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君の名は。

ちょっと長めです。


 ベアトリーチェは、2回目のお茶会の後も、皇太子の婚約者候補に残った。知らせを受けた時、両親と兄弟が驚愕のあまりしばらく動かなかったほどだ。

 あの男勝りなベアトリーチェが残るとはだれも思っていなかった。本人以外は。

 奇跡が起きたと連絡を受けた家庭教師たちも大喜びだった。もしかしたら婚約者になれるかもしれない、という期待から、その後の教育が厳しくなってしまったが。


 ベアトリーチェは残るべく努力をしていたのだから当然だと思っていた。皇太子なんかどうでもいいが、彼女と会うためには城に行く必要がある。子供の時分では、それしか城に行く手段がないのだから、頑張るしかない。


 しかし最終目標は彼女の護衛になる事だから、早朝と夕方前からの自由時間に剣の訓練に励んだ。乗馬も時間を増やした。護衛騎士になれたら彼女が移動する馬車を、馬に乗って護衛しながら移動するのだ。どんな場面でも付いて行かなければいけない。


 婚約者候補の為の勉強の一環で、ダンスも始まった。当然女性パートを踊らなくてはならないのだが、講師に男性パートも踊ってみたいと頼んでみた。すぐに必要ないと断られたが、男性側の動きが分かれば踊りやすくなるからと適当に理由を付けたら、しぶしぶだったが、基礎だけなら、と教えて貰う事が出来た。

 基礎さえ覚えれば、後は男性役と組んで踊った時に、男性側の動きを見て覚えればいい。いざという時には彼女と踊って彼女を守るのだ。ベアトリーチェは男女両方の基礎を交互に教わっていった。


 皇太子とのお茶会は、三週間後に開かれた。半数に減った令嬢たちは、皇太子の周りに集まって、自分こそ皇太子妃にふさわしいとさらにアピールを始めた。ベアトリーチェは最初に挨拶だけして、あとは遠巻きに見ながら茶を飲んでいた。

 残った令嬢たちの中にいも大人しい令嬢たちはいて、ベアトリーチェ以上に存在感のない令嬢もいた。どういう基準で令嬢を残しているのかは分からないが、そんなにアピールしなくて良いのなら楽だなあ、と思いながらも、落とされたら彼女に会えなくなるから、適当に存在アピールしなければいけないのが、ベアトリーチェには苦痛だった。


 


 そして3回目のお茶会の後、とうとう婚約者は3人にまで絞られた。そしてその中に、ベアトリーチェは残ったのだ。



*******


 いつでも茶会の後、すぐには彼女は現れないが、それでも森の入り口まで行ってしまって戻ってくると、彼女はそれまで少しの間だが待っているらしい。しかし点在する木の近くにいると、彼女は来ない。

 きっと来るところを見られたくないのだろう、と点在する木々の空間からは少しだけ離れたところで、城に背を向ける形で素振りをして待っていると、森まで行って戻ってくるよりは早くに彼女に会えることが分かった。

 そのうちには素振りをしていると彼女から声を掛けてもらえることもあったし、そのままその背中を眺めていた、と言う事もあった。


 ある時には彼女が花冠を作っていた。その時ベアトリーチェは草原を走っていたのだが、彼女を見付けて急いで近くへ行った。

 白い花を器用に編む彼女を、ベアトリーチェは綺麗だなとぼうっと見ていた。そして出来上がった花冠を彼女がベアトリーチェの頭に乗せた時はどうしようかと思ったが、似合うと笑ってくれたのでそのままにしておいた。

 そして彼女に作り方を教えて貰い、その場の花を摘んでせっせと作ってみた。

 不器用なベアトリーチェだから彼女が作っていたようには上手く作れなかったので、自分の不器用さを思わず嘆いてしまった。


「はあ、全然できません」

「ふふふ、はじめてならそんなものですよ」

「……練習してみます」

「それが良いですね」


 本来ベアトリーチェは花にも花冠にも興味などない。だが、花冠を編んでいた彼女はとてもきれいだった。自分の頭に乗っている花冠を、彼女がしたらどれだけ美しくなるのか。しかし貰ったものを返すのは失礼だし、なにより彼女から貰ったものだ。ベアトリーチェの中では宝物と同じ扱いになっている。


