第三章 Bloody Mary
Bloody Mary (Liberté 136)
調子の外れた鼻歌を歌いながら歩く、任務帰りの道中。短い橙色の髪が風に揺れる。少し汗ばんだ肌を冷ます風が心地良い。そう思いながら少年……スファルは目を細めた。
ディアロ城の戦闘部隊、炎豹に所属する騎士である彼。任務はといえば基本的には魔獣の討伐だが、たまには街中の巡回の仕事もある。通常の、戦闘の任務より少し退屈には思ったが、こうした仕事が重要な仕事であることも十分によくわかっているため、やり甲斐は感じていた。
いつも通りの、街並み。賑やかな商店街。ゆっくりとそこを見て歩いていけば"騎士のお兄さん、少し見ていかないかい?"と声をかけてくる者もいる。甘いものや飲み物を売る店ならば少し覗いて、土産を買うことも多いのだけれど、生憎と今日は持ち合わせがない。"また来るよ"と応じると、彼は歩みを進めた。
と、その時。
「やめてください……っ」
路地裏から、微かに声が聞こえた。困ったような声。耳が良いスファルはそれを拾い、眉を寄せた。そしてその声がした方へ向かう。
そこには綺麗な身なりの男性と、同じく綺麗な容姿の少女の姿があった。男は少女の腕を掴み、少女はそれを拒んでいる様子だ。
双方それなりに良い身分の人間。そして男女の揉め事となれば、十中八九家関係だろう。現在の王家……ローディナス家が即位してからは幾らかこうした人間は減ったのだけれど、無理に求婚したり、自分の子供の結婚相手にと迫ったりするケースがあるという。これも恐らくそのケースなのだろう。
それが貴族の習わし、これまでもそうだったのだと言われたら頷かざるを得ない。然るべき相手との婚姻を、と思うのは至極当然のことだ。そのためだから強要されて結婚するということが珍しくないこともよく知っている。
けれども、"知っている"ことと"見逃すこと"は話が別だ。困っている女性を放っておくことなど、出来るはずがなかったスファルは、盛大に眉を寄せ、口を開いた。
「何をしている!」
半ば怒鳴るような声音で、スファルは言う。少年の声としては低い声に、男は少し驚いた顔をしてスファルの方を見たが、すぐに鼻を鳴らした。
「なんだ、騎士か」
相手が思ったよりも若い男であったこと、そして騎士という、自分たち……貴族に仕える階級であることに気が付いたためだろう。男は尊大な態度でスファルを睨みつけた。女性の腕を掴んだままの手を離す様子もない。スファルはそれを見て更に眉を寄せて、声をあげた。
「騎士として女性に乱暴しているのを見逃す訳にはいかない。一体どういう事情があってのことだ? そのお嬢さんは嫌がってるだろう」
相手が貴族であることには気が付いているが、だからといって応対の態度を変えるつもりはなかった。元々敬語で話すのが得意ではないし、何より今眼前に居る男相手に敬語で話をする必要性を感じなかった。
そんなスファルの態度もさらに神経を逆撫でしたのだろう。男は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、少女の腕をぐいと引いて、言った。
「貴様には関係あるまい。私はこの娘に用があるのだ、"私の家の話"だといえば、粗雑な騎士にも話が通じるかね?」
そう言ってのける彼を見て、スファルはふんと鼻を鳴らした。そして、嘲笑を込めた声で言う。
「なるほど、俺には確かに貴族様のお家に関することは関係ないな。だが、アンタのしてる行為を見過ごすことは出来ねぇな」
そう言うとスファルは少女の腕を掴んでいる方の男の腕を強い力で握る。普段剣を握って戦う騎士の力は強く、痛みで声をあげ、男はその手を離した。その隙にスファルは少女を背に庇った。そして、低い声で凄む。
「拒む女を無理矢理に引きずって行こうなんざ、賊みてえなことをすんじゃねぇよ。人攫いでももう少し上手くやるね」
「何!?」
