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第九章 Vodka Apple Juice


Vodka Apple Juice (Liberté 137)


 生温い風が吹く。木々が揺れ、木の葉が擦れる音も何処か不安を煽るように感じてしまうのは、任務の所為だろうか。そんなことを考えながら、鬱陶しそうに前髪を掻き揚げた茶髪の青年はふぅと息を吐き出した。


「無理はしないでくださいよ」


 すぐ隣で、念を押すようにそう言う相棒。スファルは小さく頷いて、そんな相棒の方へ視線を向けた。

 二振りの剣を握った長い淡水色の髪の相棒は藍色の瞳を真っ直ぐ前に向けている。心配している、というにはあまりにそっけない態度だが、恐らく心配してくれているのだろう。そう思いながらスファルはくつりと笑った。

 彼が笑ったものだから拗ねたのだろうか、彼……カルセは少し眉を寄せ、スファルの方に視線を投げた。


「貴方はすぐに無理をしますからね。これくらい念を押しておかないと」

「わかってるさ」


 共に任務に赴く度にカルセに言われることだ。耳に胼胝ができる程聞いた。そう言いたげにスファルは肩を竦める。そんな彼の様子を見て、カルセは呆れたように溜息を一つ。


「いつもわかっていないから私は貴方を叱り飛ばす羽目に陥っているのだと思うのですがねぇ」


 今まで何度そんなことがあったか、と説教が始まりそうな声音。それを聞いてスファルはがしがしと頭を掻きながら、肩を竦めた。


「お前の場合、叱り飛ばすっつーか、ハッ倒すの間違いじゃね?」


 実際、見た目によらずカルセはどちらかというと実力行使派だ。医療部隊の騎士にしては珍しく、手が出やすい。事実、"ハッ倒された"ことは何度もあった。無論、どちらかといえば"叱り飛ばす"方が多かったが……どちらにせよおっかないことに違いはない。正論攻めで滾々と説教をされるのはなかなかに恐ろしいものである。

 スファルが今までにカルセにもらった説教を思い出して苦笑すると、カルセはややツリ気味の瞳を更に吊り上げて、いった。


「……何か言いました?」

「いーや、別に」


 くっくっと笑いながらスファルは首を振る。こうして相棒と軽口を叩き合う時間はなかなかに好きだ。そんなことを想いながら。

 カルセはそんな彼の様子に溜息を一つ。


「まぁ、構いませんが……ともかく、今は前を見るべきですよ、スファル」



―― 敵は、眼前に居るのですから。



 そんな彼の言葉通り……彼らの眼前には大型の竜が居た。事前に受けていた報告よりずっと大きく見える竜は低く唸り、小さな討伐者きしたちを見下ろしている。

 竜の討伐に来た騎士たちは皆一様に緊張した表情を浮かべており、呑気に軽口を叩いているのはスファルはとカルセくらいのものだった。

 しかし別に彼らはふざけている訳ではない。二人ともきちんと、任務に対する緊張感は持っていた。その上で、こうして軽口を叩きあう。それが彼らの癖であった。

 刹那、竜が低く唸る。ぎらつく瞳。荒い呼吸。強く地面を踏みしめる音が響く。戦闘態勢を示すその様子に、騎士たちは皆緊張した表情を浮かべた。


「防御術、準備!」


 部隊長の叫びが響いたその刹那、竜は勢いよく炎を吐き出す。

 バチバチと、炎が弾ける。草鹿の騎士たちが張った障壁に阻まれた炎は四方へ散る。周囲の木々が焦げた臭いがしたが、すぐに消えるだろう。煙で視界が悪くなる前に、と炎豹の騎士たちは一斉に竜に斬りかかった。