 その日はそれで別れたが、屋敷に帰ってから、侍女に頼んで花冠を作れそうな花を用意してもらい、練習した。いきなり女の子らしい事を始めたベアトリーチェに家族も使用人も仰天したが、やはり皇太子との見合いのせいかと勝手に納得してくれた。

 もっともその時にベアトリーチェが着ていたのは、自室用の令息が着るようなズボンスタイルだったのだから、そんな事はないとわかるはずなのだが、ベアトリーチェの男装は、すでに屋敷では当たり前の風景だったので、誰も疑問にも思わなかったようだ。

 

 次の茶会の日、ベアトリーチェは他の二人の候補者が皇太子に一生懸命アピールしているのを尻目に、そっと早めに茶会を辞した。早めにとはいっても茶会の3/4は出席している。ほぼ終盤だ。ここで抜ける程度なら失礼には当たらない。

 令嬢二人はかわるがわる、皇太子に喋らせない勢いで話をしているので、失礼する旨の声を掛けるタイミングがない。仕方がないのでそっと立ち上がり、そっとカーテシーをして、そっと立ち去った。

 きっと気が付いたのは皇太子だけだ。だが彼も何も言わなかった。いや、言えなかっただろう。令嬢二人の波状攻撃を食らっている最中なのだから。


 そしてベアトリーチェはいつも通り着替えると、花の咲いている木の下で、花を摘みながら彼女を待つことにした。

 どれだけ時間がたったのか、うっかり手元に集中していたのだが、カサリという音で後ろを振り向くと、彼女が立っていた。ちょうど来てくれたタイミングだったようだ。


「お待ちしておりました」


 そうベアトリーチェが声を掛けると、彼女は少し妙な顔をした。なにかと思ったが、すぐに彼女は表情を戻して、いらしていたのですね、と言う。


 ベアトリーチェは体の向きを変えて、手の中のものを彼女に捧げるように差し出した。


「これは?」

「前回から、毎日練習しました。ようやくまともなものが出来るようになりました」

「そうですね、綺麗にできていますね」


 前回教わった花冠を、ベアトリーチェは作りながら待っていたのだ。その花館を差し出すと、彼女は戸惑っている。もしかして、王族はこんな程度のものでも簡単には受け取れないのか、と考えたベアトリーチェは、慌てて説明した。


「これはここの花を使って作ったものです。変なものはいれていません」


 そう言いながらベアトリーチェは自分の頭に乗せて見せた。食べ物なら毒見がいるのだから、乗せて見せれば安全だと分かってもらえるだろうと。

 そのベアトリーチェの行為を彼女は唖然とした顔で見て、すぐにフッと笑った。


「そのような心配はしていませんよ。ふふ、綺麗ですね」

「はい、上手くできましたから」


 またも彼女はおかしそうに笑い、ようやくベアトリーチェの前に座った。そこでベアトリーチェは頭から花冠を取り、捧げ持つようにしながら、彼女の頭にそれを乗せようとした。

 ふと不敬かという思いもよぎったが、彼女が頭を差し出してくれたので、そっと乗せる。


「……お美しい」

「花冠がね?」

「いいえ、あなた様がです。本当によく花冠が似合います。私の作った不格好なものでなければ、花の妖精かと思うほどです」

「……」


 彼女は目を丸くして、ゆっくりとほほ笑んだ。


 ベアトリーチェは、この瞬間に、彼女に恋をした。


***

 

「そろそろお名前を教えていただけませんか?」


 初めて彼女に出会ってから半年が経った。登城して、いつもの時間に、草原でベアトリーチェは彼女と会っていた。ベアトリーチェは無口な皇太子には興味が無さ過ぎて、何かを知ろうとは思わなかったが、彼女の名前は知りたかった。

