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OSAKA EL.DORADO  作者: 佐野和哉
OSAKA EL.DORADO
62/90

39.

 ボコボコ……ゴボゴボ……とフラスコの中で気泡の踊る音を立てて白くサラサラした煙を吸い込んだマノが、窓際の指定席(お店が空いている時は必ずこの席に座る、という程度のものだけれど)に深々と腰かけたまま天井のサーキュレーターに向かってフワーっと吐き出した。グァバとベリーミックスに少しミントの入った甘酸っぱい香りが、涼しい店内の空気に攪拌されてすぐに消える。窓の外は良く晴れたニッポンバシオタロード。

 ここは租界にある、あぶくちゃんのお店。カフェ・ド・鬼。

「まあなんだ、大したこたぁ、なかったな」

「なに言ってるの、あやうく飲み込まれそうだったじゃないか」

「そおーだなあーー。悪戦苦闘中の哀れな友人に向かって誰かさんが指示した通りに電撃をブチ込んだり、ロケットパンチをぶっ放したり、舎利寺くんの大活躍のおかげで」

「ロケットパンチは君が頼んだんじゃないか!」

「危うく僕まで吹っ飛ぶところだったんだからな、だいたい火薬が多いんだよまったく」

「舎利寺なら、あのぐらいのバックファイアにも耐えられると思ったんだ」

「コッチも木端微塵になるところだったんだぞ!」

「あんなもの、君に向かって発射するなんて……そんなこと想定するはずがないだろ!?」

 マノの意地悪にいよいよ困り果てたボクは眼鏡を外してハンケチでレンズを拭い、またかけ直した。真っすぐになった丸いレンズ越しの視界で、マノは素焼きのカップに入った砂糖抜きスパイスマシマシチャイを飲み干して、くくくっと笑った。


「悪かったよ。ありがとうな、サンガネ」

「わかればいいのさ」

「で、ワッショイは」

「彼なら郷里の富田林に戻っていったよ。暫くは療養が必要だろうね」

「そうか。しかし、よくスライムにならなかったな」

「ああ。そのことも話してくれたよ。彼、あの界隈からは割と孤立していたみたいなんだ。昔気質で個人発信、率直な発言にこだわっていたようでね。提灯記事や肯定的な言い回しと映像の切り貼りを求める栗永やキャプテン、ましてオーサカ一心会とは折り合いが良くなかったんだと。だから、あの決起集会イベントに招かれていたのも……おそらくは初めから彼を捨てゴマにする計算があったのかも知れない、ってね。もっと自分たちに都合のいい、盲目的で媚びに媚びる連中で周囲を固めてゆく必要があった」

「固めるどころか、みんな溶けちまったってわけか」

「そうだね……だから、ワッショイはあの団地や界隈での集まりにも参加せず、大して飲み食いもしてなかったみたいなんだ。ボクの推測だけど、そのおかげで彼はスライム化しなかったんじゃないかなあ。混入していた物質はごく微量で、それを継続的に取り込み続けていた人たちから溶けて行った。そして溶けたスライムに触れた人たちも、細胞に沁み込んだ物質が劇的に反応して溶けてしまったわけだし。あとで分析した結果、あれは人間の体をすべて一つ一つに分解して小さな細胞に作り替える性質があったんだ。奴等は特殊な信号か、放射線を浴びせることでそれを発動させた。団地ごと崩壊した今では……それも憶測にすぎないけれどもね」

「なるほど。つまるところワッショイは、奴等に溶け込めなかった、ってわけか」


「チャイのおかわりは?」

「ありがとう、もらおうかな」

 ボクたちのテーブルにミロクちゃんがやってきて、飲み物を勧めた。マノはミロクちゃん特製の砂糖抜きスパイスマシマシチャイが好物で、彼女がカフェ・ド・鬼で働き始めてからは本来好きだったコーヒーや紅茶よりも、専らコレだ。

「サンガネさんは、ペプシコーラでいいかしら?」

「ああ、ありがとう」

 長身で手足が長くすらっとした体躯に腰のあたりまで伸ばした黒いロングヘアーが、陶磁器のように白い素肌によく似合っている。どちらかと言えばアニメや漫画に出て来るような可愛らしい人が多かったポンバシ界隈では、クールで耽美や妖艶といった雰囲気の彼女は新鮮だったようで、近頃ではミロクちゃん目当てのお客さんも増えて来たようだ。もっとも、そのミロクちゃんの方は、と言えば……。

「あそうだ、マノさん! この前のこと忘れてないからね。うちの舎利寺さんを覗きの道具にしたり、骨伝導通信でラーメンの出前を取らせたり、空が飛べるからって宅配便代わりに使ったり……舎利寺さんは暮らしの便利グッズじゃないんですからね!」