スファルの発言に男は眉を吊り上げた。凄む表情を見せる彼を見ても、スファルは怯まない。それどころか笑みを浮かべて、言ってのけた。
「ああ、本当のこと言っちまったか? 最近は貴族のフリした人攫いも多いらしいからな!」
「貴様……ッ!」
あまりの侮辱に、怒りの声をあげた男は唇を噛む。そして、手にはめていた手袋を外し、地面に叩きつけた。スファルの背からそれを見ていた少女は大きく目を見開く。
手袋を外し、地面に投げる。それは、決闘の申し込みの合図だ。相手がそれを拾えば、申し込みを受けたことになる。
「私を馬鹿にしたことを後悔させてやる。明日、同じ時間に広場に来い」
拾えと言わんばかりに手袋を指さし、低い声で言う男。スファルはそれを見て緩く口角を上げる。そして、男の手袋を拾い上げた。承諾を示すように、一度力強く頷いて見せながら。
満足げにそれを見届けて、男は歩いていった。スファルはその背中に心の中で舌を出しながら手袋を無造作にポケットに捻じ込む。
「申し訳ございません」
消え入りそうな声が聞こえて、スファルは顔を上げる。そこには、彼の様子を不安げに見つめる少女。スファルは彼女の方を見ると、笑いかけて、問うた。
「怪我はないか、お嬢さん?」
「えぇ。あの、本当に、申し訳ありません、前々からああしてしつこく付き纏われていて」
そう言って、彼女は眉を下げた。
「困った男もいたもんだな」
スファルは苦笑しつつ、肩を竦める。そして、先程拾った手袋を捻じ込んだ自身のポケットを示した。そこをぽんぽんと叩きながら、笑った。
「ま、俺に任せておいてくれ。俺が勝てば彼奴はもうお嬢さんに手だし出来ないだろ」
ああいうプライドの高いタイプはきっと、負けたら大人しく引き下がる。良くも悪くも何よりも自分の家の名を大切にする性質だ。決闘に負けて尚女を追いかけ回すようなことはしないだろうと、思った。だから、丁度良いと思い、決闘を受けたのである。
スファルの言葉に彼女は少し眉を下げる。そしてもう一度頭を下げた後、彼女は首元に巻いていたリボンをはずして、スファルに差し出した。
「へ?」
驚いたように目を丸くして瞬くスファル。橙色の瞳が、差し出された赤いリボンを見つめる。これは一体何なのかと問いたげな彼を見て微笑むと、彼女は言った。
「私の代わりに決闘を引き受けてくださった勇敢な騎士様に、持っていていただくことは出来ますか?」
昔からの、習わし。騎士が誰かの代わりに決闘をするというのは、珍しくない。殊更、戦う力を持たない女性の代わりに剣を握るということは多かった。そういうケースでは、女性が自分の身に付けているものをその騎士に託す、という風習もあるのだということは今でも有名で。彼女はきっと、それに倣ってリボンを渡してきたのだろう。
「……参ったな。こういうのには慣れてないんだが」
そう言いながら、スファルは軽く頭を掻く。それから、少し不安げな顔をする彼女が差し出したリボンを受け取り、自分の剣の柄に結び付けた。にかっと笑みを浮かべて、彼は言う。
「任せてください、必ず勝ってみせましょう」
貴女に勝利を。そう口上を述べるスファル。そんな勇ましい彼の様子を見て、少女は微かに頬を紅潮させながら、小さく頷いたのだった。
***
城に戻ると少し心配そうな顔をしたカルセが待っていた。彼の帰りが思ったより遅いものだから、心配していたのだという。普段飄々とした態度をとる彼ではあるが、周りが想う以上に仲間想いであることをパートナーであるスファルはよく知っている。
「何かあったのですか」
そう問われて、スファルは剣に結び付けたリボンと、相手に投げつけられた手袋とを見せた。それだけで、カルセには事情が分かったらしい。一瞬目を見開いた後、カルセはすぐに呆れたような顔をしていた。
「……帰りが遅いと思ったら。そんな厄介事を背負い込んできたのですね」
彼は呆れたようにそう言う。藍色の瞳を険しく吊り上げている彼は今にも説教を始めそうだ。それを見たスファルは露骨に慌てた顔をした。