「スファル!」


 竜の尾が振り回される。それが自身の相棒を巻き込む範囲であることを理解したカルセは叫ぶ。スファルはにっといつも通り、力強く笑って、いった。


「おう、任せろ!」


 そう言うと同時にスファルは勢いよく飛び退いた。そして竜の尾での攻撃を躱すと同時、大ぶりの剣で勢いよくそれを斬り付ける。


 竜の皮膚は硬い。故に簡単に傷をつけることは出来ないが、流石に苛立ったのだろう。竜が咆哮を上げた。


 炎を吐き、爪を振りかざし、尻尾を振り回す竜。その攻撃一つ一つが致命的なものだ。諸に当たれば命はないだろう。

 一瞬たりとも気が抜けない。そんな戦闘はなかなかに集中力を使う。

 ふぅっとスファルは息を吐き出して、伝ってきた汗を拭おうとした。




―― 瞬間。




 強い力で、体を突き飛ばされた。全く身構えていなかったこと、一瞬とはいえ完全に気を抜いていたことから、スファルは綺麗に弾き飛ばされ、地面に倒れこむ。


「な……」


 なんだ、と思うと同時に目の前に障壁が張られた。

 ガンッと鈍い音。それは、スファルを突き飛ばした張本人……カルセが張った障壁に竜の爪が当たった音だった。


「ッ……」


 流石に衝撃が強かったのだろう。カルセが体勢を崩す。その時に彼の足に変な力が加わったのが見てもわかった。整った横顔が微かに歪む。


「カルセ!」


 思わず彼の名を呼べば、スファルは一瞬視線をスファルの方へ投げた。そしていつも通りの笑みを浮かべながら、言う。


「貴方が圧されるとは、相当の……っ」


 再び竜の爪が障壁を襲う。恐らく先程からスファルが集中的に竜に攻撃を仕掛けていたため、だろう。その相棒であるカルセに攻撃が集中している様子だった。

 カルセが顔を歪める。彼が張った障壁に罅が入ったのも目に見えた。


「ち……ッ」


 それを見るとスファルは素早く体を起こし、カルセの体を抱いたまま、横に飛ぶ。彼が張った障壁は壊れ、先刻まで彼が立っていた場所を竜の爪が切り裂いた。

 地面を抉る竜の爪。鈍い音が響き、土埃がもうもうと上がった。固い地面が深く抉られる。……もしその爪が抉ったものが人間だったならば。それを想像すると恐ろしい。

 爪が地面を抉った際に竜の動きが止まった。それを見た炎豹の騎士たちは一斉に、竜に斬りかかる。


「かかれ!」


 強い魔力を纏った斬撃は、的確に竜の喉を切り裂いたらしい。どうっと、竜の巨体が地面に倒れた。


「うわ……」

「わ……っ」


 地響きに思わず、カルセもスファルも声を上げる。

 もうもうと土埃が上がる。一瞬の静寂の後、騎士たちの歓喜の声と安堵の溜息が響いた。


「よし……」


 どうにか、なったか。カルセを庇った状態で飛んだスファルはふううっと息を吐き出す。そして体を起こす彼を睨んで、怒鳴るように言った。


「無茶すんなはこっちの台詞だ馬鹿!」


 肝が冷えた。あんな状態で障壁を張って、自分を庇おうとしたこの相棒に。ともすれば、いま庇っているこの体は冷たい骸と化していた可能性だってある。とんでもない無茶をする、と彼は眉を寄せた。

 それを聞いてカルセは呼吸を整えながら、言う。


「は……っ、無茶では、ありませんよ……草鹿の騎士として、パートナーを、守ったまでです……完璧な防御だったでしょう?」


 そう言いながら彼は微笑む。色の白い額に汗が滲んでいた。顔色が少し悪く見える。スファルはそんな彼の額を小突いて、言った。


「障壁だけなら此処までバテねぇはずだ。……お前、魔術も使ってたろ。流石に竜相手じゃ限界はあっただろうが」


 カルセには相手の視覚や聴覚といった感覚を支配することができる能力がある。人間は勿論、魔獣にも通用するものだ。

 恐らく彼はその能力で竜の動きを何度か阻んでいたのだろう。スファルが攻撃を仕掛けている間に竜が不自然に動きを止めた瞬間が幾度かあった。流石に大型の魔獣相手には厳しかったのだろう。ほんの一瞬しか、動きを止めることは出来なかったようだが。

 スファルの指摘にカルセは少し驚いたような顔をする。藍色の瞳がぱちりと一度、瞬いた。


「……まさか貴方に気づかれるとは」


 そんなカルセの言葉にスファルは小さく噴き出す。


「お前俺をなんだと思ってんだ。気づくに決まってるだろ、お前の魔力は良く知ってるんだからさ」


 スファルはその能力を持たないため実際のところはよくわからないが、魔力消費量はきっと尋常ではないはず。だからカルセは疲れているのだろう。そうでもなければ、彼が張った障壁がああも簡単に壊れてしまうことなどないのだから。