 だが名前を聞いてしまうと、王族の誰かが分かってしまう。そうなるともうこんなに気軽に話を出来ないのでは、という恐れがあったのだ。

 それでも名前を知らないのは切ない。半年も会って話をしていたのだ。そろそろ教えて貰っても大丈夫ではなだろうか、とベアトリーチェは恐る恐る訪ねてみた。

 彼女は持っていた本をパタンと閉じた。


「名前? ジョアンナと呼んでください」

「ジョアンナ様……!」


 あっさりと教えられた名前を、ベアトリーチェは復唱した。

もしかすると本名ではないのかもしれないが、それならそれで、ベアトリーチェだけが呼べる名前だ。とても嬉しい。


「私の名前を知った事が、そんなに嬉しいの?」

「はい!」


 満面の笑みを浮かべたベアトリーチェに、ジョアンナも微笑んでくれる。ベアトリーチェは思い切って彼女に伝えた。


「ジョアンナ様。私はこれから、毎日登城することになりました」

「……騎士見習いにでもなったのかしら?」

「……似たようなものです。アフタヌーンティー時間の後は自由時間なので、ここに来る事が出来ます。ジョアンナ様がもし、お時間ありましたら、お会い出来たら嬉しいです」

「そうなのですね。私は毎日は無理だと思うけど、ベネデッタが毎日ここに来るのなら、今よりは会えると思います。でも訓練をさぼるようなら、私はお会いしませんからね?」

「絶対にさぼりません! 頑張ります!」


 自分が皇太子妃候補というのは、なんとなく言えなかった。ジョアンナが王族なら、そのうちには自分の話を聞くこともあるだろうが、名前も姿も変えているからしばらくは分からないだろう。

 皇太子妃と言う事は、序列から考えたらジョアンナの上になる可能性が高いのだ。彼女が面白くなく思うかもしれない。


 ベアトリーチェはジョアンナに会ったあと、何度となく現王家の家族構成を調べてみた。だがジョアンナに条件の合う女性の存在は確認できていない。

 少なくとも皇太子に女性の兄弟はいないし、王位継承者の中にもいないのだ。

 まあ貴族の中にも、家族でない兄弟がいることは珍しくない。ジョアンナももしかしたらそういう存在なのかもしれない。だからと言ってベアトリーチェには関係ないが、彼女が嫌な思いをするのは嫌だったので、なんとなく誤魔化してしまった。


 名前を教えて貰って、いつも通りに短い時間のおしゃべりを楽しんで、いつも通りに彼女を見送った。それでも今日は名前を教えて貰えた、とベアトリーチェは静かに興奮しつつ、帰途に着いた。



 思い切って名前を聞いたこの日、実はベアトリーチェは正式にジョバンニ王子の婚約者になったのだ。


「インフェルボラート公爵家令嬢ベアトリーチェを、 リチェンツァ王国第一王子ジョバンニの婚約者とする」


 この日の午後、謁見の間で父親の公爵と共に、ベアトリーチェは国王から勅令を受けた。

 これでベアトリーチェは正式に、皇太子の婚約者になった。どうして皇太子が自分を気に入ってくれたのかはさっぱりわからない。


 前回の茶会の席で、皇太子の好きな菓子をベアトリーチェが知らない事が二人の令嬢にバレて、皇太子を前にさんざん責められた。ベアトリーチェは聞き流していたのだが、目の前の皇太子は何も言わずにただ茶を飲んでいたので、それでああもうこれで終わりだなと思った。それは構わないのだが、ジョアンナにお別れを言わなくてはいけないのかとへこんでいたら、茶会の後で皇太子の従者に呼ばれて行った部屋で、皇太子がベアトリーチェを選んだと告げられたのだ。


 あまりに驚いてしばらく唖然としてしまったが、これから毎日城に来て王妃教育を受けてもらうと説明され、面倒だけれどもこれで毎日彼女に会えるのだと思うと、嬉しくて嬉しくて思わず満面の笑みで握った右手を上に突き出してしまった。

