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世界は、狂わしいほど騒がしく、そしてーー  作者: やかやか
一章「ワンダーランドな勇者様」
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第18話「目覚めて、語って」

 知らない天井、ではないな。見覚えがある。

 気絶した経験は多々あるが、いまだに目を覚ました時に初めに見るものが知っているか知らないかということに身構える。目覚めたばかりで身構えるというのもどうだろうかとも思うが、もし知らない天井ならば誘拐された可能性が高いからだ。

 もう何年も誘拐なんてされていないが、未だに安心して気絶出来たためしはない。そもそも気絶した段階でほぼ確実に身に危険が起こっているとは思うのだが、如何せんこの数年の気絶理由の9割がアリスだ。そろそろ安心して気絶したい………というか気絶はしたくはない。


 なんて馬鹿なことを考えながら状況を整理する。


 薬品特有の鼻につく刺激臭。

 自然の灯りではない、人工的で無機質な白い灯り。

 板の上に敷いた簡易な古布団とは比較にならないほど寝心地のいいベッド。


 古ぼけた孤児院の中で唯一、まるで新築のような清潔感を誇る医務室である。


「目が覚めましたか」


 不意に声のかかったほうを向くと、こちらを静かに観察するシスターが目に映った。上体を起こし身体を向けるとその後ろのベッドにはリーアが横になっていた。


「リーアに何かあったのか⁉」

「起きて第一声がそれですか。少しは自分のことを心配しないとお母さん達もも心配になりますよぉ。ねぇ、リーアちゃん」


 医務室に横になっているリーアに慌てるオレに対してシスターはいつもと変わらない様子で落ち着いて眠るリーアの頭をそっと撫でている。


「シスター、リーアは?」

「心配はいりませんよぉ。ただ疲れて眠っているだけです。イオちゃんこそ自分の心配をしたらどうですか」

「えっと………」

「今回は久しぶりに驚きましたよぉ。アリスちゃんに運ばれてきたときは全身血まみれで噛み傷だらけでひどい見た目だったんです。どんな状況だったのか断片的なものしか聞かされていませんので、落ち着いたらちゃんと説明してくださいねぇ」


 言われてみてようやく思い出し始める。最後の記憶は確か………


「確か、オオカミに喰われた」

「その割には五体満足ですねぇ。丸呑みにでもされましたか赤ずきんちゃん。狼の腹の中はさぞかし暖かったのでしょうねぇ、ながながと、ぐっすり眠っていましたから」

「ちげぇよ、齧られまくったよ、全身血まみれだったんだろ。というか、ながながと?」

「ええ、丸二晩ほど。とはいっても運ばれてきたのが既に日が暮れかけていましたので正確には二日は経過しているわけではありませんが」

「………マジか」

「マジですよぉ。リーアちゃんには感謝してください。さっきまでほとんど寝ずに看病してくれていたのですから」


 そういわれて、改めてリーアに目を向けるとその安らかな寝顔には目元にうっすらとクマが出来ていた。深い眠りについている様子から、本当にほとんど休まずに看病してくれていたことがわかる。幼いのに無理をさせてしまった自分が不甲斐ない。


「本当に甲斐甲斐しく看病してましたよ。食事や、身体を拭いてくれたり、下のお世話もしてくれて―――」

「待って、下の世話⁉」

「ええ。それは二日も寝てれば自然ともれますよ。前からも後ろからも。ほおっておけば大変不衛生ですので、よかったですねぇ、リーアちゃんが率先してやってくれて」


 オーマイゴッド‼やっちゃったよ。まさかこの年になってまで誰かに下の世話をされるとは………しかも歳離れた末っ子のリーアに。

 羞恥心に致死量があったならこの場で爆死してしまいそうだった。頭を抱えて身悶えしていると顔の熱に気づく。それは自分の顔色が安易に察することができるほどであった。身体中から嫌な汗がみるみる溢れてきている。


