは頷いた。
クレイバーンとクララは母親が姉妹のため、兄妹のように育ったこともあり、何だかんだ気心が知れている。
静と動、月と太陽のように対象的な印象の二人だが、似ている部分もあった。
例えば、頭が良くて合理的なところとか、可愛いものに心臓を撃ち抜かれる瞬間とか。
「ま、私もその内、偽クララくらい好かれちゃうかもしれないけどね」
ふふ、と楽しそうに微笑むクララに、クレイバーンは目を見開く。
そうして、少々焦った顔を見せた。
クララは、この二人の恋の行方が楽しみだと密かに思う。
そして、帰国なり手紙なりのたびに確認せねばとも思った。
*****
新学期が始まった。
春休みの間に子爵令嬢のクララは外国へ留学したことになっており、長らく体調を崩していた公爵家三男のクレイバーンが、全快して編入試験を突破し、入学してきたことになっていた。
クレイバーンは、毎朝アリスを迎えに来ると言った。
そして帰りも毎日でよいかと意向を聞かれたので、タイミングが合って都合が付けば一緒に帰る形がいいと、アリスの本心を伝えてみた。
クレイバーンは、あっさり了解してくれた。
アリスは、クレイバーンといるのが嫌ではない。
嫌ではないがしかし、物凄く目立つ気がして、その点が気になっている。
この点を素直にクレイバーンに相談したところ、「迷惑でなければ、なるべく一緒にいることで守らせてほしい」と真摯な様子で言われた。
ディランとの婚約解消はともかく、すぐにクレイバーンと婚約したことで、また嫌がらせにあうかもしれないから、とも。
その気遣いに、アリスは思わず泣きそうになった。
そうか、この人はクララとしてずっと側にいてくれたから、2年間のつらかったことや悲しかったことを知っているのだ、と思った。
それが安心なのか喜びなのかは分からなかったけれど、少なくとも、クララが言っていた「失くした気分になっているものは、貴方も偽クララもちゃんと持ったままのはず」という言葉の通り、偽クララの優しさの延長線上に、今のクレイバーンの優しさは位置していた。
ある日、帰ろうとしたアリスは、たまには自分からクレイバーンの教室へ行ってみようと思い立ち、帰る用意をして自分の教室を出た。
そしてそこで見たのは、クレイバーンが見知らぬご令嬢と言葉を交わしながら、彼らの教室を出ていく姿だった。
女嫌いのせいか、クレイバーンの顔に笑顔はない。
冷たそうに見える整った横顔。
しかし、きちんと相手のご令嬢の方を向いていた。
相手のご令嬢は嬉しそうで、まるでグレイバーンに恋をしているかのような顔に見える。
アリスの胸は、ズキリと痛んだ。
アリスはどうしてもその場にいたくなくて、踵を返した。
向かった場所は、学園の庭園の片隅にあるベンチだった。




