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第十一章 Cardinal


Cardinal (Liberté 139)


 静かな医療棟の廊下をばたばたと慌ただしく駆け抜ける音が響く。その姿を見た医療部隊の騎士たちは驚いて目を見開いていた。叱ることすら忘れて。

 走っていく彼が幼い騎士ならば誰も驚きはしなかっただろう。事実、割と大人しい騎士が多い医療部隊でもまだ入団したばかりの幼い騎士たちはふざけ合って廊下を走ったりもする。

 しかし、今廊下を駆け抜けていったのは幼い騎士などではない。寧ろ……普段ならば到底、こんな風に走ったりするタイプではないから、で。普段落ち着いた様子の青年が慌てて走っていく姿に、他の騎士たちは驚いていたのである。

 リノリウム張りの床がきゅっと悲鳴じみた音をあげるのを聞きながら、足を止める影。は、と一つ息を吐き出した少年……カルセはドアを開けた。


「クレース!」


 部屋に飛び込んできた彼の姿に、室内にいた患者……クレースは目を丸くした。鮮やかな蒼の目をぱちぱちと瞬かせる。


「え、カル?」


 ベッドの上に腰かけたまま、びっくりしたぁ、と気の抜けた声で言う彼の姿にカルセは一度、安堵の息を吐く。しかしすぐにその表情を歪ませて、彼は問うた。


「怪我をしたというのは本当ですか?」


 そう。カルセがこうも慌てて病室に飛び込んできた理由は、彼が任務中に怪我をしたという話を聞いたから。

 珍しく草鹿の騎士も出動するような任務だったこと、普段クレースはあまりそうした任務に赴かないことから心配はしていたのだが……まさか本当に怪我をするとは思っていなかった。

 自分の任務を終えて帰ってきた際、クレースが怪我をしたらしいという話を聞いたときは、正直血の気が引いた。話を聞いただけでは怪我の程度もわからない。しかし詳しく話を聞くより先に、いてもたってもいられず、カルセは彼の元へ走ったのだった。

 しかしカルセが心配するほど酷い傷でもなかったのだろう。やたらと焦った様子の彼を見て、クレースは苦笑まじりに肩を竦めた。


「もう、心配性だなぁ。ちょっと掠っただけだってば」


 そういいながら、クレースは自分の傍に歩み寄ってきたカルセに手を伸ばした。急いで走ってきたために少し汗ばんだ額を撫でて、微笑む。心配いらないよといわんばかりの顔を見てもカルセの表情は晴れない。


「掠っただけでも怪我は怪我でしょうに」


 呟くような声音で彼は言う。どうにも自分の怪我を軽視しがちなクレースである。心配になるのも無理はない。

 クレースはそんなカルセの言葉に微笑んで、ひらひらと手を振った。緩めの服の袖から、腕に巻かれた包帯が見えた。


「もう手当はしたから大丈夫だよ。

 本当にちょっとした傷なんだってば。これだって大袈裟なくらいだよ」


 いつも通りに笑いながら、彼は言う。その声音に無理をしたような所はなく、本当にいつも通りだ。寧ろ、心配し過ぎのカルセを見て呆れている風ですらある。カルセはそんなクレースの顔を見て、やっと安心したように表情を緩ませた。


「……それならば、良いのですが」


 本当に、心配したのだと、彼の表情を見ていればわかる。だからこそクレースは少しすまなそうに眉を下げて、頬を引っ掻きながら詫びた。


「ごめんね、心配かけて」


 それだけは少しきまりが悪い。自分が怪我をする分には何も気にならない。けれどもそれで大切な仲間を、友人を心配させるのは本意ではなかった。勿論、そうして心配してくれるのが嬉しくもあるのだけれど……――

 クレースの表情と発言に、カルセは藍色の瞳を柔らかく細める。そしてそっと、クレースの長い緑髪を撫でた。


「謝ることではありませんよ。でも、あまり無理はしないでくださいね」

「それはカルも同じだけどね」


 クレースはそう、軽口を返す。おやおや、と笑ったカルセを見て、クレースもくすくすと笑い声を漏らす。

 外では淡い花が綻び始め、甘い香りが空気にも混ざり始めている。そんな穏やかな、春の午後だった。



***



 仕事をする手を止めて、深深と溜息を吐き出す。微かに熱を持つ腕を押さえて、クレースは目を伏せた。


「んん、やっぱりちょっと変なんだよなぁ」


 小さくそう呟いてからはっとして視線を周囲へ巡らせる。他に誰の影もないことにとりあえず安堵して、クレースはそっと息を吐き出した。そのまま、そっと腕を摩る。

 任務中に傷を負ってから数日。その時は大したことないと思っていたのだけれど……どう言う訳か熱が引かないのだ。そればかりか、何処と無く気だるさも感じる。今までにも何度も怪我はした。その度に手当をしてはきたのだけれど、こんな風に治りが遅いのは初めてで……

 理由が思いつかない。実際傷は大したことないし、痛みはそこまでないのだ。それなのに、一体どうしてだろう?

