廃校舎の怪異
「明日の夜、肝試しに行こうぜ」
金曜日の放課後。
テストから解放され、教室内が賑わいを見せ始めたころ。
帰り支度を始めた僕のところに明斗がやってきて、机に手を置くとそう声を弾ませた。
「肝試しに行くって、どこに?」
「『廃校』ってところだ」
明斗はニッと笑う。
好奇心で動く明斗の事だ。どうせ、とんでもない所なのだろう。
「それでどうする? 行く?」
僕は「うーん……」と唸って。
「まあ……いいよ。行く」
最近、明斗の誘いを忙しくて断ってばかりだったし。
「よしっ!」
ガッツポーズをして満面の笑顔を浮かべる明斗。
「そうだ。雪も一緒に来るか?」
僕の隣で帰り支度をする雪に明斗はそう声を掛けた。
雪は一瞬意外そうな顔をするが。
「えっと……それじゃあ、行こうかな」
「えっ⁉︎」
僕は雪の返答が思っていたのと違い、思わず声を上げた。
「雪って確か、怖いもの苦手じゃなかったっけ?」
雪は頬を人差し指で掻きながら。
「えっとね……怖がりなのを治そうと思って」
「おお!」
そんな僕たちの会話を眺めていた明斗が床に置いていた鞄を持ち上げ。
「それじゃあ、明日の夜八時に百合沢駅に集合ってことで」
「「わかった」」
土曜日の夜、百合沢駅に集合した幼馴染み三人。
今日はあいにくの曇りで、辺りはだいぶ暗い。
懐中電灯を点灯させた明斗を先頭に、目的地までの道のりをかえるの大合唱を聞きながら歩いて行く途中。
「明斗、『廃校』ってどんなところなの?」
雪が少し不安そうに問う。
そういえば、『廃校』がどんな心霊スポットか詳しく訊いてなかったな。
「確か、正体不明の何者かに捕まると死んでしまうらしい」
怖っ!
「ひっ」
雪が小さく声を上げた。
「だ、大丈夫だって。ただの噂にすぎないんだし」
「そ、そうね。ただの噂だもんね」
しかし、明斗は真剣な表情のまま続ける。
「あともう一つ。校舎内にある机などを絶対に移動させてはいけないらしい」
「動かすとどうなるんだ?」
「詳しくは言えない。とにかく、絶対に動かしてはいけない。それだけは間違いなく言える」
周囲の空気が鋭くなったような気がした。
「……分かった」
隣を歩く雪も深く首肯する。
明斗のただならぬ雰囲気を纏った言葉にさらされ、これ以上噂について聞くことは出来なかった。
……もう帰りたい。帰って麦茶でも飲みながらゆっくりしたい。
そう思ったものの、明斗との約束を放棄する訳にはいかず、二人の後をついて行くことにした。
それに、怖がりな雪より先にリタイヤする訳にはいかなかった。
「着いたよ」
校門の前に立つと、明斗が前方を指差す。そこには、吸い込まれそうなほどの暗闇の中に、白塗りの廃校舎が建っていた。
校舎はコンクリート製で、背後には山を背負っている。
その姿を視界に入れると、なんともいえない不快感を覚えた。多分、さっきの話のせいもあるだろうけど。
「今、ここに居るだろ」
明斗が校内マップを広げ、懐中電灯で照らす。
それによると、この廃校舎はロの字形をしており、中央には池付きの中庭がある。
あの後、明斗が追加でこの心霊スポットの最恐の場所を教えてくれた。
「この心霊スポットで一番怪奇現象が多発するのは理科室らしい」
その時、まさかとは思ったが、
「今日はここに行ってみようと思う」
と言われたときにはサーと血の気が引くのを感じた。
もちろん二人がかりで抗議したが、上手いこと言いくるめられてしまい、渋々了承したのだ。
「昇降口を入ったら右に進み、その先の曲がり角を曲がった先に理科室がある」
明斗がマップ上を指でなぞって説明する。その様子はどこか楽しげだった。
「それじゃあ準備はいいか?」
僕と雪はそれぞれ懐中電灯を取り出すとスイッチを押し込む。
校門に貼られたロープを跨ぐと、明斗を先頭にロータリーを抜け、入れと言わんばかりに開け放たれた昇降口に入ると。
「思ったより荒れてないね」
雪がぽつりと呟く。
まわりを見渡してみると、ところどころ床のタイルが剥がれていたり、落書きがされている程度の荒れ具合だった。
「へえ、机って置かれたままなんだな」