 元・生野区の文化粛清軍の将校だった舎利寺が奴等を見限ってボクたちの仲間になるとき、ミロクちゃんの命を救ったことで彼女は彼にベタ惚れしてしまった。初めは微笑ましかった熱愛ぶりも、最近は度を越しているようで。

「あっ……熱いっ!」

 彼女の煮えたぎる怒りが薫り高いチャイを沸かしているかのようだ。


「それはそうと、ラーメンの出前は初耳だね」

「ああ、こないだすぐそこのビルで食べたラーメンが美味しくてさ、舎利寺が教えてくれたんだ。さかなやらーめん、っていうんだけどね」

「自分たちだけずるいじゃないか、マノ!」

「君に頼まれた部品を取りに行った帰りだったんだぞ、サンガネ!」

「あの日か。……あっ! せっかく晩御飯に君の好きな牛肉のトマト煮込みを作って待ってたのに、ちっとも食べてくれなかったのはそのためか!?」

「ちゃんと次の朝、もらったよ!」

「ボクは熱々のうちに食べてほしかったんだぞ!」

「わかった、僕が悪かったよ……なんなら今から行こうよ、な」

 振り上げたペプシの小さなビンを降ろしながら、ボクは再びソファに腰かけてため息をついた。全く、この人は勝手なんだから。

「せっかくだから舎利寺が来てから一緒に行こう、きっとオカダさんも歓迎してくれるよ」


 舎利寺は粛清軍時代こそ市井の人々を抑圧していたが、現在は心を入れ替えると共に罪滅ぼしのため、生野区桃谷商店街で復興の手伝いをしているようだ。そんな中で商店街の人々や区民とも打ち解けてきたところで、生野区は租界と商業や交流に関して相互協定を結ぶことになった。舎利寺は、その立役者であり中心人物になりつつあった。何しろこれはオーサカシティに対する造反に近い行為で、場合によっては何らかの報復を受ける恐れもある。だからこそ、元・オーサカ文化粛清軍で全身を換装した人間兵器として生野区に駐屯していた舎利寺の存在は大きい。下手に手を出せば当時の内情などを暴露されたり、手っ取り早く舎利寺から反撃されたりする恐れがあるからだ。それに舎利寺の隣にはいつも、マノが居る。

 助かるのはボクや博士といった開発者・研究者だけじゃない。あそこには調理器具から食材、建材、医薬品からサメのヌイグルミまで何でも揃っている。珍しいものも、大量に消費するものも。飲食店から建築業、運送業もホテルもどこもかしこも大助かりだ。

 電機・工具などは今や桃谷商店街の青空市や商店会でもポンバシに引けを取らない品ぞろえになっている。そこがボクたちの味方になってくれるのは心強い。

 それはそうと、オカダさんって……?


「ああ、さかなやらーめんの店長さんだよ」

「ふーん。ここらで商いをして長いのかな。知らなかったよ」

「ああ、その辺は僕も詳しく聞いたことなかったな。舎利寺なら何か知ってるかな?」

「おお。マノ、サンガネ、居たのか」

 店のドアが開き、小さなベルがチリンチリンと鳴った。振り向けば舎利寺だ。

「ああ、今ちょうど君の話をしてたんだよ」

「オレの……?」

「そ。今度は向かいのベランダに干してある真っ赤なブラジャーとおぱんちゅを……」

 カウンターの向こうでミロクちゃんが出刃包丁を握り締めて震えているのが目に入ったボクは咄嗟にマノの脛を蹴った。

「痛いっ! えーと、ほら、サンガネが行ったこと無いって言うから。舎利寺も誘って三人でさかなやらーめんに行こうって話をしてたんだ」

「ああ、あそこか」

「うん、ほら昼時になると混むから。な、さあ」

「え、ああ」

「そうそう、さあ行こう」

「え、でもまだオレ何か飲んでから……」

「いいじゃないかさかなやらーめんでスープでもお冷でもなんでも飲めば」

 まだミロクちゃんがコッチを睨んでいるのに気が付いたマノもボクと一緒になって急き立てるようにして舎利寺を連れ出し、逃げるようにお会計を

「あぶくちゃん、お会計!」

「あぶくちゃーん!」

 しようと思ったが、あぶくちゃんが居ない。

 カウンターから半分、錯乱状態のミロクちゃんがフラフラと迫って来る。呆然とした瞳の奥で舎利寺への愛着と恋慕をコンクリートで固めたような色の炎がめらめらと燃えている。