「まあまあ、大丈夫ですよぉ。割とリーアちゃんも喜んでやっていましたし」

「………………………喜んで?」


 どうにか顔を上げシスターに視線を向けると、まるで小さないたずらが成功しているのを眺める子供のような表情をしていた。この人絶対楽しんでやがる。


「はい、何でも『………これで、ノーマちゃんに、にぃにぃが男だって、言える』と、心なしかいつもよりも楽しそうな表情でしたよ」

「そういえば言ってたな、友達から性別を疑われてるって。まさか物理的に確認されるとは思っていなかったよ‼」

「よかったですねぇ、イオちゃん。これで男の娘だって証明出来ましたよ」

「男の子だ、娘じゃねぇ‼確かに今ちょっとあれだけど、見てろよ数年後には立派でナイスでダンディーなジェントル面になる予定だからな‼」

「そういいましてもぉ、イオちゃん年々成長するにつれて艶麗で花のような姿になっていますけどねぇ」

「うぐっ」


 だ、大丈夫だ、問題ない………はず。

 身体測定のときとか周りがふざけてスリーサイズ測ったりしていたが胸囲はメラと変わらなかった。殴られたけど。腰回りもまあ、体格に対して平均の範囲で収まっていたし。………何故かウエストは引き締まっていたのだけれど。

 男として問題なく成長しているはずだ………………………マジで途中で性転換とかしないよな?


「まあ、ちゃんと男の子の部分も成長しているようですし、お母さんも安心しましたよぉ」

「…………………まって。あんたも見たの」

「はぁい、もぅ、ばっちりぃ」

「うわーーーーーーーー‼」


 ここ最近で上げた悲鳴の中で最も大きなものが部屋中に響き渡り、未だに声変わりの来ない子供特有の高い金切り声がガラス戸を震わせる。

 笑顔で耳を塞いでいたシスターが、もういいですかぁ、などと声をかけてきたところでようやく正気を取り戻した。


「いやぁ、私がこの孤児院に来たときは、イオちゃんはもう5歳でしたからねぇ。おしめを取り換えることができなかったのが残念だったなぁと思っていたのでぇ、いい機会でしたよぉ」

「チクショー、もう婿に行けない」

「アリスちゃんならお嫁さんとしてもらってくれそうですから安心ですねぇ」

「いや、それは冗談にならない………あっ」


 アリス‼

 結局あの後どうなったのかを、オレは全く知らなかった。

 オレの記憶は、幾頭ものオオカミに襲われて逃げ回り、結局捕まったところで途切れている。最後の光景は走りながら後方を確認しようとして振り向いたところ、ちょうど飛び掛かってきたオオカミに押し倒され受け身も取れず頭を地面にぶつけたところで途切れているのだ。

 あの状態からも奇跡的に生還できたということは結局アリスに助けられたということだろう。それも、十を超える魔獣の群れを相手にした後で。


 方や、災害レベルの敵を相手にツレをを守り切り勝利した勇者。

 方や、野生のオオカミ一匹に奮闘しなんとか倒したが、群れで襲われれば餌になることしかできない一般人。

 嫌というほど現実を思い知らされる。


「………アリスは、無事だったんだろ」


 ほとんど、確認のような質問であった。オレがここに戻ってこれている時点で容易に想像できることだ。

 だが、シスターの答えは予想に反して少し違っていた。


「そうですねぇ、実は私はアリスちゃんの姿は見ていないんですよぉ。イオちゃんは気絶していたので分からないと思いますが、アリスちゃんがイオちゃんを連れてくる少し前、森のほうで未曽有の天変地異があったのですよ」

「天変地異?」

「ええ、詳しくは今後各ギルドのほうで調査が行われる予定ですが、突然光の柱が表れたかと思うと、そこを中心に森の一部が大地ごとごっそりと消滅していましてねぇ。その光の柱が街から見えたものですから、いつもは安息日にすら祈りに来ない信者たちが審判の時が来たのではないかと大慌てで教会に詰め寄りましてねぇ」