「か、カルセ、とりあえず中に入っても良いか……?」
こんなところで立ったまま説教は勘弁してほしい。眼前の相棒の説教は恐ろしいほど長いのだ。しかも理詰めで、何一つ間違っていないものだから反論できないことが多い。せめて座って話したい、とスファルは思っていた。
そんな彼の必死の形相を見て、カルセはそっと溜息を吐き出した。
「……良いでしょう、食堂でゆっくり話を聞きます」
カルセにそう承諾されて、スファルはとりあえず安堵した表情を浮かべた。……無論、"戦い"はこれからなのだけれども。
***
食堂に入ったところで、丁度食事を取りに来たクレースと会った。彼はまるで死刑台に引きずられていく囚人のような顔をしたスファルと、そして一見すればいつも通りの表情のカルセとを見るなり、溜息を一つ吐き出して、一言紡いだ。
「今度は何をしでかしたの、スファル」
カルセはクレースの恋人。それ故に、彼の感情の機微には敏い。今カルセが酷く不機嫌であることに気が付いたのだろう。そして、大体こういう状況元、原因はスファルであることもよく知っている。
図星であるために何も言えずに頬を掻くばかりのスファルを見て溜息を吐き出したカルセは彼に問うた。
「どうしてそんな厄介なことになったのですか、今日はただの巡回任務だったはずでしょう」
少し咎めるような口調なカルセ。スファルは少し首を竦めて、言う。
「事情があるんだって……そんな怖い顔するなよカルセ」
「怖い顔もしたくなりますよ、なかなか相棒が帰ってこない、可笑しいな、と思っていたらこの調子なのですから」
ぼやくようにそう言って不機嫌そうにコーヒーを啜るカルセ。基本的には穏やかに笑っていることが多い彼がこうして感情を顔に出すのは親しい人間の前でだけ。それも、余程その感情が強い時だ。……要するに今彼はかなり怒っているようである。短く切られた爪がトントンと机を叩いていた。
スファルはそれを見て、困ったなと呟いた後、とりあえずは事情をそのままに説明することにした。こういう時は嘘をついたり誤魔化したりする方が悪手であることくらいは理解出来ている。
任務帰りに裏路地で見かけた光景。放っておけなくて声をかけたこと。半ば喧嘩を売る形になったこと。そして決闘を挑まれたことと、それを承諾したこと。それをやや掻い摘みながら、スファルは説明した。
カルセは口を挟むことなくその話を聞いていたが、最後まで聞いたところでやはり、ふぅと溜息を吐き出した。そして、ぼそりと呟く。
「貴方は何というか……そう言う厄介事をもらって帰ってくるのが好きですね。いい加減に懲りたらどうですか」
半ば吐き捨てるようにそう言って溜息を吐くカルセを見て、スファルは眉を寄せる。そしてぷいとそっぽを向きながら、言った。
「好きで貰ってきてる訳じゃねぇ、放っておけっていうのかよ」
「そうは言っていませんが」
カルセは彼をじとりとした目で見た。
「もう少し丸く収める方法があったのではないか、という話です。そうして喧嘩を売った結果がその手袋でしょうに」
スファルは冷静な相棒の言葉に口を噤む。それを言われてしまうと弱い。しかし負けを認めたくないのか、
「それにしたって好きで喧嘩売っている訳でもないし」
とやや揺らぐ声で言う。
それを聞いてクレースも口を出した。
「でも割といつものことだよね、スファル」
実際そうして帰ってくるのは初めてではない気がする。クレースがそう言うとカルセは盛大に肩を竦めて、言った。
「昔からですよ。何度私が割を食ったことか」
「酷い言い種だなあ」
少しでもこの空気を軽くしたくてそう軽い調子で言うスファル。それを聞いてカルセはちらと彼の方を見て、言う。
「事実でしょう」
ぴしゃりとそういうと彼はカタンと音を立てて立ち上がり、そのまますたすたと歩いていってしまった。コーヒーをカップに半分残したままに。飲み物にせよ食べ物にせよ残すことが少ない彼なのに、だ。
