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第十六章 Whiskey Mist


Whiskey Mist (Liberté 146)



 夜の闇の中、建物の屋根の上を駆け抜ける。その視線が追うのは、素早く夜の街を飛んでいく、飛行型の魔獣。長い銀の髪の青年は、それを追いながら銀の瞳をすぅと細めた。

 この魔獣は、とある組織が作りだしたもの。本来存在しえない、"合成魔獣"だ。

 魔獣を使った実験は然るべき機関でしか許可されていない。それも……こうして、攻撃性の高い魔獣を作りだし、野に放つことは重大な犯罪だ。青年……リスタはその組織を捕えるための潜入任務に赴いていたのである。

 潜入は上手くいった。今頃は部下たちが組織の人間たちを捕縛している頃だろう。その研究所から逃げ出した魔獣を始末するのが、彼の仕事だった。

 騎士団に入ってから十年が経ち、リスタは密偵部隊の部隊長を任されていた。正直部隊長なんて自分のキャラではないと思いはしたが、かつての部隊長に強く推され、結局頷いたのである。

 実際やってみれば大変なことも無論あったが、やりがいを感じたし、誰かの力になれるというのは自分にも心地よい。何より……昔から一緒に居る友人たちと同じ所に立てるのが、純粋に嬉しかった。


「逃がす、かよ!」


 そう呟きながら、リスタは構えた短剣をその魔獣に向かって、投げつけた。それは狙いを過たず、魔獣の体に突き刺さる。同時に甲高く耳障りな叫び声が響いた。

 上手く当たったか、とリスタは一つ息を吐く。それと同時、ぎらりと目を光らせた魔獣が、彼の方へ向き直った。

 低く唸る魔獣は素早く飛びかかってくる。手負いの獣というのは得てして恐ろしい底力を見せるものだ。それはよくよく理解していたつもりだったのだが……

 リスタは慌てて身を躱した。しかしぎりぎりのところで、彼の腕を魔獣が切り裂く。腕に走る痛みに顔を歪めたが、リスタは指先に魔力を込めて、魔獣を睨みつけた。


「っ、う……くそ、逃がすか……!」


 此処で逃がしてしまえば、周囲に被害が出る。魔力を持ち、戦う手段を持つ自分たちだから怪我程度で済むのだ。襲われたのが一般人であったら……そう思うと恐ろしい。

 絶対に逃がさない、そんな想いを込めて魔力が放たれる。それは魔獣に直撃し、一際耳障りな叫び声をあげた後、今度こそ魔獣は動かなくなった。


「っは、はぁ、はあ……」


 荒く息を吐き出して、リスタは座りこむ。今頃になってずきずきと痛む腕を見れば思いの外ざっくりと切れていて、白い制服には赤黒い血が染み込んでいた。


「あぁ、これは……」


 恐らく、友人たちに怒られるか呆れられる……否、その両方か。リスタはそう思いながらそっと腕を摩ったのだった。




***




「全く、貴方という人はすぐに無茶をするんですから」


 城に戻り、怪我の治療をしてもらうために医療棟に行くと案の定、友人であり医療部隊長であるカルセが呆れたように手当をしてくれた。ついでに、彼のところに話をしに来ていたスファルにも"また派手にやったなあ"と笑われた。

 戦闘部隊でもないのにこんな風に怪我をして帰ってくる人間はそうそういない。ましてやリスタは部隊長。本来ならば城で指示を出すだけ……ということも多くある。そんな彼がこうして怪我をしてくるのは珍しいケースなのである。……彼の性格的には十分あり得る事態ではあったけれど。


「ほら、終わりですよ」


 これで大丈夫なはずですと、カルセは言う。少々乱暴に腕を小突いたのは気を付けろという念押しなのだろう。リスタは肩を竦め、頷いて見せた。


「ありがと、カルセ」


 気を付けるよといいながら、リスタは笑う。何度怒られてもこの調子であるためにか、カルセも殆ど諦めているようで、それ以上の小言は言わなかったが、やれやれというように小さく首を振った。


「これからは私が治療してあげることも出来なくなるんですよ? まぁ、ジェイドたちも十分な治療は出来ると思いますけれど」

「え……?」


 思わぬ言葉に一瞬、混乱した。彼は今何といった?