 でも……


「……変に心配かけるのも嫌だしなぁ」


 クレースはそう、呟く。

 忙しくない時期ならばいざ知らず、春先のこの時期はどうしても、魔獣による被害は増える。季節の変わり目で体調を崩す者も少なくはないし、医療部隊はだいぶ忙しい時期でもあった。

 そんな中で、自分の大したことのない傷で周囲に迷惑、および心配をかけるのは嫌だと思った。少し違和感があるだけで痛みがあるわけではない。少々気怠いのは怪我をした所為だろう。そう思ってしまえば、"それだけ"という気がしてくるのも事実。


「気にし過ぎかな」


そう呟いて、クレースは小さく苦笑した。一度不安になると考えすぎてしまうのが自分の悪い癖だ。そう思いながら。

 少し、気分転換をしよう。そう思ってクレースは中庭に出た。夕暮れの暖かな光と心地よい風で少し気分が良くなるようだった。

 蒼い目を細めて、クレースは一つ、息を吐く。


「暫く此処で、ゆっくりしていようかな」


 小さく呟いた、その時。


「クレース! こんなところにいたのですか……」


 そんな声が響いた。少し驚いて振り向けば、淡い水色の髪の青年……基カルセが立っていて。

 そう言えば、今日は言葉を交わすのが初めてだ。……尤も、その理由はクレースがわざと彼を避けていたからなのだけれど。

 カルセは他人の変化に敏い。体調不良なんかは誤魔化してもすぐにばれてしまうし、ばれれば大概怒られる。怒られるのが嫌だというよりは、単に彼に無用な心配をかけるのが嫌で、顔を合わせるのを避けていたのだけれど……どうやらあちらの方から探していたようで、徒労に終わった。


「あぁカル、お仕事終わったの?」


 にこりと笑って、クレースはそう返す。それを聞いたカルセははぁ、と溜息を吐き出して、クレースの額を軽く小突いた。


「終わったの、じゃありませんよ。それは私の台詞です」


 探るような目。カルセのこの目が、クレースは好きだけれど、少しだけ苦手だった。何もかもを見透かすような、嘘を許さない瞳。けれども馬鹿正直に話すのもなんだなと思い、クレースは言う。


「え、あー……僕は、もう少し」


 曖昧にそんな言葉を吐く彼の視線は揺らいでいたのだろう。カルセは盛大に呆れた顔をし、頭を抱えた。


「やり過ぎ。いい加減になさい」


 呟くように、彼は言う。言うことを聞かない子供に言い聞かせるように。クレースは唇を尖らせて、反論の台詞を吐いた。


「えー、そんなことないって!カルの方が僕なんかよりずっと……」


 ずっと、の先は紡がれなかった。

 肩を掴まれ、体を引きよせられたと思うと同時、こつり、と額に何かがぶつかる。それがカルセの額であったことに気づくのには、少々時間を要した。クレースは蒼い目を大きく見開く。

 暫しそのままでいた後、額を離し、カルセは眉を下げる。そして案ずるような声音で、言った。


「……ほら、熱っぽいですよ」


 朝から思ってたんですが、とカルセは言う。あぁやはりばれていたか、と思いながらクレースは溜息を一つ。


「うー……不意打ちは狡いぞ」

「不意打ちしないと貴方は逃げますからね」


 肩を竦めながら、カルセは言う。クレースはそれを聞いて苦笑を漏らした。


「失礼しちゃうなぁ……」


 確かに逃げるけれども。そう思いながらクレースが言うと、カルセはふっと笑った。


「事実でしょう。何年一緒に居ると思ってるんですか」


 少し冗談っぽい声でそう言われて、クレースは大きく目を見開いた。

 確かに、付き合いは長い。互いの性格や癖もよくわかっているだろう。けれども……それを口に出されると気恥ずかしいというか、嬉しいというか……普段はそう言ったことを口に出してくれないカルセがそんなことを言うものだから、照れるというか。クレースの色白な頬が、薄紅に染まった。


「カルには適わないなぁ……」


 嬉しい。そういってへらりと笑うとカルセは困ったような顔をした。そのままぽんとクレースの頭を撫でて、言う。


「笑ってなくていいですから。ほら、部屋に帰って休みなさい。

 まだ仕事があるなら私がやっておきますから」


 そう言いながらカルセはクレースの傍にあった書類を取ろうとした。クレースはそれを慌てて抱え直し、首を振る。


「悪いよ、大した仕事じゃないから明日やる。ちょっと休んだらすぐに元気になるし」


 彼がそういうとカルセは一層呆れた顔をする。そして溜息を吐きながら、言った。


「明日やれる仕事なら明日以降に回しなさいな最初から……

 スファルの仕事嫌いも困り者ですが、貴方のそれも大概ですね」


 カルセは呆れたような声音で言う。少し冗談めかした風の発言ではあるが、心配そうな表情は崩さないままに。


「ふふ、それほどでも」


 にこにこと、クレースは笑う。彼の発言が皮肉だということは十分良くわかっていたが、それでも明るく笑って返した。カルセは彼の様子に少し眉を下げながら、もう一度軽く彼を小突いた。