スファルは無論それを追いかけられず、クレースはやれやれ、といわんばかりに苦笑していた。
食堂を出ていってしまった彼が見えなくなってから、"なぁクレース"とスファルは彼に声をかけた。
「カルセ、怒ってるよな……」
「ま、怒ってはいるだろうねぇ」
スファルを慰めるでもなくそう言うクレースだが、いつもと変わらず呑気な表情と声色だ。紅茶の入ったカップを傾けて飲んでいる。それを聞いてスファルは眉を寄せる。そして溜息まじりに言った。
「もう少し真剣に相談に乗ってくれよ……カルセを怒らせたら厄介なのはお前もよく知ってるだろ?」
「うーん、そう言われてもねえ」
クレースは少し悩む顔をする。彼には、カルセの抱く感情も、それを治める方法もある程度はわかっている。けれどそれを彼……スファルにあっさりと伝えて良いものか……そう、悩んだのである。
カルセの怒りも尤もではあるのだ。眼前で困り切った顔をしている友人は後先を考えない行動が多い。その末に自分が割を食うことも、同時に相棒であるカルセが割を食うことも多い。……正式に言えばカルセはスファルの行動に巻き込まれることに対して怒りを抱いている訳ではないのだが……それにしたって、そうしたスファルの気質は彼の美徳であると同時に欠点でもあるとクレースも思っている。だからこそ、答えをあっさりと教えることが彼のためになるだろうか、と思ったのである。しかしこのまま放っておいたら余計に拗れるのではないか、とも思うのも事実で。
さて、どうしたものか。暫し悩んだ末、クレースは苦笑を漏らして、口を開いた。
「別に怒ってる、って訳じゃないと思うよ。カル、スファルの性格はよく知ってるし、スファルの行動を間違ってるっていうつもりもないと思う」
「じゃあ、なんで」
スファルは一層わからない、といわんばかりの表情を浮かべる。
彼は自分が毎度勝手に喧嘩を買って帰ってくるものだからカルセが辟易しているのだと思っていた。実際、自分が買った喧嘩でカルセに迷惑をかけたことも多々ある。彼に怪我をさせてしまったことも。怒られて、呆れられて当然だと思っている。だからこそ、そういう意味でカルセが怒っているのなら何といって詫びるのが正解なのかもわからない、とスファルは言った。
素直な彼だ。嘘でも、もう喧嘩をしない、などとは言えないのだろう。だから、恋人であるクレースに助けを求めたのだけれど、彼は別段アドバイスらしいアドバイスをしてくれない。それどころか、放っておけば良いといわんばかりの態度だ。
一体、自分はどうしたら良いのだろう? スファルは困り果てた顔をして、溜息を吐き出す。クレースはそんな彼を見つめて、ふっと笑った。
「怒ってないよ、カルは。心配してるだけ。ああ見えてカルがスファルのこと、大事に想ってることはわかってるでしょ?」
怒っている訳ではない。否、正式に言えば多少は怒っているのかもしれないが、それは決して悪い感情ではないとクレースは思っていた。彼は相棒であるスファルが無用な争いに巻き込まれて怪我をしたり要らぬ妬み嫉みをもらうことを心配しているのだろう。
「だから、謝る必要はないよ。寧ろ謝ったら却って怒るんじゃないかな、カルは理由わかってないのに謝られるのが嫌いだから」
そのままでいたら良いよ、とクレースは言う。それを聞いたスファルは一瞬橙の瞳を見開いた後、声をあげて笑い出した。
「はは、なるほどな」
そういうことか、と笑うスファル。どうやら、合点がいったようである。
何だ心配して損した、というのは少々違うが……彼がああ見えて自分を気にかけてくれていたというのは、少し照れ臭くて、嬉しい。優しいことに違いはないのだが、如何せんわかりにくいのだ、彼の愛情、親愛の表現というのは。否、自分が鈍いだけかもしれないが……そう言いながら、スファルは笑っていたのだった。
***
そんな夜のこと。
スファルは静かな食堂で一人、グラスを揺らしていた。
―― 早いところ仲直りしなよ?
