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【第3話】新たな婚約者と元婚約者の想い

翌日、新しい婚約者との初顔合わせということで、ドレスではないがドレッシーなお出かけ用のワンピースを身に纏い、アリスは応接室に座っていた。

アリスの隣には両親が、正面にはウェールズ公爵家の三男が座っている。


「急な来訪を受けてくださってありがとうございます。三男のクレイバーンです」


ウェールズ公爵に紹介されたクレイバーンという男性は、ディランのような王子様然とした甘いマスクというよりは、美しく伶俐な程に整った顔立ちをしていた。

灰色がかった銀色の髪と、琥珀のような瞳が印象的だ。


(きれいな人。クララと同じ目の色だわ)


アリスは、ともすれば冷たそうにも見えるクレイバーンを、上から下まで全体的に見た。

見たのだけれどもしかし、残念ながらときめくとかドキドキするとかいう症状には見舞われず、思い出したのはクララのことだった。


(クララ、大丈夫かな。

そうだ!クレイバーン様がお帰りになったら旬の果物を買いに行って、それを持ってクララのお見舞いに行こう)


昨日、先生に体調不良と聞いたが、3日休んで少しは良くなったのだろうか。

仮に体調が思わしくなくて会えなくても、果物ならば家の人に渡せばクララに差し入れてもらえるのではないか。

アリスは、目の前にあるテーブルの一点を見つめて、そんな事を考えていた。

よって、父とウェールズ公爵、そして時々クレイバーンが、何かしら話をしていたとは思うが、アリスはほぼ聞いていなかった。


「さっきから、アリス嬢は一体何を考えているの?」


不意に至近距離で声を掛けられ、アリスはビクッと身を強張らせた。

声の方を見ると、右隣にクレイバーンが座っていた。


「!?あっ、あの、公爵様や両親は?」

「つい先程、外してもらった」

「そうですか」

「私に全く興味がない?」

「いえっ!そんなことはないです」

「完全に心ここにあらずだったのに、よく言うよ」


慌てて否定するアリスにククッと笑みを零し、クレイバーンは、アリスの隣でソファの背もたれに身を預けた。スラリと長い四肢。

あ、笑うとクララに似ているな、とアリスはまた思う。


「好きな人のことでも考えていたの?」

「ち、違います」

「じゃあ何?一人で心配そうな顔したり、嬉しそうな顔したりしてたけど」

「それはクララに……いえ、友人に、この後お見舞いを持っていこうと考えていたためです」


からかうようなクレイバーンの問いかけに、アリスは素直に答えつつも、かぁっと顔を赤く染めた。

そして、その後俯きがちに謝罪した。


「申し訳ございません。

折角ご挨拶に来てくださったのに、失礼ですよね」


アリスはしおしおと小さくなり、肩を落とす。

素直で、そして小動物のようなアリスの様子に、クレイバーンは柔らかく表情を緩めた。

そしてアリスを、クララと同じ琥珀色の瞳でじっと見つめた。


「アリス、と呼んでもいいかな?」


その瞬間、アリスははっとして息を呑む。

クレイバーンに名を呼ばれた瞬間、どこかそれが甘く聞こえて、背筋がぞわっとするような感覚を覚えたからだ。


「どうかした?」


大きく目を見開いて唇を引き結んだアリスに、クレイバーンは目ざとく気づく。

クレイバーンは穏やかに微笑んでいる。

微笑んでいるがしかし、目が、どこか笑っていないとアリスは思う。まるで何かを探るような目。


「あの……」


はくはくと、アリスの唇がから回る。

クレイバーンを直視できず、怯えとも照れともとれるように視線を彷徨わせるアリスは少し頼りない。

庇護欲をそそる雰囲気を醸し出している。

クレイバーンは、獲物を見つけたしなやかな肉食動物のようにアリスに視線を絡めて、にっこりと微笑んだ。


「うん。ちゃんと話してほしいな?」


美しい笑み。

しかし圧が強くて、否やと言えないこの空気。

アリスは蛇に睨まれた蛙のような気持ちになり、素直に理由を吐いた。


「実は、クレイバーン様が友人に似ていて落ち着かないのです。目の色が同じで、笑った顔が似ているような気がして……。

あ、でも、友人というのは子爵令嬢で、スラッとした黒髪の美人です。

とても頼りになって、賢くて、優しい人です」


その内容に、クレイバーンは一瞬固まった。

そしてその後、ふっと笑って言った。


「そうか。貴方はその友人のことが好きなんだね」

「はい!大好きです」


元気よく肯定したアリスに、クレイバーンは苦笑する。

そのリアクションを見て、アリスは慌ててテンションを落ち着けて、少し恥ずかしそうに付け加えた。


「私が勝手に好きなだけなのです。クララ、いえ、その友人には、仲良くしてもらっています」


淡い空色の瞳は、キラキラとよく動く。

アリスの愚直なまでのストレートな好意に心臓を貫かれ、クレイバーンは密かに胸を押さえる。

駄目だ可愛い、と内心噛みしめる。


「クララ嬢を思う気持ちはよくわかった。

ところで、ディラン・マルセルのことはいいのか?