「褒めてません。早く部屋に帰りなさいな」

「はぁい」


 これ以上変に心配をかけるのも申し訳ない。それに体が気怠いというのも事実だし、カルセの言う通りおとなしく帰って休むのが得策だろう。そう思ったクレースはおとなしく、自室に向かって歩き出した。

 その背を、カルセが少し心配そうに見送っているのには気が付かないフリをしながら。




***




 それから、数日。クレースは病室のベッドに腰かけたまま、書類を捲っていた。

 朝訪ねてきたカルセが換気のためにと開けていってくれた窓から柔らかい風が吹き込んでくる。解いたままの長い緑髪がふわふわと風に揺れた。

 カルセに体調不良がばれてから数日後、平気なフリをしてはいたものの体の方は耐えられなかったようで、仕事中に倒れたのである。そこから結局入院の扱いを受けていた。カルセにも相当心配をかけたようで、申し訳なかったなぁ、などと思いながらクレースは苦笑を漏らした。

 元々体が強い方ではなかったけれどもこんな風に長く寝込んだことはなかったため、周囲も心配している。殊更、カルセは。彼はよく自分のことをよく知っているし、気にかけてくれている。それが嬉しいと同時に少し申し訳なかった。

 と、軽いノックの音が響く。少し驚きながら"どうぞ"と返すと、すぐにドアが開いた。


「おう、クレース!」


 に、と笑いながら来訪者はひらりと手を振る。それをみてクレースはぱっと表情を明るくした。


「あ、リスタ」


いらっしゃい、といって微笑む。病室に来た友人にいらっしゃいも何もあったものはない気がするけれども。

 リスタはそれにおう、ともう一度返して、クレースに歩み寄った。そして少し心配そうに彼の顔を覗き込んで、問う。


「大丈夫か?」

「うん。大丈夫。さっきカルも来てくれたんだよ。心配し過ぎだっていってるのにさぁ」


 まいっちゃうよね、とクレースは返す。それを聞いて彼……リスタは少し安堵したような顔をしたが、クレースのベッドの上の書類を見て、少し顔を顰める。


「無理はするなよ、体怠いんだろ」


 咎めるような声音で彼は言う。クレースはそんな言葉にもにこにこと笑って、言った。


「大丈夫だよー。軽くしか仕事はしてないし。

 寧ろできることが少なくて申し訳ないくらいだよ」


 クレースはそういって肩を竦める。リスタはそんな彼を見て、やれやれというように溜息を吐いた。

 それから、ふと真剣な表情を浮かべる。銀灰の瞳が真っ直ぐに、クレースを見つめた。その真剣さに、クレースも思わず、背筋を正す。


「……カルセに、もう少し頼っても良いんじゃないのか」


 そう言われて、クレースは目を見開く。


―― ……あぁそうか、彼は気づいているのかな。


 そう思いながらクレースは少し微笑んで、頷いた。


「……そうだね、そうかもしれない。どうせこのままいても心配かけちゃうだけだしね」


 そう言いながら肩を竦めるクレース。リスタはそれを聞いて何か言いたそうな顔をしたが、すぐにそれを飲みこんで、首を振る。そして、軽く彼の頭を撫で、言った。


「無理は、するなよ」


 いつも通りに笑って見せながら紡がれる、心からクレースを案じる声。ひときわ強く吹き込んだ風が、彼の髪を揺らした。


「ん、ありがと、リスタ」


 礼を言って微笑めば、リスタも少し表情を緩めた。もう一度軽くクレースの頭に手を置くと、そのまま彼は部屋を出ていく。

 ぱたん、とドアが閉まるのと同時に、クレースはベッドに体を倒した。ふ、と吐き出した息は熱い。


「……ごめんね、カル」


 小さく呟いた言葉は、声は、微かに震えていて風に溶けて消えてしまいそうなほど。でもそれでいい、それが良いとクレースは思っていた。

 この想いは、声は、言葉は、誰にも聞かれたくない。"まだ"自分の中だけで、処理したいと。リスタは気づいているようだったが、一番大切な人には……


―― 君には、本当のことは話せないんだ。


 そう思いながら目を閉じる。その頬にほんの一滴、涙が伝って落ちていった。














第十一章 Fin

(カーディナル:優しい嘘)


 

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