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第十章 Vodka Iceberg


Vodka Iceberg (Liberté 137)


 不安げに窓の外を見つめる青色の瞳。吹き抜ける風が窓を揺らし、がたがたと音を立てる。その音にびくりと体を振るわせながらもクレースはそこを離れようとはしなかった。

 此処からは、門がよく見える。仲間たちが帰ってきたら真っ先に見つけることが出来る位置だった。

 そこに彼がいる理由はただ一つ。現在任務で不在の大切な仲間の帰りを待っているから。今日帰ってくる予定の彼らをきちんと出迎えるために、クレースは此処にいるのだった。

 なかなか、仲間たちの姿は見えない。まだ流石に帰ってくる時間じゃないだろうと医療部隊の仲間たちに苦笑されたが、それでもクレースはそこから離れようとしなかった。

 今日は特に仕事もない。此処で待っていたってどうってことはないだろう、そう思って。


「……大丈夫だよね」


 誰に言うでもなく小さく呟き、窓を下げる。そっと指を這わせた窓はひんやりと冷たいだけで、不安を煽るばかり。窓ガラスは指先から熱を奪っていくばかりだ。窓の外にかけがえのない仲間たちの姿は、まだ見えない。

 と、その時。


「心配することないだろ」


 不意に後ろから声をかけられて、クレースはぴゃっと肩を跳ねさせた。振り向いたその先には銀色の瞳を細めた友人の姿。


「リスタ!」


 彼の名を紡いだクレースは眉を下げる。リスタはそんな彼を見つめて笑いながら、いった。


「カルセもスファルも強いし。大丈夫だよ」


 そう軽い調子で言ってやる。するとクレースは少しだけ表情を緩めて……しかしすぐに、眉を下げて溜息を吐き出した。


「……うん、わかってるんだけど」


 そう呟き、また溜め息。そして目を伏せてしまうクレース。

 まぁそうだろうな、とリスタは思う。クレースとカルセ、スファルとの付き合いは、自分よりずっと長い。そんな彼の方が、カルセやスファルの強さは良くよく知っているだろう。それでも、不安なのだとクレースは言う。


「カルもスファルもすぐに無理するから……」


 彼の不安要素は、そこなのだ。

 彼らの戦闘能力は良くよく知っている。戦闘がほぼ出来ないクレースに比べて、カルセもスファルも戦闘慣れしている。武器の扱いも、魔術の扱いも、良くなれている。

 けれども、幾ら戦闘に慣れていても、疲れには抗えまい。しかも彼らは疲れやら怪我やらを隠したうえで戦い続けようとする悪い癖がある。それが仇にならなければ良い、とクレースは呟いた。


「あぁ、それは何か、わかる気がするな」


 リスタもそう言って溜息を吐き出した。付き合いがクレースに比べてまだ浅いリスタも流石にそれは嫌というほどわかっている。彼らが強いことも……二人そろって無理をしやすい気質だということも。それを考えると確かに、心配にもなるのだろう。


「僕がいつもはストッパーになれるんだけどな」


 クレースはそう呟いて唇を尖らせる。まるで両親の買い物についていけなかった子供のような態度にリスタは思わず噴き出した。


「かくいうクレースも無理の常習犯だろう」


 揶揄う声音でそう言われて、クレースは更にむくれた顔をした。


「……リスタも言うようになったね」

「事実だろ?」


 そう言われたクレースは黙り込んで、窓の外に視線を投げた。相変わらず、人の姿は見えない。吹き抜ける風に木々が揺れているのが見えるくらいだった。


「まぁそうなんだけど」


 そう呟きながらクレースはそっと、窓を指先でなぞる。ひやりとした硝子の感触を指で感じ取りながら、彼は独り言のように言った。


「でもカルはああ見えて、っていうタイプだからなぁ……」

「ん?」


 彼の言葉の意味が理解しきれず、リスタはきょとんとした顔をする。クレースは言葉に悩むように暫し視線を伏せた後、ぽつぽつと呟くように言った。


「ほら、カルはいつも落ち着いてるでしょ?