そう言って、クレースは自分の部屋に戻っていった。それを見送り、他の騎士たちが部屋に戻っていくのを見送っても尚、スファルは部屋に戻る気になれず、一人で過ごしていたのである。
料理人たちも解散し、誰もいなくなった食堂でちょっとした材料を拝借し、勝手に酒を用意するのは騎士たちの中では日常茶飯事だった。
マドラー代わりに挿したセロリスティックでグラスの中身を掻き混ぜる。強いアルコールと、少し青臭いトマトの香り。まるで血液のようにどろりとしたグラスの中身。それを橙の瞳で見つめた後、スファルはそのグラスに口を付けた。
「まだ未成年なのに何を飲んでいるのですか。それ、アルコールでしょう」
そんな呆れたような声が背後で聞こえた。振り向けば、肩にタオルをかけたカルセが立っていた。それを見たスファルは苦笑し、肩を竦める。
「あー、喧しいのが来た」
スファルはそう言いながらグラスを一旦テーブルに置いた。これはまた別件で説教をもらう奴だ。そう思いながら。
カルセはそんな彼を見て溜息を吐きつつ、彼の傍の席の椅子を引いて隣に腰かけた。
そして頬杖をつくと、彼のグラスを見て、言う。
「血まみれのメアリ(ブラッディ・メアリー)ですか。変わったものを飲みますね? 未成年の酒盛りには少々過激では?」
そう言ってカルセは藍の瞳を細めた。
そう。スファルが飲んでいたカクテルはウォッカをベースにトマトジュースと混ぜたもの……ブラッディ・メアリー。アルコール度数に関しては割り方を変えるのが容易であるため問題ないだろうが、割るものが割るものだ。……正直、飲みやすいものではない。況してや、カルセの指摘通りスファルは未成年である。そんな彼が飲むには少々、変だとカルセは言った。
しかし飲むのを止める訳ではない様子のスファルは笑いながらグラスを揺らした。
「俺はこれ、割と嫌いじゃないぞ。それに、今の状況にぴったりだろう?」
決闘前に飲む飲み物にはぴったりだ。そう言いながら彼はぐっと、それを飲み干した。カルセは彼の発言と行動に一瞬目を見開いたが、小さく噴き出した。くすくすと笑いながら、彼は言う。
「貴方がカクテル言葉を知っていたなんて驚きですね。"断固として勝つ"……まぁ、貴方らしい意思表示とは思いますが。気合いを入れたつもりですか?」
カルセはそう、彼に問うた。
カクテル言葉。一つ一つのカクテルに様々な意味が、添えられているという。恋愛事に関係したものが多く、そんな意味を持ったカクテルをバーで女性に勧めるなどしてアピールするのが普通だが、この少年はきっと自分への意思表示としてこれを飲んでいたのだろう。
それにしてもスファルがそうしたこと……カクテル言葉などという洒落たものを知っていたことが驚きである。彼の頭の中にあるのは戦うことばかりだろうと思っていたものだから。
カルセが素直にそういうと、"相変わらず酷い言い種だな"と言ってスファルは軽くウィンクをした。
「街中でお嬢さん方と話しをするにはぴったりだからな」
照れ隠しか冗談っぽくそういうスファル。カルセはそれを聞いて可笑しそうにくすくすと笑った。
「おやおや、貴方のような風情もへったくれもわからなさそうな人がそんなことをいいだしたら驚くのでは? そもそもお嬢様たちと飲むことを好むような人でしたか、貴方は」
「……あのな」
がくりと肩を落として溜息を吐き出すスファル。カルセの自分に対する評価はよく知っているのだけれども……何というかこう、今日くらいは励ましてくれても良いのでは? そう思っていれば、彼は藍色の瞳を細めて、言った。
「ふふ、事実でしょう?」
私は何も間違ったことはいっていませんよ。そう言った後、彼はふと、真剣な表情を浮かべた。そんな彼を見て、スファルは少し驚いたような顔をする。