「え、大丈夫だったの?」

「ええ、おかげさまでぇ、パルテナが被害を受けたわけでもありませんし、それどころか数年分ほどのお布施が一晩で集まりましてぇ、今、懐がホクホクですぅ。神様に感謝しないといけませんねぇ」

「え、ウソ!」


 シスターがいつになく朗らかな表情で報告してくれたことは、とても景気のいい朗報であった。

 よかった、最近食べるものにさえ苦労していたがこれからは明日食べるパンの心配をしなくて良さそうだ。バイト終わりにパンの耳を譲ってもらうために頭を下げたり、酒場で食べ残しをタッパーに詰めてもらったり、服屋で余った布の切れ端をかき集めたりしなくて済む。


「まあそれはともかく、そんなことがありましてぇ、私はアリスちゃんに直接はあっていないのですが子供たちから様子はうかがいました」

「無事……だったんだよな?」

「さあ、どうでしょう。怪我はしていないようでしたけど、お洋服はボロボロでぇ、そこかしこに血の跡が滲んでいたそうです」

「………」

「アリスちゃん、イオちゃんを助けるために頑張ったんでしょうねぇ。いつも着て来るかわいいエプロンドレスだったのですが、もう着れないだろうとのことでした」

「…………………」


 シスターの言葉を聞きいつの間にか自然と天井を見上げていたが、脳裏には別の光景が浮かんでいた。

 いつも呼んでいなくても、迎えに来るアリスの姿。日本で生きていたころによく見かけたアリスと名のついた少女が必ず着こなしているような、ステレオタイプなエプロンドレス。二次元では見慣れているようなその姿はいざ現実に飛び出してみると、うっとおしいほど天真爛漫なあいつによく似合っていた。

 何度も破るものだからそのたびに補修してやった。身体が大きくなるに合わせて、わざわざ仕立て直しに頼みに来るほどお気に入りなものだったらしい。


「シスター、明日一日ちょっと出てくる」

「ダメです」

「夕方までかかるかもしれない………え、なんて?」

「アリスちゃんのところに行くつもりなのですよねぇ。それをダメだといいました」


 シスターはこういうときいつもなら、用がなければ引き留めることはしない。だが今、明確にアリスのところに向かうことを明確に禁じてきた。

 予想外の事態に面をくらったオレは今どんな表情をしているのだろうか。シスターはオレの顔を見ると小さくため息をついて顔を伏せた。

 そして少し考えてから何かを決意したような表情で話を始めた。


「ねえ、イオちゃん。あなたたち家族はみんな本当に仲がいいですよね」

「え、そうだけど、それよりも何で――――」

「正直に言いますとねぇ、私がここに来たときは、もっとひどい状態だと思っていたのですよぉ」


 オレの主張を一切聞かずにシスターは話し続ける。

 その表情は、いつものマイペースな様子からは想像できないほど真剣なものであったため、オレは自分の言葉をなくなく下げることしかできなかった。


「実を言いますと、私も孤児院出身なんですよぉ。こことは違う国の普通の孤児院でしたけどね。私が生まれる前にあったという戦争のせいで孤児の数が多くてですねぇ、食べるものに毎日困ったものでした。特に私は非力でしたので、食べ物を横取りされることが多く、いつもお腹を空かせては神様に祈っていたものです。もっとたくさん食べ物をくださいって。

 国が気まぐれにやってくれる炊き出しが何よりの楽しみでした。イオちゃんが作ってくれるスープとは比較にならないほど味は粗末なものでしたが、売れ残った傷んだ食材をただただ混ぜ込んだようなスープとそれに浸さなくては食べられないほど硬いパンの味が今でも忘れられないほどにですねぇ」


 途中から遠い眼をして懐かしむように語りだしたシスターの昔話は、今までに聞いたことのないものだった。一緒に暮らしていてもはや日常の一部となっていたシスターを、実は全く知らないことのほうが多いと今になって気づく。