「み、ミロクちゃん、あの、あぶくちゃんは」

「めぃめぃちゃん、居ないの!?」

「舎利寺さん……あなた、あなた」

「お、オレは今、来たばかりで」

「覗きや下着ドロボーのためにあなたは体を鍛えたりメカニカルにしたわけじゃないんでしょう!? どうしてハッキリ断らないの!」

「いや、決してそんな僕は」

「そうだよ、ボクたち別に」

「おだまりなさい!」

 無敵の大巨人であり孤高の宇宙戦士でもあったマノだが、ミロクちゃんの前ではすっかり大人しく体を縮めている。何故ならまだ、彼女は出刃包丁を握り締めたままだからだ。


「ミロクちゃん、ごめんねー遅れちゃっ……て」

 そこへバタバタと買い物袋を両手に下げて入って来たのは、めぃめぃちゃんとマガちゃんだった。めぃめぃちゃんは濃紺のワンピースに白いフリルをあしらった可愛らしいメイドさん。真っ赤なオカッパ頭のマガちゃんは最近お気に入りの赤いセパレートタイプでおヘソのあいた半袖ミニスカチャイナドレスだ。両腕の深いリストカットの痕が光を浴びて素肌に陰影を刻んでいる。

「……」

「……」

「「……」」

 一瞬、時間が止まったように店の中が静まり返った。包丁を握り締めたミロクちゃん、舎利寺を前に突き出し、その後ろに隠れているボクとマノ。そして困惑しっぱなしの舎利寺。めぃめぃちゃんとマガちゃんは、そんなボクらと対峙するように呆然と立ち尽くしている。

「Mayday Mayday Mayday!」

 口火を切ったのはめぃめぃちゃんだった。

 買い物袋をドサリと床に投げ出し、叫び声と共にミロクちゃんが包丁を握り締めた両手首を掴みこんで軽く捩じる。両手の母指球を包むように下へ回しながら捩じり込むと、包丁は音もなくカーペットの床に転げ落ちた。そのままミロクちゃんの足元から掬い上げるようにタックルで絡みつき、背中から抱きついて引きずり倒す。両足を脇腹のあたりに食い込ませて絞めつけながら右腕を白くすらっと伸びた首に回し左腕の曲げた肘に引っ掛ける。左手は後頭部を抑え込んでロックして、胴締め式スリーパーホールドの完成だ。


「早い……!」

「舎利寺、早く包丁を!」

 ミロクちゃんの長い手足が暫く宙を掻いていたが、すぐに電池が切れたようにおさまってパタリと止まった。舎利寺が素早く包丁を拾い上げてカウンター奥の厨房に戻しに行く。その間にマガちゃんはめぃめぃちゃんの分まで買い物袋を提げて店の奥に運び込み、そのままガサゴソと整理を始めた。

「おいおい同僚が絞め落とされてるってのに」

 と驚くマノだったが

「んー、だいじょぶ! いつものことだから」

「いつも絞め落とされてるのか、ミロクちゃん……」

「んーん、ヘンなお客とか。いつも〆てるの」

「誰が?」

「めぃめぃちゃん!」

 マガちゃんがニコーっと笑って答えた。この子は笑顔になると目が横一直線になって、まるで猫みたいな顔になる。口角が上がって、両の眼もとに二つずつ笑い皺が寄って、この笑顔が見たくてやってくるお客さんも多い。つまり、それだけ妙な奴も寄りついているということか。


「ゲホッ、ゴホ……」

「あっ気が付いた?」

「んー……ああ、私、なんで寝てるの?」

「良かった、いや、なんでもないんだ」

「ミロクちゃん、少し疲れてるんじゃないかな?」

 めぃめぃちゃんの複合関節技から解き放たれ、背中を叩かれたミロクちゃんが目を覚ました。どうやら直近の記憶が飛んでいるのをいいことにマノとボクが口裏を合わせた。

「すまんな、オレがマノに唆されて出前や覗きの片棒を……」

「わっ、バカ!」

「よせ、舎利寺!」

「出前……覗き……?」

「担ぎそうになったけど、ミロクちゃんへの愛で踏みとどまったんだよ。ね!?」

「そうとも、僕やサンガネと違って舎利寺は真っすぐな男だから……」

「ボクは君と違って下着ドロボーも覗きもさせちゃいないぞ!」

「僕だってそんなこと本当にさせてるわけないじゃないか!」

「君ならやりかねないだろ、そのせいでボクまで痛い目に遭ってるんだからな!」

「そんなこと知るか、僕に対する偏見だ!」

「偏見を持たれるようなこと言うからいけないんじゃないか!」

「仕方がないだろ、地球の女の子はみんな可愛いだもん!」

「ほらみろ、そうやってすぐ目移りばかりして!」

 ボクとマノの浅ましいやり取りを茫然と見つめていたミロクちゃんが遂に口を開いた。溜息の後にひとこと。

「舎利寺さん……お友達は選んでくださる……?」

 何が何だか最後までわからず、舎利寺は立ち尽くしたまま頷くしか無かった。



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