「どうした?」
問いかけると、カルセは静かな、けれども確かな信頼を込めた声色で、いった。
「負けたりしないでしょう」
真っ直ぐに自分を見据える、藍色の瞳。まだ濡れたままの淡水色の髪からぽたり、雫が落ちた。
その一言に、カルセの様々な感情が込められていることに、鈍いスファルも気が付いた。心配、信頼、そして……勝ってほしいという思い。それを感じ取って、スファルはにかりと、笑った。
「勿論」
あっさりとそう言ってのける彼は、特徴的な八重歯をむき出しにして、笑う。カルセはそんな相棒の様子を見て藍色の瞳を細めながら、期待していますよ、といって、微笑んだのだった。
***
そんな、翌日。城下町の広場にスファルと彼に決闘を挑んだ男は来ていた。
険しい顔をする男。余裕の表情のスファル。彼らの胸にはそれぞれの紋章の模型が、つけられていた。
片や家の紋章。片や騎士団の紋章。その模型を剣で破壊すれば、勝ち。それが決闘のルールである。
スファルの剣には、昨日の彼女が渡したリボンがつけられていた。女性から受け取った象徴は身に付けて戦うのが習わしだ。
観客の中には、そのリボンを渡した少女の姿もある。心配そうにスファルを見ている彼女。スファルは軽く剣を掲げて、心配いらないと示した。
「さぁ、始めよう」
男はそう言う。冷たく、硬い声。それに小さく頷くだけで応えると、スファルは所定位置に立った。一礼して、剣を構える。スファルは相手に軽く笑みを向け、言った。
「そっちからどうぞ」
俺は受ける方が得意なんでね、とスファルは言う。挑発的な彼の態度に一瞬眉を寄せた男だったが、すぐに冷静さを取り戻し、素早く斬りかかってきた。
スファルはそれをひらりと躱す。いつも二刀流の相棒と剣術の訓練をしているスファルにとっては、そんな攻撃は軽いもの。幾らでも躱しようがある、そう思いながら、スファルは相手の様子を窺った。
見た目と先日の様子の割には冷静だ。相手もスファルの様子をよく窺っていて、隙を見て突こうとしているのが見て取れた。
大柄なスファル。彼の剣の振り方は大きい。それを見ていれば、何れ隙も見えるだろう。そう思っている様子だった。
―― 思ったより、冷静な奴だな。
確かにスファルは細やかな動きが苦手だ。細かい突きも、素早い動きも得意ではない。力は強いが、体が大きい分素早く動くことが出来ないのだ。
「なかなかやるな。まだ下級の騎士だろうに」
男はそうスファルを挑発する。スファルはそれを聞いてふんと鼻を鳴らした。
「そりゃどうも」
この手の挑発に乗っているようでは文字通り半人前だ。怒りや動揺はミスを誘うのだということを、スファルは相棒との試合でよくよく思い知っていた。
カルセはああ見えて、人を煽るのが得意だ。静かに微笑みながら、瞳は微笑まずに、相手の神経を逆撫でする。優しそうで穏やかな容貌からは想像がつかないが……意外とそういう性格であることをスファルはよく知っている。そしてその挑発に乗ったが最後、その痩身が振り回せていることが驚きな二本の剣で捕らえられるのである。
―― そんな彼の相手に比べれば。
そう思いながら、スファルは勢いよく剣を突き出した。
大柄なスファルには似合わない、素早く鋭い突きが空気を切り裂いた。男が大きく、目を見開く。
くしゃりと、紙の模型が潰れる音が響く。剣の柄に結び付けられたリボンがひらりと、風に揺れた。
***
「有り難う御座いました」
頭を下げる、少女。スファルは少し照れたように頬を引っ掻いた後、軽く首を振ってみせた。
「気にしなさんな、これでお嬢さんに彼奴が付き纏うことはねぇだろうよ」
無事に、決闘はスファルの勝ち。男は負けを認め、去っていった。家の紋章を背負って戦い負けた以上、もう、彼女に付き纏うようなことはしないだろう。