「治療できなく、って……どう言うことだよ?」


 リスタが困惑した声音で問えば、カルセは藍色の瞳を細める。そして、諭すような口調で言った。


「そろそろ、騎士団を退団しようと思っているんです」

「俺もついでに、な」


 スファルもそう言って、笑った。長く付き合ってきた友人二人からの思わぬ発言に、リスタは思わず言葉を失う。漸く口を開けたときに出てきた声は、小さく震えていた。


「何で……」


 退団、なんて。

 やっと絞り出せたのは、そんな言葉。驚き、固まっているリスタを見て、カルセとスファルは顔を見合わせた。

 やはり、言うには急すぎただろうかという思いがない訳ではないが、いずれは話すつもりだったこと。ぎりぎりになって知らせるよりはと思って、今こうして話しているのだ。


「後継者も育ちましたし、経験を積ませるにはそろそろ私たちは引き際なのですよ」


 優秀な部下がいるというのは幸福なことですねと、カルセは言う。

 少々冗談めかした口調ではあるが、退団するという発言自体は真実のようだ。カルセはそうした冗談を言うような不誠実な人間ではない。そのことは他でもない、リスタがよくよく知っている。


「長く居座って、俺らがいないと駄目だ、なんてことになっても困るしな」


 スファルも苦笑まじりに、そう言った。彼も後継者は決めているという風だ。強い意思を持って、そしてちゃんとした理由を持って、彼は言うのだ。

 彼らの意図は分かる。確かに、後継者がいるのなら、彼らに任せるのは道理だし、長く居座って後継者や部隊の人間に依存させることは後々の部隊運営に支障が出るかもしれない。そうした点からいえば、彼らが退団する理由はよくわかる。……よく、わかるのだけれど。


「で、でも……いきなり居なくなったら、それこそ、士気が下がるだろ」


 そう食いついてしまうのはやはり彼の提案が急だったから、ではなく。純粋に、彼らがいなくなることに不安を覚えたから、だった。

 今までずっと、一緒に居たのだ。年齢こそ離れているが、彼らは良い友人で……部隊長としての目標でもあって。そんな彼らが二人とも、騎士団から居なくなってしまう。それはリスタにとっては大きな衝撃で、信じがたいことだった。

 リスタの発言に、カルセは少し困ったように眉を下げた。


「それは確かにそうかもしれませんが……」

「だからこそ、ってのはあるよ」


 スファルがカルセの言葉を引き継いでそう言った。その言葉にカルセも頷く。


「だからこそって……」


 リスタが困惑した顔をするのを見て、カルセは口を開いた。


「今は、平和です。争いもなく、陛下も息災で」

「だからこそ、騎士団の入れ替わりの時期にちょうどいい」


 大きな争いもない。女王も元気で、騎士たちも元気で……だからこそ、落ち着いて、引継ぎが出来る。これは幸福なことだと彼らは言うのだ。これがもし、戦乱の最中であったら、こうはいかなかっただろう。

 その理屈はリスタにも理解できる。理解出来るからこそ、これ以上何かいうこともできなくて、黙り込んだまま俯いてしまった。それでも何とか引き留めたくて、リスタは顔を上げる。口を開こうとしたが碌な言葉が思い浮かばず、口を噤む。

 口に出したくなる言葉は全て、子供の我儘のようなもの。やめないでほしい、自分の傍に居てほしい、今までずっとそうしてくれたように……そう言ってしまいたい。けれどそれがただの我儘だとわかっているため、口に出すことはできない。

 唇を噛み、俯いたままの彼を見て、カルセは静かに彼の名を呼んだ。


「ねぇリスタ、ジェイドにはもう話をつけてあるんです」

「俺も、アレクに」


 だから、もうこれは決定事項だと、そう告げているのだろう。彼らの声は、まるで聞き分けのない子供をゆっくりと諭しているかのようだ。

 流石にリスタにも、それは分かる。入団当初ならばいざ知らず、リスタももう、子供ではない。何より、部隊長としてのあり方も、それなりに理解しているつもりなのだ。理解することと受け入れることとが別であるとしても。