 それを見た従者に、令嬢ならざる所作だが、婚約者になれたことがそんなに嬉しかったか、と誤解されたがどうでもいい。


 どうせ詳細はあとから書面が家に送られるのだ。それよりも早く彼女に会いたかった。そして頻繁に逢えるのなら、名前を知りたいと思ったのだ。そして予想外にあっさりと教えて貰い、詳細は語れなかったけれど毎日城に来る事は伝えられた。


 そして本日、城にて父親共々勅命を受けた。これから王妃教育が毎日始まる。大変だがジョアンナに会えるのならば頑張れる。


 ベアトリーチェは数少ないドレスの中でも一番良いドレスを着用し、腰まである長い髪も三つ編みにした上に結い上げ、あちこちに花で飾った。この1年でドレスでの動きにも慣れてはきたが、家庭教師からはまだまだと言われている。


 それでも精一杯のカーテシーを披露し、父と共に勅命を受けた。それが終わった後、色々と顔合わせがあったりして、ようやく用事が済んだらちょうどいつも彼女と会う時間になっていた。

 そして思い切って名前を聞き、今に至る。


 **


 次の日からすぐに王妃教育が始まった。


 週に5日、午前中に3教科の講義がある。1教科40分ずつ。次の講義までに20分の休み時間がある。1時間で一枠だ。教科は歴史や地理、法律、数学、言語、文学、その他を学んでいく。

 そして昼食をはさんで、午後はマナーやダンス、刺繍や乗馬などの実技が日替わりであり、王妃と3時のお茶を過ごしたら解散だ。


 ベアトリーチェはジョアンナに会いたい一心で、今までも基本的な教科は家でも必死に学んでいたので、それは問題がなかった。講師陣もよく学べていると褒めてくれた。乗馬はもともと普通の令嬢以上にのれているから問題がない。


 問題は刺繍とマナーだった。だいぶ改善していたものの、上位貴族としてもまだまだというレベルだったそうだ。マナー担当の講師には一挙手一投足注意が入り、それが体力を削ったが、剣で鍛えていたおかげで何とか乗り越えられた。そうでなければカーテシーの練習でもふらついただろう。

 

 ベアトリーチェは今でも皇太子妃には興味がない。いざとなったら無理でした、と逃げる気満々だったりもする。最後まで一緒だった二人のどちらかならば、自分などおよばないほどにマナーは美しかったのだから、変わってもらっても王妃教育も短期間で済むだろう。

 

 何よりもジョアンナに会いたかった。だから短期間で『婚約者にはふさわしくない! あしたから来なくていい!』などと言われないように、そこそこ頑張った。

 その為だけにベアトリーチェは王妃教育を頑張った。本当は動きたくてたまらないのに、じっとしてしおらしくした。講師に言われたとおりに笑顔を張りつけ、感情を表に出さないようにした。

 ドレスも美しく着るためにコルセットで腰回りを締め付けた。そんな事をしたら走れないのだが、昼間は仕方がないと我慢した。


 そして王妃とのお茶会終わり、解散となると一目散に庭に出て行った。


 王妃教育が始まると、不思議なことに皇太子と会う機会は激減した。あちらはあちらで帝王教育で忙しいらしいし、もう決まった相手にわざわざ会わなくてもいいという事らしい。月に1度は皇太子との茶会の機会が設けられたが、皇太子よりもジョアンナ命! のベアトリーチェは、そんな時間は無駄でしかなかった。

 運が良いのか悪いのか、それはどうやらあちらも同じようで、3回に2回は皇太子の体調不良で取りやめになる。そうすればそのまま自由時間になるから、ベアトリーチェは表面は無表情で、しかし内面で喜びを爆発させながら、伝えに来た従者に分かりました、どうぞお大事にとお伝えくださいとしおらしく返事をし、従者が帰った途端に庭に走り出すのだった。