婚約が決まった時、貴方も喜んでいたとお父上から聞いているのだが」

「はい、もういいのです。疲れてしまったので」


少しの躊躇いも見せないアリスに、クレイバーンは、そうか、と短く頷いた。

アリスは苦く微笑む。


「冷たい女だとお思いですか?」

「いや、そこまでは」

「両親にはまだ話していませんが、ディラン様には婚約解消をしてほしいと、既に私からお願いしてあります。でもその後から、やけに構われるようになったのですが」

「迷惑しているの?」

「よくわかりません。2年近く放置されて心が折れた後、急に手のひらを返したように優しくされても困ります。また嫌がらせが酷くなりましたし」


沈んだ表情でを見せるアリスに、クレイバーンは眉を寄せた。

そして、労るようにアリスに声をかける。


「つらい思いをしてきたんだね。

とりあえず、ディラン・マルセルとの婚約解消は、こちらで進めておくよ。その上で私との婚約の話は進めさせてもらうけど、いいね?」


「はい。よろしくお願い致します」


顔は微笑んでいるが、アリスの淡い空色の硝子玉のような目は、どこか虚ろだ。

それを見て、アリスの心はまだ遠くにあるなとクレイバーンは思った。




クレイバーンが帰った後、アリスは家族で昼食をとった。

両親には、2年近く蔑ろにされてきた上にディランのファンのご令嬢達に嫌がらせをされてきたこと、1ヶ月ほど前に心が折れてディランを避けるようになったこと、その少し後からディランに構われるようになったこと、そして婚約解消を願い出たこと等を話した。


両親は全く感知しておらず、驚いた様子であったが、アリスがディランと上手く行っていない、というよりは、婚約していないも同然の扱いを受けてきた事は認識していたため、特に苦言等はなく、「アリスはどうしたいのか?」と心配そうに問うだけに留まった。

そして、伯爵家よりも格上のウェールズ公爵の提案を受け入れ、クレイバーンとの婚約を進めることに異論はないというアリスの意向を確認して、両親は胸を撫で下ろした様子だった。


そして今、アリスは馬車の中で肩を落としていた。

市場で新鮮な苺を購入した後、丁度お茶の時間帯を狙ってクララの自宅であるウェスティン子爵家へ行ってみたが、不在と言われてしまったからだ。

アリスは、応対してくれた使用人と思われる女性にお見舞いの品として持っていった苺を預け、どうかお大事にとお伝え下さいと言伝を頼んで引き下がった。


(クララ、来週は元気になるかな)


もうすぐ3学期が終わり、春休みが始まる。

4月になれば、アリスとクララは3年生だ。



*****



週明け、登校しようと家を出たアリスは、おや?と思う。

今朝は伯爵家の馬車、つまりディランが迎えに来ていなかったからだ。

クレイバーン曰く、ディランとは婚約解消となり、クレイバーンと新たに婚約が結ばれるような話だったとは思うが、それはつい一昨日の話である。


(もしウェールズ公爵家の力だとしたら、流石ね。仕事が早いわ)


アリスは、暫くぶりに家の馬車に乗って登校した。

アリスの家は男爵家、つまり、貴族の中では格が低いため、学園の正門前からはそこそこ離れた場所のロータリーで馬車を止めることになる。

今日、クララは登校しているだろうか。

そんな事を考えながら、アリスは徒歩で教室に向かった。


そしてその日の放課後。

アリスは、人気のない空き教室にいた。

一人で、ではなく、ディランに連れられて、だ。


「アリス嬢、こんな場所で申し訳ないが、少し話がしたい」


こんな場所、といっても、日当たりもよく、綺麗に掃除されている空き教室である。

手入れされた木々と芝生が眩しい中庭がよく見える。

目の前で、金髪青目の王子様が真剣な顔をしている。

アリスは、表面的には穏やかな微笑みを浮かべていた。


「はい。何でしょう」


今日も、クララは学園に来なかった。

体調がまだ戻っていないのだろうか。

それとも、一昨日訪ねた時は不在だと言っていたから、なにか別の理由でもあるのか。


「一昨日、正式にアリス嬢との婚約を解消するようにとウェールズ公爵家から提案を受けた。聞けば、三男のクレイバーンと婚約を結び直すから、とのことだ。これは本当なのか?」

