5.Take Me Home, Ota-Roads.
それからしばらくの間、オタロードの裏通りに潜り込んだ僕は友人となったサンガネと共にニッポンバシオタロードを探索する日々を続けた。
遅い朝に目覚めたら念入りに身支度をし、先ずあぶくちゃんのお店に行ってコーヒーや紅茶を飲んだ。
あぶくちゃんは人気者で、彼女目当てのお客も多い。
サンガネは、いつも僕より少し遅く、昼前にノッソリとやって来た。初めは僕が呼びかけてテーブルに座ってもらっていたが、昨日辺りからは何も言わなくても座ってくれるようになった。
そこで一頻り四方山話をしたら探索に出る。兄さんの手掛かりや、何か武器になりそうなものを集めておきたかった。
ニッポンバシオタロードには滅びたと思われた古くからの道具屋、電機屋が僅かながら生き残っており、貴重な旧世代の製品やパーツも取り扱っていることがあった。サンガネ自身も老舗の道具屋に居候しているだけあって、そういうお店のことをよく知っていた。本人曰く、古いパーツを組み合わせて旧時代のラジオや携帯通信端末、果ては超小型原子炉による動力と映像と音声による通信機能を搭載した自立・自走式のロボットを組み立てるのが趣味なのだとか。
そしてその技術は、僕にとって欠かせないものであった。
あぶくちゃんが切り盛りするCafe de 鬼に勤める女の子にも、やたらその手の話題が得意な子が居た。
めぃめぃと名乗る小柄で可憐な女の子がそうだった。黒いロングヘアーをお団子にして、垂れ目で口角の上がった優しい顔たちとは裏腹に元はホンモノの職業軍人だったという変わり種だ。めぃめぃは梅々と書き、本当の名前は梅花だという。つまりめぃめぃ、は、めいちゃん、という意味になる……これもサンガネの解説だった。
サンガネはあぶくちゃんよりもめぃめぃと話がしたいようで、彼女が出勤していると機嫌が良かった。
道具屋筋の古道具類、失われたレトロテクノロジーの宝庫たる店たちは殆どがメインストリートから離れた道具屋筋の最奥にひっそりと寄り集まっているか、または文字通り地下に潜り、一見相手の商売はせず、専ら誰か信頼出来る常連からの紹介でしか門戸を開くことは無かった。穴場と目され一見客が増えれば買占めや転売も起きるし、実際それで酷い目に遭ったという店主も少なくない。
サンガネもめぃめぃも、この手の店の常連で信頼出来る店を幾つも知っていた。僕は彼らと一緒に幾つかの店へ赴き、そのたびに店主と話をして資材と情報を集めた。
黒い長髪の、女好きで掘りの深い顔をした男は来なかったか?
と……。大抵は怪訝な顔をされるだけだったし、人探しなどは露骨に避けられたり嫌な顔をされたりもした。だが、一軒の店の主が、兄さんのことを覚えて居た。
灯台下暗し。この国に残る古い言葉のとおり、その店はサンガネの居候先だった。
「ああ、あのお兄さんね。よぅ来てはりましたよ。なんやマッドナゴヤ行くっちゅうて……ほんでアレコレ見繕いましたわ。えーっと……」
ボサボサ白髪に黄色いべっ甲の眼鏡、薄汚れたエプロンにチェックのシャツ・年季の入ったジーンズという出で立ちの老店主は意外と人当たりが良く、もはや骨董品すら通り越して産業遺産のようなレジスター横の伝票の山をガサゴソやっている。
「弟さんでしたかあ。よう似てはりますなあ。ウノさんはロングロングエキスプレスに乗るっちゅうて、はしゃいではりましたよぉ。あないな見た目、っちゅうたらマノさんに悪いですけど、派手やし、コワモテでっしゃろ? せやけど可愛いところもあるんですなあ」
確かに、兄さんはああ見えて鉄道が大好きだ。ロングロングエキスプレスという名前も聞いたことがある。マッドナゴヤを支配する巨大企業、トーカイドー53000Nextが運航している、長大な特急列車だ……兄さんが好きそうな列車でもある。
「あった。コレですわ。シールテープ、時のタマゴ、ズームレンズ、シルバートリガー、リロ式の野営ガスバーナーとボンベ一式……あとは」
「兄さんは列車が使えなくなった時のことを想定してたんだ」
「でっしゃろなあ。時のタマゴ言うんはカプセル型のクッカーで、これに入れて火ぃにかけたら木の根や種、蔓……大概の草花は食えるようになるっちゅう道具ですわ」
便利なものがあるんだなあ。
「なんしか、金払いはええし物腰柔らか、怖いのは見た目だけやっちゅう感じでねえ。ええお客さんでしたわ。お会いしたら、よろしゅうに……古道具屋のオッチャン言うたらわかりますさかい、いつでも待ってるちゅうてたって伝えてください」
