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【第1話】アリスの決意

「は?何言ってるのアリス。本気?」

「本気よ。もう好きなのをやめるわ」


お昼休み、貴族の子女が通う学園の中庭にて。

ピンクブロンドの緩やかなウェーブがかったロングヘアに、くるりと丸い空色の瞳が印象的な男爵令嬢アリスは、親友の質問に対して神妙な面持ちで頷いた。


「一体どうするつもりなの?」


親友の子爵令嬢クララは、オレンジともゴールドとも言える琥珀色の瞳でアリスを見つめ、大きな溜息をついて腕を組んだ。

サラリ、と長めの漆黒の髪が流れる。


「どうって、どうもしない」

「?」

「ディラン様になるべく会わない。目が合ってもニコニコしない。もし話しかけられたら最低限の会話はしようと思うけど、まぁ話しかけられることなんてそもそも今までなかったから、これからもないかなって」


泣き喚き、ヒステリーを起こすでもなく、ちょっと泣きそうな顔をしつつも淡々と対策を述べる言うアリスは、大人だなとクララは思う。

そして心配にもなる。また無理をしていないか。我慢しすぎていないかと。


「それだけ?」

「うん、それだけ」

「いいの?あんなに格好良いって言ってたのに。初恋なんでしょ?」


アリスとクララは、学園に入学したときに席が近かった上に、お互いに友だちなり取り巻きなりがいなかったことをきっかけに、自然と仲良くなった。


アリスの婚約者のディランはマルセル伯爵家の長男で、アリスとクララより一つ年上の三年生だ。

性格がいいのか悪いのかは判断不能だが、文武両道のイケメンである。

そして天然タラシ野郎だった。

但し、自ら進んで女誑しをしているというよりは、自然に女性が寄ってくるが嫌な顔一つせず愛想を振りまいてキャーキャー言われている、というだけではあるが。


「好きだったと思う。

今も、全体的に見た目が好みなのは間違いないの。

でも、婚約してからずっと放置されたままで、よく分からなくなったっていうか……」


苦笑するアリスに、クララも苦笑して同調する。

因みに、アリスもクララも控えめに言ってかなり可愛い。

男爵令嬢アリスは、小柄だが女性らしい容姿に、小動物のように愛くるしい目鼻立ちをしている。

成績は中の上だが、真面目で優しい女の子だ。

なお、子爵令嬢クララは、背が高くスラリとしたキツめの美人といった風貌で、学年でベスト3に入る成績優秀な才女である。


「あー、まぁそうなるよね。

もしかしてお互いに一目惚れみたいなものなのかな、と思っていたけど、その後がね」




アリスがディランを素敵だと思ったのは、学園の入学式だった。

当時アリスは13歳、ディランは14歳である。

道に迷っているアリスに声をかけ、親切に会場まで案内してくれたのが、金髪に濃紺の目をしたディランだ。

今思えば、天然タラシ野郎なので息をするように自然にそういうことをやってのけたのだと分かるのだが、当時はそうとは思わず、ただそれだけでアリスはディランに恋をした。


その後は、毎日毎日学園でディランを探した。

姿が見えると嬉しくて、でも声をかける勇気がなくて、アリスは少し離れた場所からはにかんだ笑顔でディランに会釈をしていた。


最初は少し驚いた顔をしていたディランだったが、2回目からは微笑み返してくれたり、手を振り返してくれるようになって嬉しかった。

ディランは同性の友人といることも多かったが、女性の取り巻きのような人達に囲まれていることも多く、流石にあの気合いに満ち満ちた女性たちの中に入るのはなぁとアリスはひよっていた。


