表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OSAKA EL.DORADO  作者: 佐野和哉
プロローグ
1/90

1.In Your Face.

 目を覚ますと、車窓の流れが心なしか緩やかになっているようだった。

 どこの街並みもそう大きくは変わらないが、やはり旅先で見る建物や道路、線路、ヒトの流れというのはいいものだ。

 寝台特急ブルースポメニック号が誇る特別室の旅は快適そのもので、実によく眠ることが出来た。思えば数時間でも熟睡したのなんて、どれぐらいぶりだろう。


 時代がどんなに変わっても、機械がどんなに優れても、あの妙に割れてガニガニした声の車内アナウンスは変わらない。そのお馴染みのガニガニ声で、次が終点のトライアンフオーサカであると告げていた。

 混み合うプラットフォームから改札を出て、第二ネオ梅田東駅まで地下通路で移動し、地下鉄ミドースジ線で南下して難波で降りたらミドースジを少し北へ戻る。トライアンフオーサカ南部で随一の歓楽街は戦後ますます活況、いやむしろ賑わい過ぎて混沌の様相を呈していた。


 職を求め、慰安を求め、ヒトやカネやカラダ、酒、あらゆるものを求めてやって来る人々と、それを出迎える店や人。そしてもうちょっとロクでもない店や人。人外外道。

 夕刻に近づいたミドースジを歩く人々は、今夜もこれからまた始まる狂乱のひと時を前に、みな一様に高ぶった顔をして往来をゆく。

 店先には呼び込みが立ち並び、我先にと声を張り上げている。可愛い女の子がメイド服やチャイナドレスにセーラー服、果ては水着姿で甘い声を投げかける一方で、スーツを着た男前のお兄さんが物憂げな顔でご婦人方を狙う。だみ声のハチマキ親父が自慢の焼鳥や鉄板焼きを喧伝すれば、鍋屋の女将は白子が煮えてる精力満点と淀みなく歌い上げるようにがなっている。

 そこに、アチコチの国の言葉が飛び交って皆一様にボリュームを上げて話すものだから、最早何処の誰の言葉がどこの国のモノだかもわからない。自分が今、いったいどこをほっつき歩いて居るのかも危うくわからなくなりそうだ。


 喧しく騒々しい、無国籍情緒溢れるミドースジの日が暮れる。燃えるような夏の夕暮れに圧し潰されそうになりながら、僕はとある古い雑居ビルを目指した。

 元は外国の領事館だったという建物を目印に左に折れると、ミッテラスジだ。大阪では筋と通があって、地図で見ると筋が縦で通が横に走っている。でもこのミッテラスジは筋だけど横向きの、なんだかややこしい場所でもある。


 そんなミッテラスジの一角に、日宝三ツ寺会館というビルヂングがある。いつでもうっすら濡れた路面から酒と夜の匂いが立ち込めている交差点に聳え立つ、築百年近い由緒あるいわくつきの建物だ。ウノ兄さんは、この中の小さなバーだったものを改装して部屋にしていた。元は飲食店の集まるビルだったが、戦前から少しずつ店子が空いて、そこに住み着いてしまう人たちが出始めた。兄さんもそのクチで、何処かの伝手を辿って潜り込んだらしかった。


 さーーて、と……探すと言っても、どうしようかな。

だいぶ減ったとはいえまだ小さなお店がかなりある。いっそ何処かに入って聞いてみようか。ずっと前からありそうなお店がいいな。

 階段の傍らに入居中の店の名前がずらりと並んだ看板があって、年代物の蛍光灯で照らされている。その中でも地下にあるお店は、どうも此処で営業して長そうだ。

 なんとなく当てずっぽうではあったが、そう見当を付けて階段を下り始めた。ひしゃげた集合郵便受け、曲がった手すり、砕けた階段。あちこちのタイルが剥げて、コンクリートの端っこがどこもかしこも割れてたり欠けてたりする。本当に大丈夫なのだろうか、ここは……。


 手始めに、階段からいちばん近くのドアを開けてみる。呆気なく開いた赤い木製ドアの中は真っ暗で黴臭く、かすかに空調の唸る音だけが羽音のように聞こえるだけだった。

「ここじゃない、と」

 その隣は鍵がかかっていて開かない。その隣も留守。その隣は……僕がドアを開けたことにも気づかないほど、カウンターで若い男女数名が夢中になって折り重なって絡み合っていた。冬越しのテントウムシみたいな連中を尻目にそっとドアを閉めて、次の店へ。

 

「ごめんくださーい」

 年季の入ったドアにはステッカーが地層のように重なり合って貼り付けられていて、いちばん下に見えるものが一体いつのものなのか見当もつかない。手垢と摩擦で磨かれきったドアノブが少し緩んでいて、思いがけずガチャンと強く回ってしまい内心焦る。

 店の前にはアコースティックギターの形をした看板があって

「BARプカプカ」

 と白い太字でくっきりと描かれていた。

「いらっしゃい」

 ドアの方を向いた男は40歳ぐらいだろうか?