 いつも余裕そうというか、余裕がない所を他人に見せないというか……」


 いつも一緒に居るからこそ分かる、彼の癖。絶対に周囲に自分の余裕のなさを悟らせようとしない。どんなに大変でも、辛い目に遭っていても、それを周囲に悟らせないように、いつでも穏やかに微笑んでいるのだ。

 その実、彼が何を考えているか、感じているか、それは流石にクレースでも推し量ることは出来ないのだけれど……それでも、少なくとも彼が気楽な気質であるとは到底思えない。医療部隊という、人の命にかかわる仕事をしているから、猶更だ。

 幾度人の命が消えるところを見てきただろう。幾度人の命を救おうとしただろう。その度にきっと辛かっただろうに、彼が泣いたり苦しんでいる様を見ることは、殆どなかった。

 そうクレースが言うのを聞いて、リスタは少し眉を下げた。そして溜息まじりに、言う。


「あぁまぁ確かに、そういうところがあるな」

「だから、ちょっと心配というか……ね」


 こんなことをここで話していたって、どうにもならないのだけれど。そう思いながらクレースは窓の外に視線を投げる。

 まだ彼らが帰ってくる様子はない。信じて待つしかないと思いながら、彼らは静かに溜息を吐き出したのだった。



***



 それから、どれくらい待っていた頃だろう。クレースは窓に貼り付いたまま離れず、それを放っておけないと思ったリスタもまた、そこに留まっていた。

 不安げに窓の外に視線を投げるクレースは、少し人影が見える度に身を乗り出しては、すぐに落胆した顔をしている。きっと大丈夫だと励ましの言葉をかければ幾らか表情を緩め、微笑んでは見せるのだが、それでもやはりすぐに心配そうな表情に戻ってしまう。

 別に彼らのことを信頼していない訳ではないのだろうが……やはり姿を見るまでは不安なのだろう。そう思いながら、リスタも早く彼らが帰ってくることを願った。


「カル!」


 不意に、クレースがそう声をあげた。ぎょっとしたリスタが視線を向けるより先に、クレースは走り出す。


「あ、おい!」


 リスタもそれを慌てて追いかけた。

 吹き抜ける強い風の中を、クレースは走っていく。その先にはほかでもない、待ち人……カルセとスファルの姿があった。……尤も、カルセはスファルに抱きかかえられる形ではあったのだけれど。


「クレース」


 駆け寄ってくる彼の姿を見たカルセは藍色の瞳を大きく見開きながら、彼の名を紡ぐ。それと同時に、彼はカルセたちの元に辿り着いて、息も荒いままに声をあげた。


「どうしたの? 怪我?!」


 こうして抱きかかえられているということはそういうことだろうと察したクレースはすっかり顔を青褪めさせている。今にも泣き出しそうな彼を見て、スファルは苦笑しつつ、言った。


「心配すんな、軽く捻っただけだよ」

「だから城の前で下してくださいといったのに」


 カルセはスファルにそう恨み言を言う。しかしスファルは相変わらず涼しい顔で、"ここまで来たら部屋まで運んでやらぁ"という始末だ。そんな彼らのやり取りに安堵したようで、クレースは深深と息を吐き出した。


「帰り、遅いから心配してたんだからね。

 しかもやっと帰ってきたと思ったらスファルに抱きかかえられてるし」


 クレースはそう言いながら、カルセを睨みつける。しかしその青い目は涙に潤んでいた。カルセはそれを見ると少しばつが悪そうな顔をして、そっと息を吐く。


「……御心配おかけしてすみません」


 無論、そんなつもりはなかったのだが、心配をかけてしまったというのは流石に申し訳がない。それが大切な人間であれば、猶のことである。

 どうにか安心してほしい、泣き止んでほしいと思ってカルセはそう言ったのだが……どうやらそれが引き金になったようで、クレースは本格的に泣き出してしまった。


「良かった……」


 ぼろぼろと大粒の涙がこぼれてはクレースの色の白い頬を伝って落ちる。風に吹かれている間にそれは乾くのだけれど、それと同時に次が流れるものだから、キリがない。カルセはスファルに抱きかかえられたまま、そんな彼を見ておろおろしている。


「あぁ、泣かないでください、クレース」


私は平気ですから、と眉を下げながらカルセは慰める。


「うぅう、だって……」


 ぐすぐすと泣きじゃくるクレースと、慌てふためくカルセ。そんな珍しい二人の光景にスファルと、やっとクレースに追いついたリスタとは思わず笑った。


「何だか物珍しいものが見れたな」

「はは、カルセでもそういう顔するんだ」


 二人が笑っていれば、カルセは少し顔を顰める。


「揶揄うのも大概にしてくださいよ」


 少し拗ねたように呟くカルセ。その頬は薄紅に染まっていた。




***




「本当に、心配したんだからね」


 ふわり、やわらかな風が吹き込む部屋で、クレースはカルセにそう言った。手当を終えた足を伸ばし、本を読んでいたカルセはその言葉に視線をあげて、苦笑する。


「すみません。

 しかし、おかげでスファルを無事に守ることが出来たのですから、この程度の傷どうってことありませんよ」

「またカルはそういうこと言うんだから」


 ふ、とクレースは息を吐く。呆れた、というよりはもう諦めたように、けれども何処か穏やかに。空は、綺麗に晴れ渡っている。雲もすっかり、強い風に散らされてしまったようだった。