「あぁそうだ」
不意に、スファルは声をあげる。それから、剣に結び付けていたリボンをするりと解いた。決闘を受けた時に彼女から渡されたリボン。代理人の証。騎士の習わしで受け取り、身に付けていたそれを、彼女に差し出した。
「少し汚しちまったが……」
苦笑を漏らした後、彼はそっとそれを彼女の手に渡した。そして、彼女の手の甲に軽く口づけて、にかっと笑って見せる。
「これのお陰で怪我なく無事に帰ってこられた。有り難うな、お嬢さん」
明るく笑う彼を見て、彼女も明るく笑う。そして令嬢らしくお辞儀をした。
「此方こそ、本当にありがとうございました」
そう言葉を紡いだ彼女は真っ直ぐに、スファルを見つめる。微かに熱を灯した視線だ。スファルは彼女からそっと視線を逸らした。
こうした空気は、苦手だ。そう思いながら苦笑すると、スファルは一度礼をして、言った。
「じゃあ俺はもう行くから。ま、また困ったことがあったら頼ってくれたら良い」
城に来れば力になるからな。そう言って笑うと、スファルは彼女から離れて、歩き出した。
元々、スファルは女性との関わりが得意ではない。惚れた腫れたの話は苦手だし、それを抜きにしても女性に対して礼儀正しく、騎士らしく振舞う……それはスファルにとって、なかなかに難しいことだった。そして、あんな純な瞳で見つめられるのはやはり、気恥ずかしい。ボロが出る前に逃げるに限る。そう思ったのであった。
***
「お疲れ様です」
漸くいつも通りの空気を取り戻し始めた広場に戻ってきたスファルにそう声をかけたのは他でもない、カルセで。そんな彼の姿にスファルは目を見開く。それから、ふっと表情を綻ばせた。
「わざわざ見に来てたのかよ」
苦笑まじりにスファルが言えば、カルセはにっこりと微笑んだ。
「任務ついでですよ」
「……そうかよ」
スファルはそう短く返し、苦笑した。
彼は知っている。今日カルセは特に任務などを任されていないこと。何だかんだいって心配して、見に来てくれたのだろう。全く素直じゃあない……そう思いながらスファルは肩を竦め、いった。
「お前のお陰で勝てたよ、カルセ」
「私の?」
珍しく驚いたような顔をしている彼を見て、スファルは笑みを浮かべる。そして、わざと揶揄うような口調で言った。
「お前の性格悪い戦い方に慣れてたから勝てたよ」
「おやおや、酷い言い種ですねぇ」
カルセは少し拗ねたような顔をする。癖のある髪を指先で弄り、唇を尖らせている彼を見たスファルはくつくつと笑った。
「事実だろ」
「……ノーコメントで」
小さく肩を竦めて、カルセは言う。
「褒めてんだからそんな反応すんなって」
そう言いながらぽんっとカルセの肩を叩けば、彼がじとりとした視線を向けてくる。そして彼は小さく溜息を吐き出して、いった。
「褒めているように聞こえませんよ」
やれやれ、といわんばかりに溜息を吐き出して、カルセは歩き出す。機嫌を損ねてしまっただろうか、とスファルが思った時、彼はくるりと振り向いて、ふっと微笑んだ。
「貴方が負けるとは思っていませんでしたよ、昨日貴方がそう宣言していたんじゃありませんか」
―― 信じていた。
そう、彼は言う。昨夜の、あのカクテルの誓いを思い出しながら。
スファルの実力はよくよく知っている。喧嘩を売ってきた貴族ごときに負けるはずがないと。しかしそれを素直に表現は出来ない。何だか、照れ臭くて。
だから、短くいう。
「……良い試合だったと思いますよ」
そうとだけ告げたカルセはもうスファルに背を向けて、再び歩みを進めている。微かに耳を赤く染めたまま。
スファルは一瞬きょとんとした後、ふっと笑って、そんな相棒の背を追いかけたのだった。
第三章 Fin
(ブラッディ・メアリー:断固として勝つ)