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OSAKA EL.DORADO  作者: 佐野和哉
OSAKA EL.DORADO
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48.

 ヴィック・クリス大佐はツカツカと迷うことなく警備兵に向かってゆくと、目にも止まらぬ速さで顔面を殴り飛ばした。

「貴様!! これは一体何事だ!?」

 怒りを漲らせ筋肉がはちきれんばかりの様相で仁王立ちするクリス大佐の足元から、ぶっ飛ばされた警備兵が彼の顔を見上げて卑屈なセリフを吐いた。

「へへっ、お前の大事なおーさかを守ってやったんだよ」

「なに!?」

「このオーサカはな、俺らみたいなシティピープルが回しとんのや。お前らヨソモンも、きったないコジキも要らんのよ。それを神輿に担がれたからってエラッソーに、ぺっ」

 血の混じった汚いツバを吐き捨てて、警備兵がゆっくり立ち上がってフラフラとクリスに近づいた。

「まあせいぜいがんばりや、うちゅうじんさーん」


 悪びれる様子もなく、警備兵が悠然と立ち去ってゆくのを、ボクは茫然と見送る事しか出来なかった。

「な。なんてヤツだ」

 そう呟くのが精いっぱいだったボクを尻目に、クリス大佐が母子に駆け寄った。

「すまない……なんてことだ! クソッ、しっかりしろ!」

「マト、ミンミさん!」

「サンガネ、誰か手当出来る人、探してきて!」

「わ、わかった……!」

「案ずるな、私が手当てをする。この母親なら助かる……」

「え、でも、じゃあマトは、こんな小さい子が、あんな、あんなひどい……!」

「支配人さんなんでしょ、どうするのよ!」

「……」

 クリスは俯き、苦悶に満ちた声を漏らした。だが既に血の気が引いて青白くなったマトの体からは、とてもさっきまでの瑞々しい生命の息吹を感じることは出来なかった。彼は彼で現実的な判断として、目の前で救える命だけでも救おうとしてくれているのだ。それはわかってるけど、あまりに理不尽で無情な仕打ちを目の当たりにしてしまったボクたちも、とてもじゃないが冷静でいられるわけがなかった。

「マト、マトー!」

「ごめんなさい……私たち……なにも、ごめんなさい……」


「なんじゃな。騒々しいのう」

 その時、狼狽し悔悟に暮れるボクたちの背後から、また新たな足音と声が飛んできた。

 低めだが澄んでいて、まったりと間延びした女性の声だった。

「やれやれ……遊園地も水族館も騒がしゅうて飽き飽きしておったところじゃというに、こんな端まで来てみれば。どれ」

 マトに向かって歩み寄るその姿は、目の覚めるようなエメラルドブルーのつやつやした髪が腰まで伸びて、目鼻立ちがくっきりとした彫りの深い、南国系のむちむちな美少女だった。ぽってりと肉厚の唇に、つんとしたオトガイ。ぱっちりとした二重の相貌が優しく慈愛に満ちた眼差しを向け、マトの顔にそっと柔らかそうな手を伸ばす。

 両手で彼の小さな顔を包み、お互いの額がコツンと当たるようにくっ付けた。

「まんじゅかんじゅあずみのいそらのほうじゅのあまた」

 と、言ったように聞こえた。彼女の囁き声に呼応するように、その豊かな胸元から髪の毛と同じエメラルドブルーの柔らかな光があふれ出て、マトの頭のてっぺんから足の先までを漣が洗うように包み込んだ。透き通る光の中を漂うマトの体が海の底で揺蕩うように揺れて、やがて低く微かな鼓動が空気を伝ってボクたちにも聞こえて来た。

 それはまさしく彼岸と此岸の波打ち際を彷徨う魂が導かれ、再び現世の小さな憑代に呼び戻された瞬間だった。


「お……」

「マト!」

「良かった、気が付いた!」

「おかあ……ちゃん……?」

 しかし目を覚ましたマトが目の当たりにしたのは見るも無残に打ち据えられ、血まみれで地面に横たわった母親の姿……彼岸に渡れば賽の河原で石積みだったろうが、此岸に呼び戻された彼を待っていたのは、また地獄だった。

「おかあちゃん、おかあちゃーん!」

 虫の息のミンミに縋りついたマトが大粒の涙をこぼして泣きじゃくる。ゆりかごの中のニャミも目の前で起きていることの重大さを感じ取っているのか、茫然としている。

「ぼん。心配無用、儂に任せるのじゃ」

 立ち上がった彼女がクリスの傍らで仰臥したままひゅうひゅうと悲痛な呼気を漏らすミンミの胸元にそっと右手を添えると、再び

「まんじゅかんじゅあずみのいそらのほうじゅのあまた」

 と唱えた。

 すると、今度はみるみるうちに足元の芝生やタイル、その隙間に生い茂るコケが漣に洗われてゆく。いつの間に海水があふれていたのか、靴の爪先ぐらいまでの水位でちゃぷんと音を立てた。


「そんなバカな!? 一体どういう……」

 クリスが手元の端末を起動しても異常を知らせるアラートはおろか新しい気象情報すらひとつも入っていない。仰臥するミンミの耳にも水が入ってしまい、長い黒髪が低い水面に広がって揺れた。

「よい。この水は海、つまり生命そのものじゃ。この者は今、生命いのちの源に浸っておる。ぼん、母上はすぐに目を覚ますぞえ」

「おい、何故ここに」

「やかましいぞえ。今はそんなことを申しておる場合か。手下てかの狼藉はあるじがケジメを付けねばならんのじゃぞ。しっかりと手綱を握らぬか!」

「……!」

「ほっほ。まあ、そう落ち込むでない。大方おおかたまたよそ者扱いされておるのじゃろう。儂とて同じことじゃ。言わせておけばよい」


 まさか、この子……。


「ほれ、ぼん。儂のまじないは大したもんじゃろう。仕上がりは上々じゃぞえ」

「全く、いつも勝手ばかりしおって。イソガイが聞いたら泣くぞ」

「ほうほう、気高い慈悲の心を忘れぬ儂を見て感涙するというわけじゃな」


「サンガネ、この人もしかして」


「おかあちゃん……」

「もっと近うよるが良い。さあ、もっと呼んでやるのじゃ!」

「おかーちゃん!」

「母上の御霊を此岸に導け!」

「おかあちゃん!」


「サンガネさん……ひょっとして」



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