 婚約者となった今、いちいち着替えに控室に行くのも面倒だし、騎士風の姿を周りに見られるのはよろしくない。ベアトリーチェは、庭を走り回っている時に見つけた整備用の小屋に、自分の服を一式隠していた。そしてドレスのままそこに飛び込み、手早くスカートを脱ぎ、汚れないように袋に入れておく。髪も解きやすいように作ってもらっている。そして手早くポニーテールに結ぶことも覚えた。隠してある袋には、上に羽織るコートを入れてあるのでそれを羽織れば、ベネデッタの完成だ。

 そしてさらに練習用の木刀も隠してあるので、それをもっていつもの庭に出る。


 王妃教育が始まってからはすっかりと体を動かす時間が減ってしまった。まずは庭の外周にそって走り込む。本当はすぐにあの木の下に行きたいけれど、この時間にまっすぐ行ってもジョアンナは来ていないのだ。

 だからこの時間を利用して走り込む。そして素振りをし、また走り込んでから行くと、高い確率であの木の下にジョアンナが座っているのだ。しかも簡単なお茶セットを持ち込んでくれている。


 軽く汗をかいたベアトリーチェを、彼女が刺したという刺繍付きのハンカチで汗をぬぐってくれ、手ずから入れてくれたお茶を頂く。

 王妃との茶会など、緊張しすぎてお茶の味など分からない。だがジョアンナのお茶は非常に美味しかった。スコーンなどの軽食があることもある。それらを一緒に食べるしあわせ。


 そう、ベアトリーチェは紛れもなく、ジョアンナと一緒にいるこの時間が幸せだった。そしてジョアンナも嬉しそうにしてくれている。それがベアトリーチェの幸せだった。



 時には、二人でダンスをした。

 この国では年に一度は城で大規模パーティが開かれる。その中で国中の貴族令息令嬢を集めたダンスパーティが開かれる。デビュタントとは違うものだが、デビュタント前の者と後の者は開催日が別れている。ベアトリーチェも幼少時からデビュタント前の部に出席していた。その時のパートナーは父親や兄たちだったし、ダンスは苦手だからと逃げていたが、今回はそういう訳にはいかない。

 皇太子とベアトリーチェは、3日間行われるパーティに出席しなければならず、当然ダンスも披露しなくてはいけなかったのだ。

 そこで猛特訓をしていたのだが、そんな午後に草原でジョアンナを待ちながら、ベアトリーチェは一人、ダンスの練習をしていた。


 そして気が付けば後ろに来ていたジョアンナがニコニコしながら見ていたので、恥ずかしかったベアトリーチェはジョアンナをダンスの練習に誘った。

 良いですよとにこやかに手を差し出したジョアンナの手を、ベアトリーチェは恭しく取り、左手でジョアンナの右手を取った。

 それにジョアンナが不思議そうな顔をするが、そのまま肩の後ろに手を添える。


「ベネデッタ、それは男性側のホールドでは?」

「そうですが?」


 二人の背はさほど違いがない。それにベアトリーチェは今、ベネデッタに変装中で、相手はジョアンナなのだからベネデッタが男性側になるのは当然だろう。

 小首をかしげたベアトリーチェに、ジョアンナは同じように小首をかしげていたが、すぐに納得したらしく、そっとその左手をベアトリーチェの腕に添えてきた。


 音楽はないが、二人でカウントをして踊り始めた。

 ベアトリーチェは、いつもの練習ではひたすら足を見ないように、それでいて講師の足を踏まないようにひたすら気を付けていた。

 だが、今の相手はジョアンナだ。こんな近くで手をつないでいるなんて、僥倖以外のなにものでもない。ベアトリーチェはじっくりとジョアンナの目を見つめながら踊った。

 

 最初、ジョアンナは踊り慣れていないと言っていたし、実際に動きがぎこちなく、足元を見てばかりいたが、すぐに思い出したのか、軽やかに踊り出した。男性パートを踊るベアトリーチェの方が戸惑うほどに。