明斗が教室内を覗くと、誘われるように中に入って行く。
近くの机に手を置き、移動させる構えを見せる明斗。
「そういえば、移動させちゃったときに呪われずに済む方法とかはないのか?」
明斗は構えを解くと。
「元の位置に戻せば呪われないよ」
明斗は閉められた窓を少し開けて、元に戻す。
「早く行こう」
そう言うと明斗はスタスタと廊下を進んで行ってしまった。
「到着〜」
どこか楽しげな明斗。
いつものお調子者はどこに行っても変わらない。たとえ、最恐と呼ばれる理科室の前に立っていても。
引き戸の前に立ち、開けようとする明斗だが。
「……あれ、開かない」
明斗は引き戸をちょっと引いた位置から見ると。
「あ、これか」
よく錠の付いている所に挿さっているピンを抜き、引き戸をスライドさせる。すると、すんなりと開いた。
……開かなければよかったのに。
「ちょっと入ってみようぜ」
明斗はなんの躊躇いもなく入っていく。
僕は少し迷ったが、しだいに大きくなっていく好奇心に負けてしまい、入ってみることにした。さっきまで「怖くない怖くない……」と呟いていた雪も最終的には恐る恐る入ってくる。
「あ、これリトマス試験紙じゃないか?」
明斗が棚からリトマス試験紙の束をつまみだす。
そんなものまで残っているのか。
明斗はそっと丁寧にリトマス試験紙を元の位置に戻す。
雪がまわりを懐中電灯で照らしながら。
「……なにも起こらないね」
「そうだな。ただの噂だったてことか」
目に見えて肩を落とす明斗。
僕としては、その方がありがたいのだが。
「……あれ? ドア閉めたっけ?」
雪が入り口の方を指す。
確かに開けたままだったはずの入り口の扉が完全に閉まっていた。
怖っ!
明斗が音のする方を向くと、声を震わせて。
「おい、嘘だろ……」
そちらは理科室から直接行けるようになっている理科準備室がある。
「扉が……」
理科準備室の扉がゆっくりと開き、靴音が聞こえてくる。
何か……近づいてくる?
雪はその光景を前に怯えて声を出さなかった。
「う、うわああああ!」
明斗は声を上げると、二人の手首を掴む。僕が理科室の扉を開けると、三人は廊下に飛び出し、死にものぐるいで走り出した。
いつの間にか、僕の手首を掴んでいた手が無くなっていた。しかし、僕はそんな事を気にも留めず走り続ける。
後ろから大きな足音が迫ってくる。もうほとんど距離はない。
ーー追いつかれる!
僕はただ逃げる事だけを考え、前を走る雪の後を追う。
「外だ!」
昇降口の光を目に捉える。
月が出てきたようで、外はうっすらと明るい。
昇降口を走り抜ける。
空には星が煌めいていた。
僕は息を大きく吸い込み、校門に張られたロープを飛び越えると、そのすぐそばで倒れ込んだ。
いつの間にか、僕たちを追っていた足音は無くなっている。
「はあ、はあ、はあ……ゆ、雪? ……明斗?」
まわりを見渡すが、二人の姿はない。
もしかして、置いて来てしまったのか?
僕はスマホを取り出すと、電話帳を開く。
「な、なんで⁉︎」
電話帳から二人の電話番号が消えていた。確かに登録してあったはずなのに。
電話番号を思い出そうとするも、全く思い出せない。
「仕方ない。担任にかけてみるか」
僕は担任の電話番号に電話をかけてみたのだが。
「秋山と清水? そんな生徒うちのクラスにはいないな」
「え?」
担任の言葉が全く理解できなかった。
「も、もう一度お願いします」
そんなはずはない。確かにさっきまで二人はいたのだ。
「秋山と清水なんて生徒はうちのクラスにはいないよ」
「……」
背筋を冷や汗が滑る。
スマホを持つ手が震える。
心臓の鼓動が闇夜に響くかのように大きくなっていく。
「……もしかして、『廃校』に行ったのか?」
担任の察したような問いに僕は唇を震わせながら。
「はい……」
「……そうか。あそこではな、物を動かした人が世界を移動
しちまうんだ」
僕は、なにを動かしたんだ?
先程までのことを次々と思い浮かべる。
ーーああ、そうか。
理科室の扉、閉めてないや。
僕はまだ怪物がうろついているであろう校舎内へと駆け出した。