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第六章 Caipiroska

Caipiroska (Liberté 137)




 体が熱い。それなのに寒気を感じるという不思議な状況に顔を顰め、リスタは布団を握りしめる。は、と荒く息を吐き出した時、脇に挟んでいた体温計を引き抜かれた。

 その目盛りを読む、藍色の瞳。それがすぅと細められた。


「三十九度……完全に風邪ですね」


 やれやれ、というように息を吐き出すのは白衣姿の少年。少しずれていた眼鏡を直して、彼……カルセはじっとりとした視線をリスタに向けた。


「無茶をするからですよ、リスタ。最近やたらとたくさんの任務に出掛けていたでしょう」


 録に休みもせずに。そう彼に言われて、リスタは布団の中で首を竦める。少し潤んだ銀の眼を揺るがせながら、彼はぼそぼそと呟くように言った。


「う……無理は、してないつもり、なんだけど……」


 確かに任務は多かった、気がする。けれども無理をしているつもりはなかった。普通にこなせる程度だったし、無理をしなければならないほど難しい任務ではなかった。言い訳のようにそうリスタは言う。

 しかしカルセはそれを聞いて溜息を吐き出してから、彼の頭を小突いて、言った。


「私にその誤魔化しが通用するとお思いで?」

「……思いません」


 がくっと項垂れるように、リスタは布団に潜りこむ。それをみてカルセは満足げに頷いた。


「よろしい。おとなしく寝ていなさいな」


 穏やかな声でそう言って、カルセは彼の体にしっかりと毛布をかけた。そして彼のために薬や水の用意をしていく。流石は医療部隊の騎士だ。その手際はなかなかのものである。リスタは面倒見の良い友人のそんな姿をぼんやりと見つめていた。

 しばしば揶揄うようなことを言うことが多いカルセ。しかし根は真面目で、優しいのだ。リスタが体調を崩したと聞いて、自らこうして来てくれたらしい。友人想いな彼らしい。そう思いながらリスタはふっと、表情を綻ばせた。

 と、その手が止まる。ふっと小さく息を吐き出したカルセは呟くような声で、リスタに問うた。


「何か嫌なことでも?」

「……へ、何が?」


 唐突な彼の問いかけにきょとんとするリスタ。そちらへ視線を向け、カルセは言った。


「最近の貴方は、その……何だか自棄になって任務に出掛けているような気がしたので」


 リスタの無茶な仕事ぶり。そして今こうして寝込む羽目に陥っているのは、彼が自棄になった末に起きたことのような気がしたのだ。

 カルセの発言にリスタは一瞬大きく目を見開いて……それからそっと、視線を伏せた。そんな彼の反応を見るに、自分の思った通りなのだろうとカルセは思う。


「……大丈夫」


 リスタは暫し黙り込んでいたが、やがてぽつりと呟くように言った。


「……凄く私的な、ことだから」


 その声が少し掠れていたのは、決して風邪の所為だけではないだろう。そう思いながらカルセは藍色の瞳を細めた。


「そうですか」


 一言、そうとだけ返すと、カルセはまた看病の支度を進めていく。特に何を言うでもない、聞くでもない彼を見て、リスタは銀灰色の瞳をゆっくりと瞬かせ、声を漏らした。


「聞かない、んだな」

「聞いて欲しいのですか?」


 そんな言葉と同時に向けられる藍色の瞳。それを見て、リスタはふるふると首を振った。

彼の反応に、カルセは小さく笑う。そして吸い飲みに水を少し入れると、ふっと息を吐き出して、言った。


「病人につらつら話をさせるようなことはしませんよ。少し、事情を聞いておきたかっただけで。長くなりそうな話なら、貴方が元気になってから聞きます」


 だから、早く元気になりなさいね。優しい声でそう言ってカルセはそっと、リスタの頭を撫でた。

彼より幾分年上のカルセ。その手は優しく、温かい。そんな彼の手を感じながら、リスタは温く穏やかな眠りに落ちていったのだった。




***




 眠ったリスタの額に濡れタオルをおいてから、カルセは部屋を出た。

 かなり熱が高かった。きっと食欲は、ないだろう。それでも何か、軽く食べられそうなものを用意してやった方が良いだろう。薬を飲ませるにしても、胃に何もいれないままでは良くないし……そんなことを考えながら、食堂に向かう。


「カル」


 聞きなれた呼び名にカルセは振り返る。クレースが心配そうな表情を浮かべて、カルセを見つめていた。隣には同じく心配して来たのであろうスファルもいる。そんな彼らを見て、カルセは小さく首を傾げ、問いかけた。