 前にいた神父と入れ替わるようにやってきて、当たり前のように保母として家族と打ち解けたシスターがどこか遠い存在のようにものさみしさを感じてしまう自分がいた。


「あの炊き出しが忘れられなくてですねぇ、お母さん昔その国の公金を大量に使って勝手に炊き出しをしたことがあるのですけどもぉ」

「………は?いやいやそれって大問題じゃ――――」

「いえいえ、王子が継承権を剥奪されたり、侯爵の息子が勘当されたりした程度でことは治まりましたしぃ、問題は―――」

「大問題じゃん⁉」


 なんだかさらっととでかい爆弾投下してきやがった。何でナチュラルにやべー過去暴露しているわけ⁉というかこの人ひょっとしてオレたちよりヤバい問題抱えてない⁉


「まあ、それはとにかく」

「兎にも角にも置けない問題なんですがそれは⁉」

「話を戻しますとですねぇ、私にはそういう生い立ちがあったので貴方たちの孤児院に配属されると決まった時にですねぇ、とても劣悪な状況が待ち構えていると思っていたのですよ。あなたたちの抱える問題以前に、孤児院というものがどんな場所か、私の知る限りではいい場所ではありませんし、いい思い出もありませんでしたからねぇ」


 虚空を見つめゆっくりと瞬きをするシスターの碧眼の瞳には、一瞬だけうっすらと影が差していたのに気づく。普段どんなことがあっても絶やすことのなかった笑顔が、こうも簡単に崩れてしまったことがとても衝撃的であった。

 それはシスターがこの孤児院にきてから今までに、子供たちを誰一人として欠けることなく守り抜いているその強さの根底を垣間見た瞬間であった。ここにきてもう何年もたつというのに今の今まで一度たりともシスターは暗い部分を誰にも悟られることなく笑顔で過ごしていたのは、そのマイペースな性格だけでなくその精神に強い芯のようなものを持ち合わせているからだろう。

 そして、そのことをただの一度も気づくことのできなかった自分がとてもちっぽけなものに見えてならなかった。前世と合わせれば総合年齢はシスターよりも上のはずなのに、自分のほうがどうしようもなく未熟な子供だったのだと痛感していた。


「まず確実にろくに食事にありつけていないと思っていましたよぉ。場合によっては最も弱い子から順に飢餓をしのぐための生贄になっているかもしれないとも覚悟していたほどです」

「いやそれは――――」

「ええ、考えすぎではありました。ですがねぇ、冗談ではありませんよ。空腹というものは時として、人を獣に、獣を化物に変えてしまうほどの力を持っています」


 そこでシスターは一旦話を区切ると、辺りを見渡した。そして近くの机の上に置いてあったフルーツの詰まったバスケットの中から真っ赤なリンゴを一つ取り出した。誰かがお見舞いに買ってきてくれたその中には、ブドウやバナナといった色とりどりの果物が詰め込まれていた。

 すぐそばに置いてあった果物ナイフを手に取り、シスターはリンゴの皮をむき始める。普段料理をしようとしないシスターの手つきは、素人のようにたどたどしく、危ないものである。むけた後の皮もつながってこそはいるものの、包丁を滑らせるたびに大きさや厚さを変えたぶきっちょなものが連なっていた。見ていられないしオレなら一瞬で終わるので変わろうといったが、シスターは変わろうとはしなかった。


「ごめんなさいねぇ。起きたばかりで、お腹もすいていたでしょう」

「いや、それは大丈夫だよ。それにオレは――――」

「――――空腹には慣れているから、大丈夫、ですか?」


 そういいながら、手元で回っているリンゴを見つめていたシスターの瞳には悲しみが浮かんでいた。


「あなたのそういうところがぁ、お母さんとても心配なんですよぉ………本当に」


 コツをつかんだのか、シスターの手つきは滑らかなものになり、落ちていく皮もだんだんと統一感が増してきていた。


「あの日、あなたが初めてアリスちゃんに会った日。あなたはどんな状態でしたか」

「…………………………………………餓死寸前」

「ええ、本当に心配したのですよぉ、どこを探しても見つかりませんし、二日もたっていたのですからねぇ」

「…………………悪かった」

「だけど、今はもっと心配しているんですよぉ」

「…………へ?」

「さっき言いましたよね、空腹は時にって。私はね、イオちゃん、そうなった人間を何度か見たことがあるのですよぉ。人間、いざとなれば草の根だって食べます。毒虫や海水だって後先考えずに口に入れてしまうようになってしまいます。………終いには己の指すら食いちぎってしますほどでした。ですが、あなたはどうでしたか?」