 しかしジョアンナがリードしてくれて、ベアトリーチェも講師の動きを思い出しながら踊り始めると、驚くほどに踊りやすかった。ベアトリーチェだけでなくジョアンナも、踊りながら楽しいと微笑むほどに。

 二人は時間を忘れて踊り続けた。途中からは決められたステップではなく、自由に踊った。ちょうどジョアンナが着ているドレスの裾が、ターンをすると綺麗に広がるので、ジョアンナの負担にならない程度に回してやると、珍しくも全開の笑顔で喜んでくれた。

 ベアトリーチェも嬉しくて、草原という足元が良くない状態でも踊り続けた。


「もう踊れないです」

「私もです」


 ジョアンナがそういうまで、二人は踊り続けた。その言葉を機に踊りを止めたが、その時には二人とも荒い息をつきながら、その場に座り込んでしまった。

 

 楽しかった。ダンスがこんなに楽しいとは、知らなかった。はあはあと息を乱しながらも、二人は笑っていた。ようやく息が落ち着くと、ジョアンナが言った。


「それだけ踊れていれば、今度の城でのパーティは大丈夫でしょう」

「ジョアンナ様が相手だから上手く踊れたのです。」

「私もあなたが相手だから上手く踊れた気がします」

「ありがとうございます、嬉しいです。ジョアンナ様はパーティには出席されるのですか?」

「ああ……、うん、そうですね。顔は出しますけれど、お会いすることはないと思います」

「そうなんですか? ……残念です」


 もし会場で会えたとしても、ベネデッタではなくベアトリーチェとして会う事になるから、ジョアンナは分からないだろうし、ベアトリーチェも話しかけられないだろう。

 ああ、早く皇太子の婚約者など辞めて、ベネデッタの護衛になりたい。許されるのならば、こうしてダンスの相手もしていたい。


 その為に、今度のパーティは成功させなければならない。お前では婚約者は務まらないなどと評価されたら、ジョアンナの側にいるどころか、近づくことすらできなくなってしまう。ベアトリーチェはそう考えて、決意も新たにしたのだった。


**

 

 ある時は、二人で木の下で茶会をした。皇太子との茶会がいつも通り流れ、そこで出るはずだった軽食を持って帰るように言われた。

 ベアトリーチェはそれをそのまま持って、いつもの草原へ行ってみた。すると、珍しくもジョアンナが先に待っていてくれたのだ。しかもテーブルと椅子が持ち込まれていて、テーブルの上には花瓶が飾られ、さらには茶も用意されていた。


「こ、これはどうしたのですか、ジョアンナ様。」

「今日はいい天気だから、たまにはお茶でもどうかと思って」

「私と、ですか?」

「他に誰かいる? あ、もしかして、私とお茶は、嫌だった……?」

「そんな事はありません! ぜひともご一緒させてください!!」


 食い気味に答えると、その勢いに驚いたようだが、すぐに微笑してくれた。そこでベアトリーチェは持っていた軽食をテーブルに置いた。


「頂き物ですが、ジョアンナ様と食べたくて持ってきました」

「美味しそうですね」

「まず私が先に毒見をしますね」

「……そんな事しなくていいのに」

「ダメです。……大丈夫です。よろしければ、どうぞ」

「ありがとう」


 ジョアンナはサンドイッチを摘まんだ。そのしぐさがとても優雅だ。やはり王家の人は格が違うというか、自分とは比べ物にならないほどに、存在自体が優雅だ。

 ベアトリーチェも日々の指導を思い出しながら頑張ってみたが、どうしたって『頑張っている感』が出てしまう。ジョアンナのように自然には出来ない。


 お茶を飲む動作もそうだ。音一つ立てないのは貴族ならば当たり前のマナーだが、実際にやるのは非常に難しい。カップの取っ手を摘まむのだって、結構な力がいる。ベアトリーチェはどうしても少しは震えるそれを、ジョアンナは全く震えずに、実に自然に口元へ持っていき、ソーサーに戻している。