 濃いワインレッドのベレー帽に丸い黒ぶち眼鏡の、ヒョロリと痩せた体に簡単なTシャツとジーパンという出で立ちで、なんとも肩の力の抜けたスタンスだ。この人がココのマスターかな。


 店にはカウンターの椅子が5席と、僅かな通路を挟んで小さなテーブルがひとつ。丸椅子がふたつ。それだけで、あとは店中をレコードから映画やライブのポスター、フライヤー、各々が持ち寄った書籍から打楽器、ギター、鍵盤ハーモニカにイリンデンバラライカブルトンと呼ばれる東アブセチア共和国の伝統楽器まで雑多にひしめき合い、思わず圧倒されてしまう。

「……すごいなあ。あっ、ごめんよ。ひとり、いいですか」

「ええどうぞ。今日はヒマでね」

 店の中に客の姿は無く、店主は如才なく自分の前の席にオシボリを置いて僕を出迎えた。

 

「何にしましょう?」

「サルマンタリミンド、ある?」

「あ、いま出来るかな……お、あるある。出来ますよ」

「じゃあ、ロックで」

「はい、少々お待ち」

 ベレー帽の店主が慣れた手つきで東アブセチア共和国の名物カクテルを作り始めた。さっきのイリンデンバラライカブルトンを見て、思い出したのだ。

 そうだ、トーアブにも兄さんと二人で行ったんだった。旅行や遊びに行ったんじゃなく、戦争のお手伝いをしに。僕たちは死神の代理人、地獄から派遣された歩合制の殺し屋だった。


「はーい、お待ちどう」

「どうも。お兄さんがここのマスター?」

「ええ。どうも」

「じゃあ、何か飲んでよ。おごるからさ」

「そうですか、じゃあ、ビールを」

「どうぞ、どうぞ」

 イソイソと自分のコップを洗って、ふた昔前に普及した炭酸ガス式のビーアサーバーから器用にビールを注ぐ店主。こんな骨董品が現役稼働中だなんて。ますます面白い店だ。

「お兄さん、お名前は?」

「僕ですか、お兄さんって年でもないですけどね。僕はダイゴローです。お兄さんは?」

 ダイゴローと名乗った男がビールを注いだコップを掲げ、僕の前に突き出した。

「僕はマノ。お兄さんを探してるんだ。僕は弟だからね」

 二人の間に交わされた、お兄さん、という言葉を踏まえて、僕はそんな冗談を言ってロックグラスを突き出した。

「じゃあダイゴローさん、乾杯だ」

「マノさんに、乾杯。ごちそうさま」

 カチン、と心地よい音がして、二人で酒を飲み交わす。

「ああ、んまい」

 サルマンタリミンドは複数のスパイスを漬け込んだシロップに果実のリキュール、もしくは度数の高い蒸留酒を用いることもある、複雑な味わいの楽しめる東アブの伝統的なお酒だ。

「ダイゴローさん、サルマンタリミンド美味しいよ。上手だねえ」

「そうですか? 常連さんがよく飲んでましたからねえ。よかったです」

「そうなの? 前に頼んだ人って、どんな人?」

「つい最近でしたよ。もう此処を出てどっか行っちゃうんで最後にって。よく来てくれた人でね。いいお客さんでした。そういえばどことなくマノさんに、ちょっと似てたなあ」

「名前は、名前はわかりませんか? 背が高くて、髪の毛長くて黒で、で女好きでスケベでカワイ子ちゃんなら性別も問わない勢いの……」

「どんな人ですか、それ。でも、よく知ってますね。そんな感じの人ですよ。……ウノさん、って言ったかな」

「兄さんだ!」

 僕は思わずカウンターの椅子から飛び上がってしまった。バン、と叩いた拍子に、テーブルの片隅に立てられていた古い本がパタンと倒れる。

「あっすみません」

「いえいえ、よっこいしょ」

 ダイゴローさんがカウンターから身を乗り出して本を直しつつ、ビールの残りを飲み干した。

「え、ウノさんの弟さん!? 道理で名前も似ている……」

「兄さん、もう此処には居ないんですか」

「ええ。どっかに用事があって出かけるから、もう此処も引き払うって」


(戦争に行ったんだ……)


 兄さんはいつもそうだ。帰る場所をなくしちゃってから、戦いに行く人だった。そうじゃないと未練があるから、って。僕たちは母星を失って以来、本当の意味の故郷は文字通り木端微塵で、宇宙の塵になった。だから、もう何処にも戻ったり帰ったりは出来ねえんだ、って。兄さんいつも言ってた。

「なるほどね、ウノさんもマノさんも、よその星からいらしてたんですか」

「えっ!? ダイゴローさん、テレパスなの?」

「いやいや、全部、下向いてブツブツ喋ってはりましたよ。てっきり僕に話してくれてるのかと思って、相槌を打っちゃって」

 思ったことが口に出ちゃうのは、僕の悪い癖だ。

「それで、兄さんは何処へ行くと言っていましたか」

「うーーん、確かマッドナゴヤに用があるとか」

「なんてこった、行き過ぎた」

「いつも一緒に来てた侍のおじさんと、体のデカい男の子も居たっけ」

「そっか。兄さんは此処で何か準備をしてたんだ。その二人は、きっと仲間なんでしょうね。あの人は人ったらしだから……」

「確かにそうかもしれないなあ。飲みっぷりもよくて、遊び方が綺麗で粋でしたよ」

「何の準備も下調べも無く、あんなところに乗り込むわけがない。何か手掛かりを残してないかなあ……明日にでも調べてみようっと」

「そういえば、僕の家はサカイスジに近いんですが、よくニッポンバシオタロードで見かけましたよ。ドーグヤスジの工具店とか、電子部品のお店なんかに居たので、声かけて立ち話したり、露店でイカ玉焼きをご馳走になったりしました」

「ニッポンバシオタロードね、ありがとう! じゃあ情報料だ、もうイッパイ飲んでくださいな」

「ありがとうございます、じゃあお茶割りいただきまーす」

 カウンターの中でお茶割りを作るダイゴローさんの、その後ろの棚に並ぶ無数の酒瓶、店中を埋め尽くすポスター、フライヤー、絵葉書、テレホンカードにチラシ張り紙……この風景の中に、ついこの間まで兄さんが居た。思いがけず手掛かりを掴んだ僕は嬉しくて、その後もダイゴローさんと夜更けまで酒を飲みながらいろんな話をした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