 七割ほど皮がむけその実を現したリンゴからは、永遠と糸のように細く赤い皮が流れ落ち続けていた。シスターの手つきはいつの間にか素人から料理人を超え、芸術家の域にまで達していた。その技術の習得速度は明らかに常人の域をはるかに凌駕している。


「周りにあったものを手当たり次第に食べようとしないどころか、正気のまま空腹を受け入れていたそうですね。突然現れたアリスちゃんとも、ちゃんとお話ししていたようですし。これ、異常なんですよぉ。いきなり襲い掛かって噛みついてもおかしくない状態なのですからぁ」

「いや、さすがにそんなことは――――」

「するのですよ。その選択肢がない時点であなたはおかしいんです。私がここに来た時からそうでしたがあなたは苦痛といったものに慣れ親しみすぎています。さらに言うと、この孤児院で、あなただけが異常なほどそうあることが問題なんですよ………………えいっ」


 シスターはそこでいったん話を区切るように、いつの間にか一口サイズにまで切り分けたリンゴを一つ摘まみオレの口に押し込んできた。

 不意打ちをくらい口の中にリンゴが入り込んでくる。口いっぱいに瑞々しいリンゴの甘さが広がり咀嚼をするたびにシャキシャキと気持ちのいい音が響いてくる。

 オレがリンゴを味わっている間に、シスターは切り分けたリンゴをのせた皿を机の上に置いた。リンゴがのどに飲み込まれるのを見届けるともう一つ差し出してきたが、それを断ると少し不満そうな表情をしてから話の続きを始めた。


「さて、話を少し戻しますとね、とにかく私は、あなた達の環境や関係はとてもひどいものだと思っていたわけです」

「それで」

「それでですねぇ、いざ、皆さんに会ってみると驚きましたよぉ。だってまず一丸となって私を追い出そうとするのですからぁ」

「ああ……うん……あれは、悪かった」


 思い出すのはもう何年も前のこと。


『はじめましてぇ、新しく、この孤児院の保母になりました。シスターのアリエルといいます。みなさん、気軽にマザーって呼んでくださいねぇ。もちろんお母さんでも可』

 

 そういって突如孤児院に現れたのがシスターだった。

 そしてその頃は度重なる不幸にとうとう限界を超え、孤児院のだれもが意気消沈していた。そんなところに突如現れどや顔でそんなことをいうものだ。時間が止まったかのような静寂が訪れその間に各々が感じたものは、戸惑い、落胆、怒り、それぞれであったであろう。

 だが、次の瞬間に始まったのは、まるで示し合わせたかのように長男長女から末っ子に至るまで家族全員による一糸乱れぬ総攻撃であった。

 

「本当ですよぉ、全く。多少の反対にあうのは予想していましたがまさか、全員が一斉に襲い掛かって来るとは思いませんでしたよぉ。おかげで、その日は外で寝ることになりましたしねぇ」

「その割には、ぐっすり寝てたよな。しかも昼まで」

「いつでも、どこでも、いつまでも、寝ることができるのが私の特技ですのでぇ」

「不眠症の方には大変羨ましい特技だな」

「イオちゃんに褒められましたぁ、うれしいですねぇ」

「いや褒めてねぇよ」


 結局、その日は追い出すことに自体は成功したのだが、とても釈然としない結果であった。

 というのも、シスターは一切反撃をしてこなかったのだが、誰一人としてただの一撃も攻撃をあてることができなかったのである。

 全員が出生や存在そのものに問題を抱える者たちであるが、その分ハイスペックなのがうちの孤児院の特徴である。ありえない種族のハイブリットや、特殊な血統を持つ彼らは、当たり前のように禁術や超能力を使うものもいるし、素の力だけで軍の小隊程度なら張り合える者もいる。