「……そう、か」


 消え入りそうな声でそう呟くのが精一杯。俯いたままに口を噤んだリスタの頭を、スファルがやや乱暴に撫でた。


「リスタも、ずっと此処に居られるわけではないんだ。お前だっていつか、騎士団を旅立つ日が来る」


そう、スファルは言う。


「次の世代のことを考えながら仕事をするのも、大切なことですよ」


 カルセも穏やかに微笑みながら、そう言った。

 仲間として、友人として、そして騎士団の一部隊を統率する先輩騎士として、優しく、けれども毅然とした態度で彼らは言うのだ。


「……わかってるよ」


 リスタはそう言ってふぅっと一つ息を吐き出した。それから顔を上げて、友人たちを見る。


「……でも、騎士団を辞めて、これから、二人はどうするんだ。行先、決めてるのか?」


 退団するとはいっても、二人はまだ若い。当然隠居、なんてことはないだろう。そうリスタが問うと、二人はしっかりと頷いた。


「私は、医者として生きていきますよ。

 一人でも多くの人間を、救いたい。しかし、村や街に医者がいない、医者の質が低い地域や国が多いのも事実です。だから、私の方からそうしたところに出向こうと思うのですよ」


 そういうカルセは優しい顔をしていた。優しい藍の瞳は懐かしいものを見るような、それでいて少し切なげな色を灯していた。思い起こしているのはきっと、これまで騎士団で生きてきた中で経験したことと……彼の心に焼き付いた、大切な人の死。(クレース)を救えなかったという想いは、例え誰がどう慰めたとしても消えないのだろう。それでも彼は前を向いて、医師として生きると決めたようだった。あの時救えなかった命が、今ならば救えるかもしれないから、と。


「スファルは?」


 リスタはもう一人の友人にも問いかける。彼……スファルは一瞬言うか言うまいか、と悩む顔をしたが、すぐに照れくさそうに笑って、口を開いた。


「俺は、警官になろうと思う。騎士として働いた経験はあるんだ、騎乗も得意だし、試験を受けてみるよ」

「警官?!」


 リスタは思わず素っ頓狂な声をあげた。それは少々、予想外だ。前例がない、という訳ではないだろうが、良くある話ではない。若い騎士ならば何処かの貴族の家の傭兵や執事として雇われるようになったり、カルセのように医師になる者も多い。ある程度年齢がいってからやめる場合や怪我や病気が理由の場合はそのまま地元に帰るということも少なくはない。そんな中で、警官になるとは……なかなかに珍しいケースだと、リスタは思う。

 ぱちぱちと瞬く彼を見て、スファルはにっと笑う。いつも通りの勝気な笑みで、彼は言った。


「なぁに、ちょいと年はいってるけど、戦えない訳じゃあないさ」


 まだまだ現役でやっていける年だろ? そういって八重歯をむき出しに笑う彼は、昔から少しも変わらない。明るく眩しい、太陽のような青年だ。いつも自分の傍で笑い、励ましてくれた頼もしい存在だ。


「……そう、かぁ」


 彼らの確固たる意思を、そして何より部隊長としての生き方を垣間見て、リスタはそう声を漏らす。

 止めようとは、思わない。これが彼らの決定で、それはきっと間違ってはいないから。これが彼らの決めた道で、それを自分が邪魔をする道理はないのだから。

 けれども……受け入れるには少し、時間がかかりそうだ。そう思いながらリスタはぎこちなく笑って見せた。


「頑張ってな」


 応援してるから、とリスタは彼らに言う。その言葉に二人は穏やかに頷いたのだった。




***




 ふー、と煙草の煙を吐き出す。星が煌めく夜空に、紫煙は解けて消えていく。その様を見るのは随分と久し振りだ。そんなことを考えながら、スファルは目を細めた。

 もう一度煙を吸い込めば、煙草の先が赤く光る。もう一度息を吐き出したその時、後ろから軽く頭を叩かれた。


「煙草はやめろといった気がしますが」


 少し不機嫌そうな、聞きなれた声。くっくっと笑いながら、スファルは振り返る。案の定、少し呆れた顔をしたカルセが眉を寄せて立っていた。


「はは、そうだったな」


 大して悪びれた様子もなくそういって、スファルは煙草を消す。

 別に吸わずにいられないという訳ではない。少し考え事をしていた時に口寂しくてつい、というだけだった。そう説明するスファルを見て、カルセは溜息を一つ。


「これからは、こうして私が注意することもなくなるのでしょうね」


 城から離れれば、二人ともまったく違う道を歩くことになる。会う機会もそうないだろうし、確かに今のように目ざとく見つけられて頭を小突かれる、などという事態はそうそう起きなくなるだろう。