 講師以上に優雅だ。まるで王妃様のようだ。なんて美しい。


 今後もジョアンナの側に居たいのなら、彼女に恥をかかせないように、自分ももっとマナーを学ばなくては。ジョアンナが綺麗にサンドイッチを食べるのを見ながら、ベアトリーチェは決意を新たにしていた。



 **


 ある時には、ジョアンナがベアトリーチェの剣の練習を見たがった。とはいえ相手がいるわけではないので、見せられるのは剣舞しかない。

 剣の代わりの木刀で、ジョアンナの前でゆっくりと剣舞を舞う。

 ベアトリーチェの舞う剣舞は、宗教や信仰とは関係がない、いわば攻撃の型をゆっくりと舞踏のようにまとめたものだ。この動きを素早くやれば、実際の戦いにも使える。

 本来は音楽に乗せて優雅に舞うのだが、ここには音楽がないから、自分のタイミングで舞う。


 ベアトリーチェの舞は、独特だった。仮想敵と共に打ち合い、離れ、また打ち合う。剣を流し、切りかかり、払う。そして実にのびのびと舞った。体の軽さを生かし、ゆっくり、そして時には鋭く。


 楽しそうに舞うベアトリーチェを、ジョアンナが見つめる。ベアトリーチェは舞ながらそれを確認して、高揚していた。

 


 **


 ある時には二人で事前に打ち合わせておいて、それぞれのお薦めの本を持ち寄った。エルフや魔物の出てくるような空想文学の好きなジョアンナと、それらをバッタバタと倒していく冒険活劇の好きなベアトリーチェでは好みが違ったが、それぞれ持ち寄った本の面白さを思う存分に語った。

 面白い事に二人とも恋愛話には興味がなかった。持ち寄った話も恋愛要素はないものだった。

 ジョアンナ以外の令嬢たちと本の話をすると、必ず恋愛ものが好きで、という話になり、白馬の王子様やら意地悪な令嬢が出てきて、出合頭にぶつかってドキドキするなど、あり得ない話を喜んでしている。

 現実世界で、王子に出合い頭にぶつかったら、暗殺を疑われて、その場で護衛に切り殺されるのが関の山だ。それをなんで呑気に尻から転んで「いったーい!」なんて言っているのか。

 そんなツッコミをすると、令嬢たちからは面白さが分からない野暮な人、などと言われてしまうのだが、同じ空想ものでも恋愛が絡まなければ面白いと言う事を、ジョアンナから学んだ。


 そしてそれぞれのお薦めの本を交換して、家で読み、次の時に感想を言い合う。


 ジョアンナのお陰で、ベアトリーチェの読書の世界も広がった。


**


 13歳を超えてくると体が女性的に変わってくる。ベアトリーチェは剣の練習は毎日続けているが、王妃教育で時間が取れなくなってきた上に、男性とは力の差が如実に出てき始めた。このままではジョアンナを守れない。

 ベアトリーチェは剣だけではだめだと体術を習い始めた。それで力がない分、スピードと技で補おうと考えたのだ。時間が取れないから、寝る時間を短くして、早朝と帰宅後に練習を重ねた。ジョアンナが草原に来なかった時には、その時間にも練習を重ねた。


**

 

 15歳になった時に、ベアトリーチェは強い決意をもって、ジョアンナに告白をした。


「あなたを一番近くで守りたいのです。どうかお側においていただけませんでしょうか」

「私の事を良く知らないのに?」


 知り合って4年。それでもベアトリーチェはジョアンナの名前しか知らない。だが。


「私の知っているあなたを、誰よりも守りたいのです。それで充分では?」


 そう答えると、ジョアンナはコロコロと笑った。今日の彼女のドレスもとてもかわいい。喉と袖のフリルが多めで、スカートのふくらみは押さえぎみだけれど、腰の細さはコルセットを外したベアトリーチェよりも細い。二人とも胸のふくらみはささやかだが、別に気にしていない。