「スファル、クレース、どうかしました?」

「リスタ、どうかなって思って」


 クレースはそう問うて、眉を下げた。どうやら彼が言わんとしているのは風邪の具合のことだけではないようだ。


「どういう意味です?」


 カルセはそう、クレースに問う。それを聞いて、クレースは小さく溜息を吐き出すと、呟くように言った。


「最近のリスタ、何だか、すごく無理してるみたいだから」


 数日前……帰省から戻ってきた時から、彼はやたらと無理をしているような気がした。疲れていても無理に任務に赴いていたし、報告書もさっさと仕上げていた。疲れた、辛い、といった言葉を吐いているところは見たことがない。いつも明るく笑っていて……それだからこそ、酷く無理をしているような気がしたのだ。風邪を引いたことも勿論心配なのだが、クレースが心配しているのは、どちらかといえばリスタの精神状態だった。

 彼が全てを背負い込んでしまう癖があることはよく知っている。それ故に今回体を壊したことも。……根本的な解決をしなくては、全く意味がないだろう。

 カルセはふうと溜息を吐き出して、軽く肩を竦めた。


「大きな家の子供、というのも大変なのでしょうねぇ」


 部屋に寝かせてきた、少年。自分たちより年下の、まだか弱い少年。彼が背負うには、家の名は大きすぎる。カルセは呟くようにそう言う。

 ロゼル家といえば、国内でも有数の魔術師の家系なのだ。その名を背負って生きるというのは決して楽なことではないだろう。カルセがそう呟くのを聞いて、クレースは小さく首を傾げる。


「カルもじゃないの? カルもそれなりに大きな家の子でしょう」


 クレースはそう言う。カルセはそんな彼の言葉に苦笑まじりに首を振った。


「私は普通の家の子供ですよ、確かに家は裕福な方かもしれませんがこうして自由にさせてもらっていますし」


 確かに裕福な家ではあったが、別に特別な家ではない。だから自分は彼のようなプレッシャーを感じたことはない。カルセはそう答える。


「そっかぁ……」


 なるほど、というようにクレースは頷く。そして少し、安堵した顔をする。カルセもまた、無理をしがちだと思っていた。それが彼の性分であることは、恋人であるクレースにもよくわかっていたけれど更に彼が家のことをあれこれと考えているようだったら……どうにかしてやらないといけないと思っていたから。その心配が、少なくとも彼に聞く限り無いということがわかって、安心したのだった。

 隣で話を聞いていたスファルも溜息を吐いて、呟いた。


「ロゼル家、といったら魔術師の名家だよな。プレッシャーとか、凄そうだもんな」

「そういう貴方も先祖代々騎士団の家系でしょう、かくいう貴方もそうなのでは?」


 カルセは逆にスファルにそう問いかける。

 スファルの家……セフィーロ家はカルセの言う通り、先祖代々騎士を務めている家系だ。リスタとはまた少し違うが、特殊な家であることに違いはあるまい。カルセはそう言うが、スファルは苦笑まじりに首を振って、答えた。


「いや、俺は別に。最初から普通に騎士になりたいって思ってたし、性にもあってたしな」


 確かに幼い頃から騎士になるためにと訓練を受けてはいたが、それを嫌だとか辛いとかと考えたことはない。寧ろこうして騎士として働けることは誇りに思う。スファルがそう言うと、カルセは何処と無く安堵した顔をした。


「そうですか、それならば良いのですけれど」


 そっけない風に言うカルセではあるが、スファルのことも気にかけているのだろう。彼は、カルセにとって唯一の相棒(パートナー)だから。

 そんな彼の想いはスファルにもよくわかっているようで、彼は嬉しそうに表情を綻ばせて、言った。


「俺はそういうキャラじゃあねぇよ、心配すんな」


 スファルはそういってにっと八重歯をむき出しにして笑うと、わしわしっとカルセの頭を撫でた。迷惑そうに首を竦めるカルセを見て、クレースもくすくすと笑う。


「カル、そんな顔することないじゃない、スファルは励ましてくれてるんだしさ」

「励まし方をもう少し考えてください……」


 髪が乱れるじゃありませんか、とぼやくカルセ。しかしその口元は微かに緩んでいる。スファルもそれを見て、愉快そうに笑みを浮かべたのだった。




***




 優しい手が頭を撫でているのを感じる。誰の手だろう、とリスタは考えた。

 誰の手か、知りたい。しかし気怠くて目を開ける気にならない。ふわふわとした意識の中で"母にこんな風に撫でられたことはあったかな"と考えた。

 幼い頃から、魔術の訓練ばかりをしていた気がする。褒められることも時にはあったが、上手くいかずに叱られた記憶の方が強く残っていた。それが普通と思っていたから、別に辛いと思いはしなかった。

 けれども、騎士団に入り、ある程度の分別や、自分が育った環境が"異常"であると改めて理解した今、気にかかるのは自分の弟のこと……彼もきっと、ロゼル家の人間としての資質を、能力を求められるのだろう。それが彼の重荷にならなければ良い、彼が辛いと思わなければ良い……そう思っていた。

