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【第4話】戦略的告白の後で

アリスのピンチに登場したクララ。

ここまで慌てて走ってきたのか、少し息が上がっていた。


「アリス!」

「クララ……」


クララを見てほっとしたのか、アリスの恐怖に歪んだ表情が少し緩み、涙がするりと頰を伝う。

アリスの様子に、クララは痛ましげに顔を歪めた。


制服から覗くはだけられた胸元と、ディランの大きな手に掴まれた、アリスの白くて細い手首。

何をされていたのか容易に想像がつき、クララはその琥珀色の目に怒りを滲ませてディランを睨む。

殺気あふれる眼力に、ディランは一瞬ヒッと息を呑んだ。


「ディラン・マルセル。アリスを離せ。

合意なくご令嬢に迫るのは感心しない。これは暴行、もしくは強姦じゃないのか?」


腹の奥底からの怒りと侮蔑に満ちた低い声色でクララに責められ、ディランは逆上した。


「失礼な!アリスは私の婚約者だ」

「違う。もうお前の婚約者ではない。クレイバーン・ウェールズの婚約者だ」

「!?何故子爵令嬢ごときがそれを!」


ディランの言い分を、切れ味よくスッパリと秒で切り捨てたクララは、なおもアリスを解放しないディランに苛立ちを募らせた。


「アリスを離せ、といったのが聞こえなかったのか」


瞬間、ヒュオ、と風を切る音。

クララが、手刀でディランの腕を薙ぎ払った。

咄嗟に何が起こったのか判断できず、ディランは呆然と己の手を見ていたが、我に返ってクララを睨みつけ、暴言を吐く。


「この阿婆擦れが!よくもアリスとの逢瀬の邪魔をしたな」


ディランは、言い終わるやいなやで、クララに向かって一歩踏み込んで拳を握りしめた。


「クララ!」


アリスは悲鳴のように叫んだ。

クララを攻撃しようとしているディランは、いつもとはまるで別人だ。

たとえ追い込まれたとしても、女性を襲い、女性に手をあげるなど蛮行である。


一方クララは、氷のように冷たい表情のまま、華麗にディランの攻撃をかわした。

クララの身のこなしは軽く、二発、三発と、ひらりひらりとディランのパンチをかわし、隙をついてディランの胴に拳を決めた。


(クララ、すごい)


