音色
ここに一人の小説家がいた。彼はある一つの難題に取り組んでいた。それは「小説」という文章・テキストのみで、「音楽」の、あの豊饒なる旋律、グルーヴ感を表現するということだった。
彼はまず「トゥ、トゥ、ル、トゥ、トゥ、ルトゥ」など、擬音をもちいて、それを表現しようとした。しかし、中々上手くいかず、詩のようなリズムは表現できるものの、本物の音楽のような、甘美なメロディーには勝てない。そこで彼は「音楽」なんだから音符を書き出せばいいんだという結論にたどり着いたが、無論、皆が皆、音符を読めるわけではない。失敗だ…。彼は悩んだ…、悩みに悩んだ…。
そして彼はもう一度、音楽を鳴らす方法がないかと、熟考した。
そしてある最終結論に至った。
それは「引用」であった。小説の中で、「ここで、あいみょんのマリーゴールドを歌った。「麦わ〜ら〜の〜帽子のき〜みが」」とまず既存の曲で、受け手の頭の中の「音楽」を鳴り響かせるというのが一点。
そして次に「引用」をさらに発展させて、「ここで、あいみょんのマリーゴールドと同じ旋律で「明日、また(オリジナル曲)」を歌った。」として「あした〜また〜会えますよ〜に」といった上の文章の替え歌にして、受け手に旋律のイメージを受け取ってもらうという方法だ。
これが小説家の考える、受け手に「音楽」のイメージを最大限に喚起させる最終手段だった。
ー小説は音楽にはなれないー
彼はいさぎよく認めることにした。
そして、次の日、楽器屋へ行き、年季の入ったエレキギターを購入した。
ここからは彼と作者の独白のようなものなので、読みたくない人は読まなくてもいい。
「音楽には勝てないよ。音楽は音楽なんだもの。
小説を読んで感動する人がいれば、音楽で感動する人もいる。
それに対して「映画」はいいよなぁ、音楽も使えれば、「脚本」という力でストーリーテリングもできる。」
そしてこの小説を書いている私は、「映画は大変だから楽器でも始めようかな」とか思うのであった。
END