 それなのに彼は、スファルを守ろうとした。しかも、あんな風に無茶な体勢でスファルの体を突き飛ばしてまで。

 スファルは深々と溜息を吐き出す。そしてカルセを見ながら、苦笑を漏らして、いった。


「ったく……お前はあくまで補助で来てるんだろうが」


 あんまり無茶するな、とスファルはカルセにそう言う。それを聞いてカルセは笑みを浮かべて、首を振った。


「生憎と、そんなおとなしい性格ではないので……」


 そう言いながら藍色の瞳を細めるカルセ。確かに彼はお世辞にも大人しい性格ではない。それをスファルはよくよく知っている。


「ほんとにな。お前は見た目詐欺も甚だしいよ」


 そう言いながらスファルは苦笑を漏らす。

 カルセは見た目からして儚げで、大人しいように見られがちだ。実際のところ普段は穏やかに微笑んでいて、自室で医学書を読んでいる姿の方がよく似合う。

 しかし実際は、違う。確かに基本的には穏やかな性格で、読書が好きなのも違いはないのだけれど……戦闘時ともなれば大ぶりの剣を二本振り回し、炎豹の騎士であるスファルと似たり寄ったりの戦闘能力を持っている。案外と皮肉屋で、言葉がきつい時もあるほどだ。

 ……彼のそんな素性を知ったら驚く騎士もきっと多いだろう。普段穏やかに微笑み、友人や仲間たちと接している青年が戦場では頼もしい戦士なのだから。スファルはそう思いながら緩く、口角を上げた。


 ともあれ、任務は完了だ。周囲にいる騎士たちも帰り支度を進めている。スファルは一つ息を吐くと、カルセを立たせて、問いかけた。


「怪我は?」


 そう問えばカルセは微笑んで見せた。


「大したことありませんよ」

「……それは何より」


 彼の返答にスファルは溜息を吐き出す。無傷ではないようだが、ああ問いかけたところで彼が正直に言うはずがなかったか、と思いながら。

 カルセはそんな彼に向かって逆に問いかけた。


「貴方こそ、怪我は?」

「軽く擦りむいただけだ」


 問題ねぇよ、とスファルはそう返す。するとカルセが藍色の瞳をすぅっと細めて……スファルの左手首を掴んだ。ぐいっと力を入れられて、スファルは顔を歪めた。


「いてぇっ!?」

「嘘が私に通用するとでも?」


 にっこりと微笑みながら、カルセは手に力を込める。これにはたまらず、スファルは悲鳴をあげた。


「いてててっ、やめろ、わかった! ちょっと捻ったんだよそんだけだ!」


 そうスファルが素直に声をあげると、カルセは二コリと微笑む。そして自分が握りしめていた彼の手首を軽く擦って、言った。


「利き手……でなくて良かったですね」


 安堵した声音だ。揶揄い合うことが多いとはいえ相棒同士。心配するに決まっている。

 しかし不意にそういう態度をとられると、少し面食らう。スファルは少し視線を揺るがせてから、曖昧に笑った。


「ああ……まぁ、俺は一応両利きなんだがな。……カルセこそ、歩けんのか?」


先刻、スファルを庇った際に彼は足を捻っていたはずだ。どちらかというと彼の方が重症な気がする。そう思いながらスファルは問うが、カルセは余裕の笑みをうかべて、言う。


「軽く捻っただけです、大したこと……」


 大したことありませんよ、と言おうとしたのだろう。しかしその言葉は途中で切れる。

 というのも、不意にスファルに抱き上げられたからで……


「え、は……?!」


 カルセは藍色の瞳を大きく見開く。そして彼にしては珍しい、裏返った声をあげた。


「な、何を……」


 スファルは彼の発言に少し眉を寄せる。そしてっ差も当然といわんばかりにいった。


「あ? 怪我してんだから歩くの辛いだろ。……おとなしく抱かれてろ」


 こうでもしないと彼は頼ってなどくれないのだから。スファルはそう思い、ずんずんと歩き出す。流石に力はスファルの方が上。暴れても恐らく下してはもらえないだろうし……とカルセは諦めて、体の力を抜いた。


「貴方と似たり寄ったりの背丈がある男にすることではないと思いますよ。それに貴方も手首……」


 ぼそりと呟くように言うカルセ。彼の発言にスファルは小さく笑う。そして彼を抱き直しながら、揶揄うような声音で言った。


「怪我人に男も女もねぇよ。そうだろ? それにこうやって抱き上げられる程度の怪我だっての」


それはいつもカルセがスファルをはじめとする草鹿の騎士たちによる治療を受ける騎士たちに言っていることだ。故に反論も出来なかったのだろう。カルセはぐ、と言葉を飲み込んで、溜息を吐いた。


「……本当に意地が悪いですね、貴方は」


 そう言いながらじとりとスファルを睨みつけるカルセの藍色の瞳。こうした表情を見られるのも彼の相棒である利点かな、と思いながらスファルは目を細めた。


「お前が意地っ張りなだけだろ」


 そういってくっくっとスファルは笑う。カルセはそんな相棒を見て一つ溜息を吐き出した後……すぐに、表情を綻ばせたのだった。














第九章 Fin

(ウォッカアップルジュース:強さと優しさ)

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