漆黒の長い髪と制服のスカートが、クララの滑らかな動きに合わせて宙を舞う。

そのすぐ後、クララは、身を低くしてディランの軸足に蹴りを入れる。

その結果、ディランはバランスを崩して床に転がった。


「貴様、何者だ?覚えておけよ!」


ディランは尻餅をついたまま後退り、負け惜しみを言い残して教室から走り去った。

放心状態でその様子を見ていたアリスに、クララは心配そうに声をかける。


「大丈夫?」


クララと視線が絡まって、アリスの大きな空色の瞳が歪んで、ゆらりと水分を増す。

何かを言いかけたアリスの唇が戦慄いて、次々に涙が零れ落ち始める。

同時に、アリスはガクガクと身を震わせ始め、窓ガラスに背を預けたまま、力なく地面に沈んでいく。


「!アリス」

慌ててアリスに駆け寄って、クララはアリスを危なげなく支えた。

クララに支えられて何とか立っているアリスは、体の震えと涙が止まらなかった。


「怖かった……っ。クララ、助けてくれてありがとう」


しゃくりあげながら御礼を言うアリスは、震えながら、冷え切った指先をきつく握りしめていた。

クララはたまらなくなって、アリスを強く抱きしめた。

女性らしく小柄な体からは、甘い匂いがした。


「遅くなってごめん」


弱ったアリスをぎゅっと抱きしめたまま、クララは暫く動かなかった。

長く確りした腕と広い胸元。

身長差が20センチ程あることもあり、クララに包みこまれるような感覚に、アリスはほぅ、と安堵の溜息をついた。 

次第に体の震えは収まり、涙も落ち着いてきた。


「クララ、もう元気になったの?さっきのクララ、すごくカッコよくて吃驚した」


少し擽ったそうにそう告げて、アリスは瞳を閉じた。

クララに抱きしめられたのは初めてだったが、こんなにも心地よいとは知らなかった。

アリスは、うっとりとクララに身を預けた。


一方のクララは、アリスの無防備さに目眩がしそうになっていた。

それはまるで、自分がアリスに好かれているかのような錯覚。

だからかもしれない。クララの唇から、不意に突拍子もない問いかけが紡ぎ出された。



「アリスは、もし私が好きって言ったらどうする?」



咄嗟にその質問の真意を汲みかねて、アリスは、迷子みたいな顔でクララを見る。

すると、クララの真剣な琥珀色の目にぶつかった。

アリスは、冗談でしょ、と笑い飛ばせる重さをしていないその台詞を、そのまま真っすぐ受け止めることにした。


「ありがとう。私もクララが好きよ」


困ったように微笑んだクララは、抱き締めていた腕の片方を外して、その手で、涙に濡れたアリスの頬に優しく触れた。


「ごめん。そうじゃないの」


好意を口にしてしまった以上、踏み止まるつもりは毛頭なかったが、クララは申し訳無さそうに眉根を寄せ、ぽつりと呟いた。

不思議そうにクララを見つめるアリスは無抵抗で、されるがままだ。

安心しきったその様子に、クララは、これからしようとしていることについて少しの罪悪感を覚えた。

だからせめて優しくと、その琥珀色の瞳を閉じ、アリスの唇に自分の唇をそうっと、柔らかに重ねた。


「私のはこういう好きなんだけど……アリス?」


ピシ、と固まってしまったアリスに、クララは呼びかける。

アリスはたっぷり数秒は固まった後、パチパチと瞬きをして、そのすぐ後にぶわっと顔を真っ赤にした。

顔が熱すぎて、心臓が煩い。

アリスは声にならない悲鳴を心の中で上げつつ、両手で顔を覆って思わず俯く。


「ずっと言えなかったけど、私はアリスが好き。

もし本当に、ディラン・マルセルのことがもういいなら、私を選んでほしい」


落ち着いた声色で語りかけられ、アリスは、痛いくらいに胸がドキドキするのが分かった。

だから勇気を出して両手を少しずらし、その隙間から上目遣いにクララを見つめて聞く。


「本当に、そういう好きだと思っていいの?」


真っ赤になった顔と、涙で溶けそうな空色の瞳。

アリスの不安げな様子が可愛くて、クララは愛しさを隠しきれず目を細めた。

そして、緩やかに抱きしめているアリスの後頭部を愛しそうに一度撫でた。


「うん、勿論」


クララの溶けそうな琥珀色の目にやられて、アリスは、うっ、とまた羞恥に悶えた。

そして、少し逡巡した様子を見せた後、アリスは意を決したように想いを返す。 


「私も、クララが好きです」


恥ずかしそうに、しかし真っ直ぐにクララを見据えるアリスに、クララは一瞬、息をするのを忘れる。

その一拍後で、クララは感極まったように眉根を寄せ、泣き出しそうに微笑んで言った。


「ありがとう、アリス。――どうか受け入れて」


それは、祈りにも似た願い。

クララは、どこか悲しそうな顔をした。

その憂いのある表情も美しく、アリスは思わずクララに見惚れた。




次の瞬間、クララは、自分の長い黒髪を掴み、ぐっと強く引っ張った。




するり、と漆黒の長い髪が流れ落ち、パサリと音を立てて床に落ちる。

黒髪のかつらの下には、灰色がかった銀色の短い髪が。


衝撃のあまりアリスは言葉を失い、これ以上無いほどに驚き、目を見開いて固まった。


「今まで騙していてごめんね、アリス」


時を止めたような状態のアリスに、クララは申し訳無さそうに瞳を伏せた。

それは、クララよりも少し低い声。


「その声……まさか、クレイバーン様?」


アリスが絞り出した声は小さく、掠れていた。

耳に残っていたクレイバーンの声を、銀の髪を、アリスは覚えていた。

そういえば、クレイバーンの笑った顔がクララに似ていると思ったことを思い出す。

クララと彼の、瞳の色が同じだったことも。


「当たり。クララのときは、少し高めの声で喋ってたんだ。でも、遅れてた成長期、というか変声期が始まりかけてて、そろそろ限界かな」

「お顔は……」

「メイクの力だよ。毎朝、メイドが結構時間かけてやってくれてるからね」

「クララが男……え、いつから……」


ちょっとしたパニックになっているアリスに、クレイバーンはもう一度詫びる。


「最初からクララは男だよ。言えなくてごめん。

因みに、ウェスティン子爵家のクララは実在するんだ。私の従姉妹で、2年と少し前、つまり、私達が入学する前には隣国に留学してるけどね」


「じゃあ、私の知ってるクララは」

「全部、私。クレイバーンだ」

「そんな……」


アリスは現実を受け止めきれず、動揺が隠せない。

クレイバーンは、本当にごめんね、と添えて、説明のような言い訳を続けた。


「クレイバーンとして初めてアリスに会いに行った日、本当は全部話そうと思っていたんだ。

でも、アリスがあまりにもクララのことしか考えていなかったから諦めた。

アリスがどうやったら興味を持ってくれるか考えた結果、クララとして告白するほうが効果的かなと思いついたんだ」


「だから本当は、春休みにでも時間をとってもらおうと考えていたんだけどね」と付け加え、クレイバーンは、そっとアリスのピンクブロンドのウェーブがかった髪を一房手に取り、指先で撫でる。