 そのために兄である自分には何が出来るだろう、そう考えた時リスタが思い至ったのは"強くなること"だった。強い騎士として、勇ましい兄として、ロゼル家の名に恥じない活躍をすることで、両親や祖父母の過度な期待が弟に向かわないようにすること。それが自分に出来ることだとリスタは、そう思っていた。

 だから、頑張って、頑張って……頑張り続けて……――




***




「う……」

「おや、目が覚めましたか?」


 目を開ければ、そこには淡い淡水色の髪を背に流した少年の姿があった。穏やかに細められる藍色の目。それを見てカルセ、と彼の名を紡ぐ。こくりと頷いた彼……カルセはそっとリスタの額を撫でて、問いかけた。


「具合はどうです?」

「ん……少し、よくなったか、な」


 体を起こそうとすれば、カルセは顔を顰める。そしてそのままリスタの額を軽く小突いた。刹那、体から力が抜けて、すとんとベッドに沈んでしまう。一瞬驚いてきょとんとしたリスタだったが、すぐに事情を理解した。そして溜息を吐き出して、いう。


「カルセ、魔術使うのはなしだろ……」

「こうでもしないと貴方は無理をしますからねぇ」


 にっこりと笑ってカルセはそう言う。彼の特殊な能力……相手の感覚を奪う魔術の応用だろう。医療部隊に所属する彼にとってはかなり便利な能力のはずだ。こうして、患者を文字通りおとなしくさせることが出来るのだから。

 とはいえ、まだ万全でないのも事実だ。リスタはおとなしくベッドに沈んだままでいた。

 彼がおとなしくしているというのを感じ取ったのかカルセが魔術を解いたようで、体の違和感は抜けた。……恐らく少しでも無理をしようとしたらまた体の感覚を奪われるだろうけれど。


「後で軽く何か食べて薬を飲みなさいね、そうしたらきっと明日には良くなるでしょう」


 疲れから来る風邪でしょうから、とカルセは言う。リスタは素直に頷くと苦笑を漏らし、言った。


「ありがとう……流石にずっとベッドは嫌だなぁ」


 そろそろ体を動かしたいなあ、とリスタは呟く。それを聞いて、カルセはくすくすと笑いながら、言った。


「リスタは案外アクティブですよね」


 カルセに言われてそういえばそうか、とリスタは思う。少し考え込んだ後、ふっと笑みをこぼして、言った。


「家にいるより、楽しいから……かな」


 思えば、騎士団に入ってから毎日が楽しい、と思う。変わらず魔術の勉強や剣術の勉強、任務もあるけれど、今の方が圧倒的に楽しい。リスタがそういうと、カルセも穏やかな笑みを浮かべて、言った。


「それならば良かったです。ただ、無理は禁物ですよ? 良いですね?」


 有無を言わせずそう言われ、リスタは苦笑まじりに頷いた。やや威圧的な言い方ではあるが、彼が自分をよく心配してくれているのが感じ取れる。


―― 早く、元気になって……


「何処か、一緒に出掛けたい、な」


 ふとこぼれたのはそんな言葉。唐突なリスタの発言にカルセは少し驚いたような顔をする。しかしすぐにそれは良いですね、と表情を綻ばせた。


「折角ですからねぇ……一緒に出掛けましょうか。きっとスファルやクレースも喜ぶでしょうから」


 ふわりと笑ってそういうカルセ。リスタはそれを聞くと銀灰色の瞳をすうと細めて、口を開いた。


「カルセは?」


 カルセにそう問いかける。彼はきょとんとして、藍色の瞳を瞬かせた。


「私?」

「カルセは、嬉しいのかな、って」


 そう思ってさ、といって、リスタは悪戯っぽく微笑む。カルセは幾度か瞬きをした後、可笑しそうに笑って、言った。


「勿論私も、嬉しいですよ。こう見えて、貴方たちと一緒に過ごすのは楽しいですからね」


 そんな彼の言葉に嘘はないようで、リスタは嬉しそうに笑った。普段滅多に自分の本心を晒そうとはしないカルセの、本心。それを見られることは純粋に、嬉しかった。自分のことを信頼してくれているのだなと、そう感じるから……――


「さ、そろそろお喋りはおしまいにしましょう」


 カルセはそういって、ふっと微笑んだ。そして軽くリスタの頭を撫でて、言う。


「病人はさっさと寝ることです、そうして早く元気になって……お出かけの計画を練れば良いでしょう?」


 そういって柔和に微笑む、白衣の少年。リスタはそんな彼の言葉に笑顔で頷いた。

 少し軽くなった心のままに目を閉じれば、穏やかな眠りが訪れる。


「お休みなさい、良い夢を」


 そんな優しいカルセの声を聞きながらリスタはとろとろと眠りについたのだった。















第六章 Fin

(カイピロスカ:明日への期待)

 

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