「はい。恐らくは」

「何故急に。君がウェールズ公爵家に頼んだのか?」


はは、と乾いた笑みを零し、ディランは前髪をくシャリとかきあげた。

アリスは、困ったように微笑んで否定する。


「いいえ。私の家に、ウェールズ公爵家と繋がりはありません」

「では何故?」

「私にもわかりません。ですが、ディラン様との婚約も同じでした。マルセル伯爵家と何の繋がりもないのに、ある日突然、ディラン様との婚約のお話をいただきましたので、そんなものなのかなと」


あくまでも平然と、淡々としているアリス。

その様子にディランは焦る。


「それは……!」

「ご存知のとおり、我が家はしがない男爵家です。

伯爵家や、ましてや公爵家からの申し入れに、否やはありえません」

「そうか。それも、そうだな」


ディランは力なく項垂れ、まるで自分が傷付けられたような顔をしていた。

既に諦めと踏ん切りがついていたアリスは、ディランの様子を見て、もう遅いのだと心の中だけで呟く。

アリスの気持ちは、もうディランにはない。

アリスは、ディランに向かってきっぱりと言い切った。


「丁度良かったのです。

私はもう、ディラン様を待つのも、ファンのご令嬢方の嫌がらせに耐えるのも嫌です。

そもそも、平凡な男爵令嬢の私では、伯爵家の嫡男であるディラン様はとは釣り合いが取れませんから。

ディラン様、どうか別の方とお幸せに」


ディランを諦め、既に初恋に別れを告げたアリスの心はとても穏やかだ。

その凪いだ様子に、ディランは愕然とする。

そして、ぐっと眉根を寄せ、切なげにアリスを見つめた。


「もし君につらい思いをさせていたのなら、これまでのことは謝罪する。だが私は、君のことが好きだ」


「……は?」

何を言われたのかわからなくて、アリスは思わず聞き返す。

ディランは、少しバツが悪そうにアリスに話す。


「2年前の入学式の日、私が君に一目惚れをしたから、君のことを調べて婚約を申し込んだんだ」

「そんな……ならばどうして、私は2年も放っておかれたのですか?」


驚きに目を見開くアリスは、久々に人間らしい感情をあらわにしていた。

ディランはそこに一縷の望みを見出したのか、ぱっと表情を少し明るく変えた。


「どうか私に、もう一度チャンスをくれないか」


ディランはそう言って、アリスに躙り寄る。

彼は今、必死だ。

その紺色の瞳は、恋情なのか執着なのか分からない感情をあらわにしていた。


アリスが、一歩、二歩と後退ると、教室の窓ガラスに背中がついてしまった。

思わず脚が震えそうになる。

ディランはアリスの両サイドに手を突き、逃がすまいと追い詰める。

壁ドンならぬ窓ドン状態だ。


「これまでは、君が好きすぎて近付けなかっただけだ。

でもそれは誤りだったと気付いた。

もう二度と傷付けない。君を待たせたりしない。

何よりも優先すると誓うから、私の婚約者でいてほしい」


至近距離で思いの丈をぶつけられる。

経験したことのない距離感と熱量に、アリスは思わず怯む。


「ディラン様、もう過ぎたことです」

「アリス嬢。――いや、アリス」


囁くように甘く名前を呼ばれ、顔を寄せられる。

金の髪と、紺色の夜空のような瞳が下りてくる。


「やめ……っ」


迫りくるディランの整った顔に、アリスはいやいやと首を横に振る。


「アリス。大事にするから」

「や……いやです!」

「アリス!ずっと君を見ていたんだ」


それは、唇が触れそうなほどの至近距離。

しゅる、とアリスの制服の襟に結んであるリボンが解かれる。


「ディラン様!やめてください!」


制止の言葉をかけても、ディランは止まらない。

むしろなにかスイッチが入ったような状態で、ぷち、ぷち、と無心にアリスの制服のボタンを外し始めた。

もう駄目だ。

そう理解した瞬間、アリスの中で何かがプツリと切れた。


「やめて!誰か……誰か助けて!!」

普段のアリスからは想像もつかない大きな声。

取り乱し、必死に助けを乞うような叫びに、ディランは流石に慌ててアリスの口を手で塞ごうとする。


「おい!大きな声を出すな」

「クララ!クララ助けて!クララ!!」


アリスは全力で、心に浮かんだ友人に助けを請う。

その時、バン!と教室の出入り口のドアが勢いよく開いた。


そこには、アリスと同じ制服を着たクララが立っていた。



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