 しかしスファルはわざと、揶揄うような声音で言った。


「お前が警察所属の医者になればわからないぞ?」

「そもそも貴方が警察に受からないことには始まりませんけどねぇ」


 素早く、そう返される。スファルは一瞬面食らった顔をした後、そっと溜息を吐き出した。


「あぁ、お前には勝てないわ」


 一つ年下のはずの彼は恐ろしく頭が切れるし、口喧嘩や冗談の言い合いで勝てた試しがない。一いえば十倍どころか百倍になって返ってくるのが常なのだ。こんなやり取りをすることもきっと随分と減ってしまうのだな、と思うと少し寂しくなって、スファルは空を見上げた。


「うわ、すげぇ星の数」


 照れ隠しのようにスファルが呟けば、カルセもつられたように星空を見上げる。そして藍色の瞳を細める。


「確かに綺麗ですねぇ」


カルセが少し気の抜けた声で言うものだから、スファルは思わず噴き出した。


「爺くせぇなあ」

「私で爺なら貴方はどうなんです? 私より貴方のほうが年上でしょう?」

「一つしか変わらないだろうが」


 そんな軽口を叩き合いながら、二人は可笑しそうに笑った。幼い頃、出会った頃から変わらない、いつも通りのやり取りをしながら。

 ひとしきり笑って、スファルは一つ息を吐く。それから少し真剣な声音で、言葉を紡いだ。


「クレースがいなくなって、お前が腑抜けてた時にさ」

「腑抜けって……えぇはい、何ですか?」


 彼の言い草に少し不服そうな顔をしつつ、カルセは彼の言葉の続きを促す。スファルは少し言葉に迷うように、ガシガシと頭を掻いた。


「リスタと話したんだ。お前になんて言葉かけてやりゃあいいかね、って」

「……それで?」

「さっきの彼奴リスタ、その時と同じ顔してたな、ってさ」


 その言葉に、カルセは大きく目を見開く。それから溜息を一つ吐いて、呟いた。


「……途方に暮れた顔、ですか」

「あぁ」


 スファルは小さく頷く。カルセはそうですか、と呟くと軽く指先で自分の長い髪を弄った。困っている時の彼の癖だった。


「急すぎました、かねぇ?」


 あんな風に切り出したのは不味かっただろうかとカルセは呟く。もう少し、タイミングを見るべきだっただろうか、と。

 しかしスファルは即座にその言葉を否定した。


「そんなこともねぇだろ、多分。どの道俺たちはやること決めてるんだからさ」


 例えリスタが嫌がったとしても、自分たちが決めた道を諦めるつもりはなかった。スファルはそう言う。カルセはそっと息を吐いて、頷いた。


「そうですよねぇ」


 ショックを与えてしまったとは思うが、どの道話さなければならなかったことだ。何も言わずに去ることになる方がきっと、彼を傷つけることになっただろうとは思うから、話すという選択自体を後悔はしていない。……しかし。


「……ねぇ、スファル」


 暫しの沈黙の後、カルセはかつてからの友人であり、相棒であった青年に声をかけた。スファルは小さく首を傾げる。それを見つめながら、カルセは少し眉を下げて、言った。


「騎士団を退くことをやめようとは思いませんが一つだけ、気がかりなのが、あの(リスタ)のことなのですよ。今までは近くで支えることが出来ましたが、此処から出てしまったらそれも出来なくなってしまいますし」


 それが唯一の心配だとカルセは言う。

 リスタは元から真面目で、色々と悩みやすい気質でもある。家柄もよく、それが面倒事の根源のひとつでもあるものだからしばしば悩んでいるのはカルセやスファルもよく目にしていた。尚且つそれを周囲に相談しようとしないものだからカルセとしては不安なのだ。

 しかしスファルはその不安を笑い飛ばした。そして軽くカルセの頭を叩きながら、言う。


「別に一生会えない訳じゃねぇだろ、大丈夫だ!」


 たまに様子を見に来てやればいい。ついでに喝でも入れてやれば良いだろう。いつも通りの、太陽のような笑顔で、彼は言うのだ。

 カルセはそれを聞いてゆっくりと瞬きをした。それから、ふっと表情を緩める。


「あぁ、それもそうですね……馬鹿なことを聞きました」


 忘れてくださいな、といってカルセは微笑む。スファルもにかりといつものように笑って、頷いて見せた。


「私たちは私たちなりにあの子を支えましょう」


 騎士でなくなったとしても、彼の友人でなくなるわけではないのだから。カルセはそう思いながらそっと、風に揺れた髪を撫でつけたのだった。














第十六章 Fin

(ウィスキーミスト:困惑)

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