「私を守りたいのなら、騎士の資格を取ってからの方がいいのでは?」

「残念ですが、私にはその受験の資格がないと言われたんです」


  女性の騎士はいるので、女性というだけで受けられないわけではないのだが、皇太子の婚約者でもあるベアトリーチェには、騎士の資格など必要がない。何よりも守られる立場なのだ。

 それに訓練は続けているが、1日中訓練をしている者たちにはどうしても劣ってしまう。受けたところで受かるかどうか、心配でもあった。


 ジョアンナは小首をかしげた。


「ベアトリーチェは、受験すれば合格すると思ってる?」

「もちろんです。合格したらあなたの騎士にしてくれますか?」

「……合格して、私を知っても、それでいいと言うのなら」

「ありがとうございます! 絶対にあなたの騎士になってみせる……。ああ、試験さえ受けられればなあ!」

「受けられますよ。私が一言いえば」

「えっ、本当ですか!」


 ベアトリーチェは目を輝かせた。自分の立場では何があっても無理だと思っていたが、彼女が頼んでくれるのならば、もしかしたら。

 だがすぐにベアトリーチェは首を横に振った。


「いえ、多分無理です」

「あら、やはり自身がない?」

「いいえ。私は先に騎士になった家の次兄に、互角に戦えていると言ってもらっています。ですが、やはり今のままの私では、受けられないと思うのです」


 ベアトリーチェは、ジョアンナに片膝と片手を付いた状態で、全てを告白した。自分の本当の名前。そして自分は皇太子の婚約者である事。でも本当に心からお仕えしたいのはジョアンナである事。ジョアンナさえ受け入れてくれたら、すぐにでも皇太子の婚約者から降りたいと思っている事。


「……そうでしたか」

「今まで本当の事を言えなくて、申し訳ありません」

「それは良いですよ。私も自分の事をほとんど言っていませんしね。それにしてもよく全て話してくれました」


 もしかしたらこれで終わりかもしれない。ベアトリーチェは怯えていた。だが、これ以上婚約者であり続けると、次の婚約者の王妃教育が間に合わなくなる可能性がある。


 ジョアンナに受け入れてもらえなければ、ベアトリーチェが城に来る意味などない。そうなれば婚約者である意味もない。結局のところ、早く決着を付けなければいけないのだ。

 それでも告白するまでに4年もかかったのは、ジョアンナに会いたくて、その権利を投げ出したくなかったからだ。


 だが残念ながらいろいろと限界だ。だから思い切って打ち明けた。これで受け入れられなければ、本当にすべてが終わりだ。

 皇太子との婚約を破棄したいなんて言ったら、確実に王家と家の両者から激怒されて、身分はく奪の上で国から追い出されるだろう。

 それでもいい。ジョアンナの側にいられないのなら、身分も要らないしこの国にいる必要もない。

 むしろ不敬だと処分されたってかまわない。


 それほどにベアトリーチェは、ジョアンナにほれ込んでいるのだから。



「話は分かりました。あなたの決意も」

「ジョアンナ様……」

「あなたが正直に告白してくれたのですから、私も言いましょう。私もあなたと一緒にいたいと思っています。ですが、そのためには最低2つ、乗り越えなければいけない問題があります」

「教えてください。ジョアンナ様の為なら、乗り越えてみせます」

「まず一つ目は、あなたが騎士の資格を取る事です。実力を証明しない事には、周りを説得できません」

「おっしゃる通りですね。大丈夫です、取ってみせます」

「ならば騎士隊に話を通しておきましょう。そしてもう一つ。こちらの方が難しい問題です」


 ベアトリーチェはジョアンナを仰ぎ見た。美しい彼女の眉が寄っている。しかしそんな表情も美しい。


「ご安心ください。ジョアンナ様の不安は、私が全て取り去ってみせますから」

「そうだといいけれど。実は──」


 そうして語られたジョアンナの告白は、驚愕すべきものであった。

多少ツッコミどころがありますが、今回はまだスルーしてください。次回で分かります。

その次回で終了です。続きが気になるなと思っていただけましたら、イイネをぽちっとお願いいたします。

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