妖精と出会う
ベアトリーチェは男装中です。
ベアトリーチェは基本的に令嬢が嫌いだ。ドレスなんて着ているから動きは遅いし、話題はお菓子か花か、人形遊びだ。ベアトリーチェはどれも好きではないから、公爵夫妻と共に訪れた貴族屋敷で、子供同士遊んできなさいなどと言われるのが何よりも嫌いだった。
まだ令息がいれば一緒に走り回って遊べるが、令嬢がいたら最悪だ。妙にキラキラとした部屋に入れられ、茶菓子を食べながら、どうでもいい話を聞かなければならないのだから。
そのうえベアトリーチェが聞き流していて反応しないと、意地悪をするなどと言って泣きまねをし始め、そのせいで侯爵たちにあとで叱られる。
あんな動きにくいヒラヒラドレスをきて、ひたすら大人しくおしとやかにしている彼女たちが、ベアトリーチェには不気味に見えたし、お近づきにはなりたくない存在だった。
だが、草原に現れた彼女は、美しかった。
ブルーグレーの髪をハーフアップにしている。髪飾りなどはないが、それが清楚で良い。
白いシンプルなドレスに身を包んだ彼女の周りには、白い花が咲いており、まるで花の妖精のようにも見えた。
先ほどの見合いにはたくさんの令嬢が来ていたが、こんなに美しいと思える令嬢はいなかった。いったい彼女は何者なのだろう、と思いながらベアトリーチェは何とか笑みを浮かべて見せた。驚かせないように、落ち着いた声で、と低めの声で話しかける。
「失礼します。初めてお目にかかります」
「……」
にこやかにと努力して声を掛けてみたが、彼女から返事はない。
これは身分の高い者か? と思った。貴族社会では身分の高い者は下の者から声を掛けられても返事などしない。ベアトリーチェは侯爵令嬢と高位貴族なので、自分から声を掛けるのが普通になっていたからうっかり声を掛けてしまったが。
これはマナー違反になってしまうかもしれない、とベアトリーチェは名乗ろうとして、一瞬躊躇した。
何故ならば今の自分は、騎士風に変装中なのだ。これで本名を名乗るのはおかしい気がする。そこで咄嗟に、偽名を使った。
「私は 侯爵家のベネデッタといいます。いきなり声を掛けて申し訳ございません。お邪魔ならすぐに離れます」
ベネデッタはベアトリーチェの男性名だ。兄たちが、お前が男だったらこの名前だったのに、と言っていたのを思い出して咄嗟に使ってみた。そして兄たちがやっていた、騎士っぽい礼を思い出して真似をしながらとりそう声を掛ければ、その人は頭を少しだけ横に振った。
「邪魔ではないですよ。人がいるとは思わなかったので、驚いただけです」
帰ってきた声まで可愛らしい。小さいが高すぎず低過ぎず、それでいてよく通る声だ。
「私も驚きました。私がここに来た時には誰もいなかったので。あの森の入り口まで行って戻ってきたらあなたがいたから」
「……あんなところまで、何をしに行ったのです?」
「ちょっと体力が有り余ってたから、走り回ってきました。ここには初めて来たのだけれど、とてもよく手入れされていて、転ぶ危険が全くなくて。気持ちよく走れましたよ」
「手入れ? ただの草原では?」
会話をしながら、ベアトリーチェは少しずつ彼女に近付いた。慎重に様子を見ているが、嫌がっているそぶりはない。
白いドレスが清楚だ。それに花がこんなに咲いていたとは、先ほどは気が付かなかった。もともと草花などに興味がないから咲いていても気にしないからかもしれないが、花に囲まれた彼女は本当に美しくて、ベアトリーチェは生まれて初めて、そこで咲いている花を意識したのだ。
「普通の草原は、たくさんくぼみがあるものなんです。ここにはそれが全くない。それに大きな石も小さな石も転がっていない。草だって丈夫なのがみっしりと生えている。自然だったらこんなふうには密集しないから、誰かがくぼみがあれば埋めて、石があれば取り除き、足りないところに草を植えているんだと思います」
「ではこの花も?」
「それは分からない。もともとそこに咲いている花なのかもしれない。これだけ自然にできているのに、そこだけ花壇にしているとは思えないから」
「……そう」
彼女は手に目線を落とした。その手には周りに咲いている花を持っている。本当に花に囲まれて、妖精のようだ。
「あなたは何をしているのか、聞いても良いですか?」
ベアトリーチェがそう尋ねると、彼女は一度首をかしげて、それでも答えてくれた。
「息抜きです。私はここで周りを見るのが好きなんです」
「……もしかして、王族の方ですか?」
「だったら?」
「話しかけてしまったご無礼をお許しください」
咄嗟に片膝と片手をついて謝罪すると、彼女はふふふと笑った。