兄さんはこの辺りでも人当たりの良さを発揮していたらしい。察するに警戒心が強く、心と店のドアを閉ざして営業している人々とも打ち解けていたようだ。あの人ったらしめ。
そして僕は漸く、あぶくちゃんとデートすることが出来た。といっても最終的には彼女のお店、Café de 鬼へやって来るから、寄り道の多い同伴出勤みたいなものだった。
けど、それでも良かった。僕は、僕にしては珍しく、彼女に指一本触れることはしなかった。
彼女は毎日、違った格好をして現れた。それは衣服だけではなく、髪型やメイク、時には肌の色すらも変えて、プリズムの中に閉じ込めた虹色の光みたいに、彼女はいつでも美しくて、輝いていて、手を触れることは出来なくて。儚かったんだ。美しすぎて。
あぶくちゃんはニッポンバシオタロード唯一の映画館であるスピカ座に通い詰めていて、店に出勤する前、仕事が終わった後などによく映画を見に行っていた。多い時は仕事前にも仕事の後にも行っていた。あぶくちゃんとデートしたい奴は仕事中でも彼女を連れだして、その映画館に向かって行った。が、上映中の暗がりで彼女のあんよにでも触れようものなら烈火の如く怒り狂ったあぶくちゃんから生涯出入り禁止を言い渡され、以後二度と口をきくどころか目も合わせてもらえなくなった奴も何人か居た。
映画館と言っても作品の配給が途絶えて久しいことと、観客もそんなに多くないことから、かかる映画は限られているようだった。ゆえに、あぶくちゃんが映画館に来るとスピカ座の支配人は決まって同じ映画をかけていた。それは前時代、ガソリンを燃やして走る自動車が世の中にあふれていた頃の話。二人の男と、自動車。走る男、直す男、自動車。
彼女は週に何度もこの映画を見て、ヴィンテージもののディスクレコードも出てくるそばから買い集め(オタロードのオールドレコード店主は、この映画のレコードが入荷するとあぶくちゃんに届けに来るそうだ)、ポータブル端末にデータを移して、家でも店でも劇場でも出先でも……いつでもどこでも映画が見られるようにしているという。
どハマりの極致、もはや沼というのも生ぬるい無限のブラックホールに犬神家のように突っ込んだ彼女の姿勢は、さながらオタクの鑑のようだ、と店内や近隣からも称賛されている。
僕もあぶくちゃんと映画館に入り、時には貸し切り状態で、何度も何度も同じ映画を見た。そのあと軽い食事をとって、それから彼女のお店に向かった。
何か欲しいものはあるかと尋ねても、はぐらかさせたり、やんわりと断られたりで、プレゼントすら何一つさせてもらえなかった。まあ、どうせ手渡したものを受け取ってもらったところで、彼女が僕に心や体を開いてくれることなど決して無いのだろう、というかなしい結論と確信を抱えたまま、指一本触れないまま、しかし幸福で充実した日々を過ごした。
僕があぶくちゃんとデートするようになった頃。サンガネも目当てだった元職業軍人(救護班だそうだ)メイドのめぃめぃちゃんって子と一緒に出掛けることが増えたようだった。
あの野郎は何気に顔たちも整っているし気が優しいから、女の子からすると安心出来るタイプなのかもしれない。僕と違って乱暴じゃないし、度を越したスケベでもない。
サンガネが本来行きつけだったのは、あぶくちゃんのお店Cafe de 鬼のすぐ近くにある雑居ビルの2階にあるレトロドールというオールドレコードカフェだった。
その日も彼はレトロドールに出掛けているようで、Café de 鬼で待っていたが昼過ぎになってもやって来なかった。やがてめぃめぃちゃんだけが「おはようございまーす」と出勤してきたので聞いて見ると、今日は一緒じゃなかったようだ。
仕方ない、呼びに行こうかと思って会計を済ませて店を出た。もしサンガネが来たら、マノはレトロドールに向かったと伝えてもらうよう、ピンクと紫の髪の毛をオカッパにした、整った顔たちと裏腹にバチボコに開いたピアスとタトゥーの目立つ女の子に言伝て。
が、しかし。ぶらぶらとレトロドールの前まで来たのはいいが、店のドアは固く閉ざされ明かりも消えている。なんだか様子が変だ。
よく見ると、ビルの床とドアの隙間に細かなガラス片がある。それに、妙に空気が埃臭い。物盗りでも入ったのだろうか。物騒だな……と思って踵を返した、そのとき──