窮地
緑と凛香は警官が犠牲になったお陰で異変者たちから逃れることができた。
しかし、そうは言ってもまだ安心できるような段階にはなかった。
辺りには異変者たちが山ほどいる。
緑たちは細い路地に逃げ込み、物陰に隠れるようにして腰を下ろした。
「緑君、私たちどうなっちゃうの?」
凛香の今にも泣き出しそうな声に、緑は胸が締め付けられる思いだった。
凛香の兄で自分の親友、戒のことをどう伝えていいかもまだ分からないままだ。
緑はそのことをグッと胸にしまいこんだ。
「とりあえず俺の家に行こう。それからどうするか考えよう。」
「……うん。」
とりあえずの目的が定まったことで二人は腰を上げた。
緑は何か重い責任感のようなものを感じて、自らを鼓舞していく。
自分が何としてでも凛香を安全な所に連れていくのだと固く自らに誓った。
「さあ、行くよ。」
緑が凛香に声をかけると凛香は、その小さな顔に大きな恐怖心を宿していた。
「凛香ちゃん?」
「う、うしろ。」
緑はゆっくりと振り返った。
そこにはこちらに気付いた異変者の姿があった。
その異変者はOLのようだ。
黒のスーツやストッキングが所々破けている。
ふと足元を見てみると足首が折れているのか、両足首が内側に曲がっていた。
そして、その足でまるで痛みなど皆無のようにこちらへ真っ直ぐと向かってくるではないか。
「走れ!」
緑は凛香のか細い腕を、再び掴むと勢いよく走り出した。
どうやらその女性の異変者は上手く走ることが出来ないようで、簡単に逃げ切れると緑は少し安堵した。
ところが、路地をもう少しで抜けようというときだった。
なんと反対側からも異変者が一人、こちらへと向かって来ているではないか。
こちらの異変者は男性でスーツを着ていた、サラリーマンだろう。
体にもまだ何の損傷もないようで、こちらに気付くと一目散に走って寄ってきた。
二人は今来た道をUターンして逃げる。
しかし、そちらからもOLの異変者。
完全に挟まれた形になった二人は体を寄せ合い行き場を失ってしまった。
その時だった。
緑はあるものに目がとまった。
ちょうど緑たちが立ち止まっているその場所に、一軒の古びた喫茶店がある。
もちろん店が営業している様子はなく、中は真っ暗だ。
レトロな店構えの、その店の看板を見て緑は迷わず、ドアノブに手をかけた。
ドアはすんなりと開き、二人は雪崩れ込むようにして店へと入った。
店に入るとすぐに中から鍵をかけ、カウンター席のある方へと身を隠した。
一旦は安全を確保したように見えるが、外の異変者が中に入って来るのは時間の問題だと緑は考えた。
二人が店の中に逃げ込んだのを当然、異変者の二人は見ているはずだ。
緑は覚悟を決めたようにカウンターの奥にあるキッチンから包丁を持ちだした。
「どうするつもりなの。」
「凛香ちゃん。君はここに隠れているんだ。そして目を閉じて耳も塞いでて欲しい。」
「だ、駄目だよ。そんなことしたら人殺しになっちゃう。」
「あれは……もう人じゃない。」
外の扉を異変者がガタガタと揺さぶるように鳴らしている。
扉が破られるのはきっとすぐだろう。
緑は戒のことを思い出していた。
異変者となった戒は自分の拳のことなどお構い無しにコンクリートにパンチを放った。
その威力はもはや人間の力ではない。
そんな力を異変者が全員持っているのなら、ここの扉なんてすぐに壊され中に入ってくる。
緑は覚悟を持って包丁を握りしめた。
掌は汗でびしょ濡れだった。