表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OSAKA EL.DORADO  作者: 佐野和哉
あぶくちゃん物語
17/90

粘膜飛行2.

劇中にある

ソラリスのように

というたとえは、スタニスワフ・レムの名作SF小説「Solaris」のこと。

読めばわかる。私は、この小説について話した伊集院光さんのラジオを聴いて、自分でもコレを読んで、深く深く感銘を受けております。

皆さんも是非。

 寝台特急サンセット倫理。真夜中に出発し夕暮れ時を目指して旅に出る列車。

 抱えきれない憂鬱と、こなしきれない現実と、堪えきれない嗚咽から遠く遠く離れてしまうための列車。悲しいくらい澄んだ目をして、激しい痛みに吐き気を催して、内臓の色をしたあぶくをこぼしながら走る。

 後悔も、救済も、希望も絶望も通過して、終着駅で待つ一面の光か真っ暗闇だけを目指して走る寝台特急サンセット倫理。


 その狭いコンパートメント個室の中で、僕は窓に浮かんでは通り過ぎてゆく枯れた花のような記憶を一つ一つ思い出すだけ思い出して遊んでいた。忘れてしまえれば、どれだけいいだろう。抱えきれないまま背負ってしまった生活と運命と人生を、投げ出すことが出来たなら。人を愛さずに生きられるなら。人を想わずに逃げられるなら。さぞかし身軽で、ラクだろう。しかして実際に投げ出し、逃げ出してきた僕の背中は、列車が走れば走るほど重く苦しくなってゆくばかりだった。


 降り積もる枯葉を数えて、地面に潜って暮らしたい。そんな風に思っていた日々さえも遠く過ぎ去ってしまえば懐かしい。懐かしくてろくでもないものたちを遥か彼方に遠ざかった故郷へ置き去りにして、また別の何処か違う過去に向かってのオデッセイ。遠ざかれば遠ざかるほど近づいて来る追憶の水滴は水煙草のフラスコのあぶくの中のサラダ巻き。溶け始めた脳が滴る心の奥の鍾乳洞で天井から垂れ下がる忘れかけた記憶の連なり。


 ゴトトン、ゴトトン、と規則的に響き続ける車輪の音と振動が心地よい。茫然と見上げた窓の外には月明かりに照らされてグルグル回るメリーゴーラウンド。青白く染まった真っ暗闇の夜空に浮かび上がる、白馬の群れとカボチャの馬車と串刺しになった初恋の人と、その恋人ども。

 僕の彼女を返せ、彼女の純潔を返せ、粘膜の感触を返せ、薄黄色に染みついた温もりと湿度の残る下着を返せ、黒々とした秘密の茂みを返せ、返せ、彼女のすべてが手に入らずに茫然とした日々を返せ。過ぎ去ってゆく数々の記憶を次々とすっ飛ばして延々と走る寝台特急サンセット倫理。


「ねえ」

 突然、背後から呼びかけられて振り向いて二度驚いた。色白で黒髪を三つ編みにして、少し両目の間が広くて笑顔が素敵で、賢くて美人の君が居た。僕の初恋の人、中学二年の君が居た。このあと同級生でイケ好かないスポーツマンにかっ攫われてズタズタにされる前の、身も心も美しく清らかなままの君が居た。耳年増で、ちょっとエッチな話題が好きな君が居た。

「ねえ」

 まるでソラリスのように、脳裏に浮かんだ君がそのまま目の前に現れて僕に話しかけている。

「ねえ」

 まるでソラリスのように、脳裏に刻んだ傷をそのまま目の前で抉られた僕に話しかけてくる。

「あたしの事、どのぐらい好きだったの?」

「あたしの事、どのぐらい好きだった?」

「あたし、あたし、どのぐらいの事、あたしが好き?」

「あたしの事、どのぐらい好きだったの?」

 遠くを見つめているようで、何処も見ていない虚ろな目つきをした、君の粗悪な幻覚が僕に向かって訪ねてくる。壊れたレコードプレーヤーにハメ殺された古い海賊版がシュルシュルと回っている。君は同じセリフ、同じフレーズを繰り返す。あの日の君の姿のままで、誰にも似てないエガオノママデ。

「僕は」

 意を決して彼女と向き合い、はらわたから絞り出したフレーズを彼女に向かって放り投げる。

「一日、君の顔を見ないだけで干からびちゃうぐらい、僕は、僕は」

「あたしの事、あたしの事、どのぐらい好き? どのぐらいがあたしは好き?」

「君の事が」

「あたし? どのぐらいのあたし? あたしのあたしのあああああらしああしあたしの」


「好きだった」


 途端に絶叫、綺麗だった顔をクシャクシャにしながら悲鳴を上げて、陽ざしを浴びた雪のようにドロドロに、あっという間に溶けてゆく青白い君が雫になって四散する。僕の好きだった君は死んだ。僕の目の前で、あのイケ好かないスポーツマンと燃えるようなキスをして、そのまま君は消えて行った。僕は、あの日、知恵熱が出たんだ。そして目が覚めると、すっかり熱は冷めていた。怖いものですね、冷めたら気付いた。


つづく


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