 だがシスターはそんな彼らの攻撃をものともしないどころか普段のマイペースを崩さずに避け続け、全員が疲弊しつくしたところで『今日は皆さん心の準備ができていないようなのでぇ、また明日きますねぇ。明日はとりあえず寝床の準備だけでもお願いしまぁす』などと言って、呆然とするオレたちを置いて出て行ってしまったのだ。その後、正気を取り戻した兄が慌てて追いかけた先には、玄関先の土間の上で幸せそうによだれを垂らしながら爆睡していたシスターであった。


 そんなわけのわからない話がシスターとの出会いであった。

 

「私はあれでも、結構驚いていたんですよぉ」

「いや、全然そう見えなかったんだけど」

「だって、あなた達なんの打ち合わせもなく私に襲い掛かってきましたよねぇ。あれは、ただ仲がいいというだけではできる芸当ではありません。互いの力を信頼し、認め合い、共に戦い続けたような仲ではないとまず不可能です。貴方たちは私が来る前から、家族の、いえそれ以上の絆で結ばれていたわけですからぁ。争いだらけの孤児院で育った私には、とても想像していなかったんです」

「…………あれは、サムにぃがいたから」

「ええ、サム・ウォーターズ君。できることなら彼にも会って家族になりたかったです」


 サム・ウォーターズ。その名前が出てこの場に沈黙が訪れる。

 当時、最年長でありこの孤児院で誰よりも信頼される頼れる兄であった。オレたちを取り巻いていたあの環境の中で、奇跡のような絆で結ばれていたのは彼のおかげである。それほどの人物であった。

 だが、その最後は大罪人として断頭台の上で幕を閉じた。魔法による安楽死すら存在するおいて、それがどんなことを意味するか知らない者はいない。


「彼の魂は安らかに眠っているでしょう。私はそう毎日祈っています。もちろん、ほかの子たちのことも」

「………」

「それに、彼の残したものは決して小さなものではありません。それはあなたたち家族が今も強い絆で結ばれていることで証明されています」

「…………話が見えてこないな。シスター、結局何が言いたいんだ」


 サム兄の名前が出てから、パンドラの箱を開いたかのように嫌な記憶が次々と浮かんでくる。これ以上、その話を続けるのは、精神衛生上、非常に望ましくない。湧き上がる負の感情を必死になって殺さなければ、すぐにでも吐血しかねないほど深刻なトラウマなのだ。

 話を逸らすためにシスターへ話の結論を急がせた。


「その絆は、時としてあなた達を苦しめることがあるということです。特に、あなたのような子がいるとですね」


 再び、シスターの瞳には真剣なものに戻った。


「イオちゃん。リーアちゃんにぃ、お友達ができたことは聞きましたよね」

「ああ、聞いたけど」

「その時は、どんな気持ちでしたか?」

「どんな気持ちって………」


 アリスと森に出かけた日の朝、リーアに聞いた友達ができたという、どんな子なのかとも、詳しいことを聞いたわけではない。ただ友達ができたというだけの話。

 リーアは昔から人見知りが強く、さらにはあまり口数の多いほうではない。その交友関係は孤児院に来て以来ずっと家族だけであった。だが、たまに一緒に外に出かけるとすれ違った同い年ほどの仲の良さそうな子供たちをじっと見つめていることがあった。見かねた兄弟たちが知り合いに頼んで同じくらいに子を紹介してもらったこともあったが、結局、リーアは他人と接することが苦手だということが分かっただけであったため、無理をさせずにゆっくりと時間を待とうということになっていた。

 そんなリーアが、友達ができたといったのだ。それを聞いた時の感情なんて一つである。


「………うれしかった」

「ええ、そうでしょうね」


 家族の中に、それを聞いてうれしくならない奴はいない。誰も彼もが自分のことのように喜ぶはずだ。シスターも、今は表情が厳しいが、そのことに関してはきっと一番喜んでくれていただろう。この人はそういう人なのだ。