「別に構いませんよ。確かに私は王族の一員ですが、何の地位もありませんから」
「お許しをありがとうございます。……もう少しお話しても良いですか?」
「もう少しだけなら」
「ありがとうございます」
ベアトリーチェはさらに彼女に近寄った。敵意がない事を示すために、少し離れたところに座り込む。
「従者や護衛の姿が見えませんが、王族がお一人では、危険なのでは?」
「そんなものが付かなくていいくらい、存在価値のない下っ端と言う事です」
「そんな事はないでしょう。お美しい令嬢なのですから」
「……美しい?」
彼女は心底不思議そうに首をかしげる。そんな様子までが可憐だ。
ベアトリーチェはそんな風に感じる自分が不思議だったが、しかし美しいものは美しいのだ。彼女を見ると周りまで煌めいて見えるほどに。
「私が見た中で、一番美しい方です」
「……ありがとう」
そう言ってはにかむ姿も、思わず叫びたくなるくらいに可愛い。
自分はどうしてしまったのだろう、と思いながら、ベアトリーチェは必死に話題を探した。
「その、花は?」
「ここに咲いていたもので、ハブランサスというものです」
「美しいですね。まるであなたのようだ」
「……口説いてるんですか?」
「ち、違います!!! 本当に美しいと思ったのです!」
うっとりとしながら言ったベアトリーチェに、彼女は目を細めてそんな事を言うから、思い切り否定した。本当に、彼女同様に美しい花だと思ったからそう言っただけだ。
慌てて否定した様が面白かったのか、彼女はコロコロと笑った。
そして彼女が優雅に立ち上がる。それをぼうとしながらただ見上げるベアトリーチェに、彼女は手の中の花を一輪差し出した。
「私はもう行きます。もう時間なので」
「あの、また、ここに来たらお会いできますか?」
「分かりませんが、私はここが好きですから、いるかもしれませんね?」
「もしまた私がここに来た時に、あなたもいたら、またお話していただけますか?」
ベアトリーチェは渡された花をそっと握って、彼女に懇願した。自分でもどうしてこんなに会いたいのか分からないが、絶対にまた話をしたいのだ。
彼女も不思議そうにしながらも、『また会えたら、良いですよ』と言ってくれた。
城まで送るというベアトリーチェに、彼女はしかし必要ないと言い切った。
そうして彼女は風にドレスを揺らしながら、ベアトリーチェの前から去っていった。
ベアトリーチェは、礼儀正しくその場を動かずに彼女を見送った。
ベアトリーチェの護衛を拒否したと言う事は、名前も名乗らなかった彼女がついてきてほしくないと言う事だと受け取ったのだ。だからその姿が見えなくなるまで、ベアトリーチェはその場から動かなかった。
そうして完全に見えなくなると、その場であおむけに寝そべった。
大木の木の葉の間から、太陽の光が細く降り注ぐ。
美しい人だった。自分が生まれて初めて、心から美しいと思える人だった。
父親の言う、立ち居振る舞いは一朝一夕では身に付かないという言葉が実感できるほどに、優雅で無駄のない動きだった。シンプルなドレスだからこそ、誤魔化しがきかない。
ガサツな自分には逆立ちしたってあんな優雅さは出せない。
生まれ育ちではない、向き不向きというものがあるのだ。
自分に合っているのは、やはり令嬢としての優雅さよりも、騎士としての強さだろう。
目をつむっても彼女の姿が消えない。心の目に焼き付いてしまった。
きっとあの人が、自分の運命の人に違いない。
女性同士? だから何だ。結婚が人生のすべてではない。ただ側にいるだけならば、女性同士だって何の問題もない。
自分は彼女と結婚したいのではなく、彼女のそばにいて守りたいのだ。
彼女にまた会いたい。そしてあの人を守れるほどに強くなりたい。しかしあの人に会うためにはまたここに来なくてはいけない。ここには用事のないものは入ることなど出来ない。
しかし一つだけ、ベアトリーチェが入れる手段がある。
皇太子との婚約者候補に残る事だ。
そうすれば定期的に開かれるお茶会に呼ばれる。そのあとならここに来られる。その時に彼女がきてくれるかは分からないが、運命の相手ならば、きっと会える。
よし、と気合を入れてベアトリーチェは起き上がった。
彼女に送られた一輪の白っぽい花。ハブランサスとか言ったか。大切に持ち帰ろう。そして部屋に飾るのだ。
ベアトリーチェは、ようやく帰途に着くべく、城の方へと歩き始めた。
お読みいただきありがとうございます。二人が出会いました。面白いなと思っていただけましたら、ぽちっとお願いいたします。