 ちらちらと輝く星が黒いビロードに散る宝石のようで美しい。一段とそれを美しく感じるのはやはり、ちゃんと大切な仲間が帰ってきてくれた安堵故、なのだろう。そう思いながらクレースは一度目を伏せた。


「……別に、カル達を甘く見てたわけじゃないんだよ」


 ポツリ、呟くように彼は言う。カルセはそれを聞いて目を細めた。


「それは、わかっていますよ」


 きっと自分が逆の立場だったならば、彼と同じことを思っただろう。……彼ほど素直に仲間を心配することは出来ずとも、それでもやはり彼らが無事に帰ってくるだろうかと心配したはずだ。カルセがそう告げる、クレースはふっと微笑んだ。


「やっぱり、無事に帰ってくるその姿を見るまでは"万が一"が頭をよぎっちゃうんだ。

 一緒に居たいって、そう思うからかなぁ……帰ってこない、っていうのが一番怖いんだよね。

 確かにカル達のこと、信じてるのにさ」


 きっと帰ってきてくれる。そう思う一方で、頭から掻き消すことが出来ない"万が一"。絶対にないとは言い切れないその"万が一"が起こりはしないかと、とても不安なのだとクレースは言った。


「カルのこともスファルのことも、他のみんなのことも信じてるのに……おかしいね」


 クレースはそう言って、少し困ったように笑う。また泣き出してしまいそうな彼を見つめ、カルセは穏やかに微笑んだ。


「確かに、戦闘任務につく以上、幾らかその可能性はあるでしょう。

 そうならないようにするために私たちが同行しているとはいっても、魔獣の一撃は恐ろしいものですから。

 だから、"万が一"を考えてしまうのは、何ら可笑しなことではない」


 今回だって、一歩間違えばスファルが、或いはカルセが死んでいた。自分たちでなくても、仲間たちが死ぬことになったかもしれない。或いは、自分たちが任務に失敗すれば、近くの街に甚大な被害が出たかもしれない。そうカルセが言うと、クレースはひゅっと息を呑み、顔を歪めた。


「クレース、此方に来てください」


 カルセは穏やかな声で彼を呼んだ。ぽんぽん、と自分の隣を叩きながら。

 クレースはベッドに腰かけるカルセの傍に歩み寄る。カルセはそんな彼の手をぎゅっと握って、微笑みながら言った。


「でも、そうして待っていてくれる貴方たちがいるからこそ、私たちだって本気で戦えるのですよ。

 帰らなくては、と思いますからね」


 そう言いながら彼は藍色の瞳を柔らかく細める。

 自分一人での戦いだったら、別に命を捨てるような戦い方をすることも厭わなかったことだろう。仲間を守り、救うためならば……そう思う性質なのだから。けれども彼がそうしないのは、こうして城で待っていてくれる、帰ってきてくれて良かったといってくれる仲間がいるからだ。そう言って、カルセは微笑む。

 クレースはそれを聞いて、表情を綻ばせた。ほろりと頬に涙が伝って落ちる。


「ふふ、クレースは泣き虫ですねぇ……」


 カルセはそういって、くすくすと笑った。零れ落ちる涙を指先で拭ってやれば、クレースも柔らかく微笑む。


「泣き虫でも、良いよ。

 ……カル達がちゃんと、無事に帰ってきてくれるならそれで良い」


そう言った彼は一度カルセに抱き着く。少し驚いたように固まるカルセ。その体から離れると、クレースはいつも通りの優しい表情で、明るい声音で、言った。


「お帰り、カル」


 改めてそう言う、大切な仲間。その声に、言葉に、カルセは幾度か瞬いた後、そっと微笑んだ。


「ただいま、クレース」


 こうして無事に帰ってこられたこと。こうして仲間たちと一緒に居られること。それがとても幸福だ……そう思いながら。

















第十章 Fin

(ウォッカアイスバーグ:ただ貴方を信じて)

 

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