「なら、もしも、です。リーアちゃんが、怪我をして帰って来たらどうしますか。それも、転んだでは済まない程の怪我で、彼女は、友達と遊んでいたらうっかり怪我をした、などと言っていたら、あなた達は、どんな気持ちになりますか?」


 もしも、の話だが、ぞっとした。

 リーアにもしそんなことが起きれば、身を切られるよりも痛い。きっと、安心させるために笑顔で手当てをして、頭をなでて、寝かしつけながら、腹の底から煮えたぎるモノと胸の内から湧き上がる感情と戦い、後で陰でそっと一人で涙を流してしまうかもしれない。

 仮定の話だというのに、想像するだけで見頭が熱くなり始めている。


「さらに、もしも、の話です。それはリーアちゃんだけの話ですか?」


 静かに首を横に振った。きっと、家族の誰の身に起こっても同じことをするだろう。


「それは、あなただけのことですか?」


 もう一度首を振った。きっと一人ひとりすることは違うだろうが、その胸の内は変わらないはずだ。


「そこまでわかっているのなら、何故、こんな話になっているのか、わかりませんか?」


 少し考えた。だが、思い当たる節がない。

 首を、横に振った。


「………………はぁ……重症ですねぇ。ごめんないさい、イオちゃん、お母さんはあなたの事を深刻なほど見誤っていました」


 シスターの瞳から、静かに涙が零れ落ちていった。そして、突然のことに呆然とするオレをそっと胸元に抱き寄せた。頭をその胸に優しく包み込み静かに髪をなでながら話を続ける。


「よく聞いてください、イオちゃん。あなたたち家族は、みんなほかの子の苦痛を自分の事のように受け止められる優しい子です。そして、その中にはちゃんとあなたもいるんですよぉ。あなたの痛みはちゃんと他の子たちにも伝染してしまうんです。なのに、あなたは痛みに慣れてしまいましたね。その原因はアリスちゃんではないことは知っています。でも、今の孤児院の子供たちの中には、もうそれを知らない子のほうが多くなってしまいました。

 あなたにとってアリスちゃんがどんな存在なのか、私は知っています。彼女は私にもできなかったことをあなたに、そしてあなたたちに施してくれました。ですがねイオちゃん、それを知っている子ですらあなたが傷つく姿を見るのは耐え難いのです。

 あなたが彼女と帰ってくるたび、肉が裂け、血を流し、骨を折っているその姿を見るたびに、彼らはその痛みをあなた以上に味わっているのですよ。たとえあなたが幾万もの針でできた山を笑顔で登頂できるほど、痛みに慣れ親しんでしまっていたとしても、それは、変わらないのです。

 ごめんなさい。あなたがそれほどまでに壊れてしまう前に、助けに来てあげられなくてごめんなさい。

 そしてお願いです。あなたがきちんと自分のことを大切にできるようになるまで、アリスちゃんには会わないでください、お願いです」


 そう言い切ったシスターは、いつの間にか震えていた。

 オレの長い髪に、途切れずに涙のしずくが伝っていく。


 そしてその後、あの夜、孤児院で何が起きたかをシスターは語り、しばらくしてから医務室を出ていった。愁いを帯びたその背中を、オレは呆然とした表情で見送った。


 静寂に包まれた医務室に、リーアの規則正しい寝息だけが聞こえていた。

 その表情を見ながら、シスターに言われた言葉を思い出し、これからどうするべきなのかを思い悩んでいた。


『……その子のために泣けるのに、その子があなたのために泣かないはずがないじゃない』


 ふと、何故かそんな言葉が頭をよぎった。

 この言葉を放った誰かは、いったいどんな思いで言い放ったのだろうか。


 

 知らず知らずのうちに、最も傷つけたくない人たちを傷つけていたらしい。きっと今のままでは、同じことを繰り返してしまうだろうことは分かっている。



 それでも、オレは――――。


 

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