そんなある日、アリスの家に伯爵家から婚約の申し入れが届き、アリスは目を剥いた。

同時に、もしかしたら好意を持ってもらえたのかもしれないとも少し期待した。


両親は驚きつつも大喜びで、すぐさま快諾の返事をしていたように思う。 

無論、格下の男爵家から伯爵家からの婚約の申し入れを断るなどというのは、余程の事情がない限りできるはずもないのだが。


これが、約2年前のこと。




「あれ?止めないの?」

「止めないよ。だってずっとアリスを見てきたから、そろそろ気持ちが折れるのもわかる気がするもの」


クララは微笑んだ。

そして、励ますようにアリスの背中をぽんぽんと叩いた。

「クララ。ありがとう」


クララの言葉通り、アリスの心は少し前に完全に折れた。

特にこれと言ったきっかけがあったわけではない。

単に、待ちくたびれたのだ。


ディランとアリスの婚約が成ってからも、ディランの態度は何一つ変わらなかった。

お茶やデートに行くわけではなく、アリスを優先してくれるわけでもなく、贈り物や手紙などもなく、そもそも、言葉をかわすことすらなかった。


目があったとき、微笑んで会釈する。

たまに手を振ってもらえる。ただそれだけだ。


少しくらい会話してみたいなと思っても、格下かつ年下の貴族令嬢から積極的にいくのは、相当の勇気が必要だ。

そんなこんなで、引く手数多のはずのディランとの婚約と言われてもピンとこず、そもそも何故自分が婚約者に選ばれたのかも分からないままもうすぐ2年だ。

アリスはずっと、婚約者としては遠すぎるディランとの距離感を保ち続けていた。

婚約している、という書面上の事実は確かにあるけれども、本当にただそれだけだ。


「まぁ、反応がなければ現状維持だし、怒られたり喧嘩になったら話し合えばいいし、最悪婚約破棄になっても次を探せばいいじゃない。問題なしよ。

相手が見つからないなら、究極的にはうちに来るのはどう?面倒見てあげるから」


クララの家は子爵であり、男爵家であるアリスの家より格上である。

クララ曰く、貿易と珍しい外国の商品を扱う商店を営んでいるらしく、子爵クラス以上の貴族との付き合いが相応にあると言っていたのを思い出す。

その伝を頼って、クララも納得の別の誰かを紹介してもらうのも悪くないかもしれない。


「ふふ、ありがとう。じゃあ困ったらお世話になっちゃおうかな」


アリスを励まそうとしてわざと明るく言うクララに、アリスは笑みを零した。

クララはいつだって優しい。賢くて、気さくで、欲しい言葉をくれる大切な友人だ。


「よく考えてみれば、人気者のディラン様と婚約なんて無理があったのよね。

ディラン様は伯爵家の跡取りだし、そもそも、私には荷が重かったのよ。

今まで色々悩んだけど、疲れたからもう終わりにしたいの」


そう言って、アリスは微笑んだ。

その笑顔は、諦めと共にどこか吹っ切れたような色をしていて、クララは少しほっとする。

そして、アリスを応援しなければ、見守らなければと決意を新たにして、数秒後にはたと我に返る。


「それで、婚約はどうするの?」

「一旦は保留。というか、現状維持しかないと思ってる。男爵家から伯爵家に、正式に何か言うのは難しいでしょ?致命的な何かがあったわけでもないし」

「確かにね。身分というのは難しいものね」


まだ婚約者のいないクララは、ううむと眉根を寄せ、しみじみと頷いた。



*****



「何故、避けられているんだ」


ディランは悩んでいた。そして落ち込んでいた。

2週間前くらいから、アリスと目が合っても無反応になった。

1週間前には、目も合わなくなった。なんなら、姿を見かけることすらない日もある。


「お前が婚約者っぽいことしないからだろう?」

「婚約者っぽいことってなんだ!?」

「だから、前から言ってるだろ。二人で一緒に登下校するとか、お茶するとかさ」

「――っ、そんなこと、できるはずがない!」


ディランは、友人のラウルに言われたことを真っ赤な顔で拒否した。


「なんでだよ」

「二人きりでそんな……破廉恥だ」

「どの口で言ってんだよ。毎日毎日沢山のご令嬢に囲まれてニコニコ愛想振り撒いておいてさ」

「彼女らはただの人間だ!特別な女性ではないし、二人きりにもならない」

「じゃあアリス嬢は違うのか?」

「あたりまえだ。さもなくば婚約を申し込む筈がない」

「それを本人に言えばいいのに」


ラウルは、謎の古風さと情熱を語るディランを目にして大きく溜息をついた。


「何事もなければこのまま結婚できるだろうけどさ、アリス嬢、ちょっと可哀想だと思うよ。男爵令嬢から、お前に話し掛けることも難しいだろうし」

「……」

「急に態度が変わったとなると、現状に嫌気が差したのか、好きな人でもできたのか、まぁ何かあるんだろうな」

「嫌気……好きな人……」


つぶやくように復唱して、ディランは真っ白になった。

金髪に紺色の目を持つ長身の美丈夫は、虚空の一点を見つめて呆然としている姿すら絵になる。

単なるヘタレの癖にカッコイイとか意味不明だわ、とラウルは苦笑いだ。


「アリス嬢は可愛くていい子だから結構人気あるし、もし相手がお前と同じ伯爵家以上なら、婚約を白紙に戻して、好きな人とやり直せるんじゃないか?」

「婚約を白紙に、だと?」


真っ白を通り越し、灰になる勢いで表情をなくすディラン。

ラウルは励ますように言った。


「いや、例えばの話だよ。でもさ、どうせ嫌われてフラれるならもっとグイグイいっとけば?」

「グイグイか。嫌がられないだろうか」


「もう嫌がられてるから問題ないだろう。

現時点で失う物無し!取り敢えず他の子に愛想振りまくのやめて、アリス嬢に婚約者らしいことしてあげたら?」


がんばれよ、とラウルはディランの背中をぽんぽんと叩く。

ラウルの言っていることが寸分の疑いもなく正しいと思えてしまうあたり、ショックと悩み過ぎでテンションのみならず思考能力も低下しているのかもしれないと思った。

思ったがしかし、他に名案は浮かんでこず、ディランは溜息をついた。

二人は次の授業の予鈴を聞き、教室へ向かって歩き始めた。



*****



ある日の放課後、アリスとクララは校舎を出たところで驚愕に目を見開いていた。

何故ならあのディランが、2年間1ミリも距離を縮めようとしてこなかったアリスの婚約者が、アリスとクララを見つけた瞬間、自らこちらへ近づいてきて、話しかけてきたからである。