「だけど、今日の出来事は完全に想定外だった。

たまたま手続があって、午後から学園ここに来ていて良かったよ」


クレイバーンは、アリスの髪に一つ口づけを落とすと、苦く笑った。

それは、後悔と心配。

そして、安堵がないまぜになったような顔だった。


(クララが男の人になるとこんな感じなんだ)


アリスは、心の底に何かがぽとりと落ちたのが分かった。

クララの正体がクレイバーンだと知ってなお、胸がときめく。

この時アリスは、クララではなく、目の前にいるこの人物そのものに惹かれているのだと自覚する。

ならばと、アリスは恐る恐るクレイバーンに質問をした。


「あの、クレイバーン様のご趣味は女装なのでしょうか」


神妙な顔のアリス。

その真剣さに、その趣味すらも受け止めなければという決意が窺える。

クレイバーンは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になり、ふはっと吹き出した。


「ごめん、それは違う」

「では、女性という性別に憧れが?」

「それも違う。どちらかといえば逆かな」

「あ、男色家ということでしょうか?」

「そうではなく!私は、女性が苦手なんだ」

「……は?」


クレイバーンの回答が、アリスは咄嗟に理解できなかった。

ずっと女友達として付き合ってきたクララが実は男で、しかも正体がクレイバーンで、そのクレイバーンとは既に出会っていて婚約を申し込まれていて、それなのにクレイバーンは女性が苦手。

情報量の多さに、アリスは処理が追いつかない。


「私は正直、女性には全くいい思い出がない。

昔からあることないこと噂されるし、顔も名前も知らない女性に追いかけ回されるし、部屋に閉じ込められて迫られたこともあるんだ。

けれど、相手は未婚のご令嬢。まさか乱暴に扱うわけにもいかないし、本当に厄介なんだよね……」


クレイバーンは死んだ魚のような目で、酷く疲れた様子で説明した。

アリスは気の毒そうに、「なるほど、そんなご苦労が」と相槌を打つ。


「だから学園では静かに過ごしたくて、性別を偽って過ごしていたんだ。

いずれ時が来て、肉体的に性別を偽ることが難しくなったら、クレイバーンに戻るしかないとは思っていたけどね」


勿論、入学用の書類上の性別は男性で本名で、両親と学園長、そして本物のクララとその父上もこの事を知っていると、クララの顔をしたままのクレイバーンは補足した。


「一旦、事情は分かりました。誰にも口外しませんのでご安心ください」


何とか状況が整理できたアリスは、クレイバーンに向かって真面目な顔でそう言った。


「貴方は、こんな時でもクララが優先なんだね」


クレイバーンは、騙されたことを怒るわけでもなく、秘密を守るという約束をするアリスに苦笑する。

何だかいい意味で肩の力が抜けた気がした。


「丁度いいから、クララはもうやめるつもりなんだ。

私は、4月からクレイバーン・ウェールズとして学園に通う。――君の、婚約者として」


クレイバーンが、とろりと甘く微笑む。

アリスの目の前にいるのは、先程思いを通じ合わせた人に違いない。

しかしこれはクララではなく、クレイバーンだ。

そういう認識がきちんとあっても、アリスの胸はキュンとする。


声と口調は違うが、メイクをしたクレイバーンの顔は、そして中身は、ちゃんとクララなのだ。

しかし、そうはいってもやはり、少しの違和感はある。

アリスは何だか複雑な心境になり、自分を落ち着けるかのように大きく深呼吸した。


「アリス?」

「クララ……じゃない、クレイバーン様。少し、頭と気持ちを整理するお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


困り顔で、しかし半分諦めたような顔で笑うアリスに、クレイバーンは穏やかに言った。


「勿論。卒業まで、まだ4年もあるからね」


ニッコリと笑って、クレイバーンはアリスの至近距離に来た。

そして、ディランに暴かれた肌を見て、一瞬だけ痛ましげに目を細め、アリスの胸元にそっと手を伸ばした。

クレイバーンは、アリスが怖がらないことを確認した上で、ぷち、ぷちと、そのしなやかな手でボタンを閉めて、キュッと綺麗にリボンを結び直した。


「目に毒だからね。

今度はクララとしてではなく、クレイバーンとして好きになってもらえるよう、努力するつもりだ」


クレイバーンが、されるがままのアリスの耳元で囁くと、アリスはびくんと身を震わせた。

首筋まで赤くなるアリスはとても初々しく、睨みつけてくるアリスの潤んだ空色の瞳は、どこか甘やかだ。

クレイバーンは、十分にアリスに意識されていることに気を良くして、アリスのおでこに優しいキスを一つ落とした。


「いつかクララに勝てるようにがんばるよ」




読んでくださった方、ありがとうございました。

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ひらめいたら、番外編なども書いてみたいです。

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