「アリス嬢、自宅まで送らせてくれないか?」


これは天変地異の前触れか。

それとも、誰かに何かを吹き込まれたのか。

爽やかな笑顔に暫く見惚れた後、アリスはギギギと音が出そうな動きでクララを見た。

クララはクララで、石像のように固まっている。


「すまないが、アリス嬢との時間を譲っていただけないだろうか」


ディランは、やんわりと申し訳無さそうに微笑んで、紺色の瞳を和らげた。

サラリと流れる金髪。

クララはハッと我に返り、ブンブンと音が出そうなくらい首を縦に振った。


「どうぞ、私はいつでも会えますから。では、御前失礼致します」

「えっ!?ちょっと、クララ!」


いい笑顔で一息にそう告げて、クララは長い脚でスタスタと校門に向かって歩き始めた。

アリスの声が聞こえているのか聞こえていないのか、クララは振り返らない。

残されたのは、アリスとディランである。


遠くなるクララの後ろ姿を見送り続けるわけにもいかず、沈黙も痛くて、アリスはディランを上目遣いにチラッとを見た。

ディランの身長は、アリスより頭2つ分近く高いので見上げる形だ。

そしてアリスは驚いた。

ディランと目があった、というか、ディランがアリスを見ていたからだ。


「では行こう」


ニッコリ、と言う形容詞にふさわしい王子様スマイルで、ディランはアリスの肩を抱いて歩き始めた。

アリスはされるがままになっているが、内心かなり混乱していた。

伯爵家の馬車に乗り、二人きりになったが、ディランの視線を向かい側の席からビシバシ感じる。

沈黙が痛い。酸素が薄すぎる。

アリスは耐えられなくなり、声を上げた。


「あの!どういう風の吹き回しでしょうか」


ディランはぱちくりと瞬きをして、正面のアリスを見ている。

その後に訪れたのは、またしてもシンとした時間。

急に待ち伏せされて、馬車に乗せられ、ひたすらに無言。

新手の嫌がらせか何かなのかな、と思うほどには、アリスにとってストレスを感じる状況だ。


「ディラン様?」


二人きりの馬車の中ということもあり、不敬を恐れずにアリスは声をかける。

再度の問いかけにディランははっと我に返り、アリスと目があった瞬間、ふいっと顔を背けてしまった。

先程までのにこやかな王子様モードは完全に消えている。

アリスの気持ちはますます萎えた。

そして、腹が立つのを通り越して、やはりそうかと残念な気持ちになった。


「あの、そんなにご無理をしていただかなくても大丈夫です。婚約は、なかったことにしていただければと思いますので」

「なっ……」

「私の両親には、私から話しておきます」

「君は、私との婚約が嫌なのか」

「いえ、そういうわけではなく。ディラン様には、もっと相応しい相手がいらっしゃると思います」

「君がいい」


キミガイイ。君がいい……だと!?と脳内で反芻して、アリスはイラッとして、どこか遠くを見つめるような目になった。


「それ、本気で仰っていますか?」


声のトーンが下がり、口調も少々雑になったアリスに、ディランは不思議そうな顔をしている。

アリスは平民上がりの男爵令嬢のため、素が出るとこの状態である。

アリスは、自分を落ち着けるように一つ大きく深呼吸して思いの丈を口にした。


「婚約してからもうすぐ2年ですが、これまで、何ひとつそれらしいことはありませんでした。

目が合う。ただそれだけでした。

まともに言葉をかわすこともなかった。

それなのに、今更君がいいと言われても理解できません。

この状況で、ハイそうですかと言う人は、普通いないと思います」


自分の怒りや悲しみを抑えきれず、思わずアリスはたくさんの言葉を吐き出してしまった。

奥ゆかしいアリス、つまり、遠くから恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにはにかむアリスしか知らないディランは、少し驚いた様子でアリスを見ていた。

驚いた顔も綺麗とは、イケメンは得である。


(これでもうおしまいね。お父様、お母様、喜んでくれていたのにごめんなさい)


心でそう唱えて、瞬きの間ほど短く、感傷に浸る。

そして、アリスはにっこりと、自分史上最高に爽やかな笑顔を浮かべて言い放った。


「お手数をおかけしますが婚約解消をしていただきたく、よろしくお願い致します」


もう、アリスの胸に悲しみはなかった。

ただ清々しいだけだ。

その後は、ディランもアリスも口を開くことはなかった。

アリスが窓の外を見ている間に、二人が乗った馬車はアリスの自宅前に到着した。



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