第十六話「何よりも怖いもの」
夕日はすでに沈みかけていた。
森の中は暗さを増し、迷い込んだものを閉じ込めようとする。
アリスはそんな森の中を馬をも軽く凌駕する速度で走り続けていた。
足元などろくに見えないうえに、手元にはイオを抱えている。
整備されていない森の中は無造作に立ち並ぶ木々のせいで、走ることには適さない。
だが、アリスには走らなければならない理由があった。
一つは今抱えているイオが未だに意識を取り戻さないこと。
先ほどまで大けがを負い出血がひどかったが、奇跡的になんとか傷を塞ぐことはできた。
しかし、いまだ意識が戻らないことを考えると傷以外にも何か重大な損傷を負っているかもしれない。
アリスには医療の知識はないため魔法による応急手当しかできない。だが、孤児院まで戻れば治療にたけたシスターや、回復魔法の天才のリーアがいる。
とにかく手遅れになる前に早く彼女らに見ている必要がある。
そしてもう一つは――――
(なにか……ついてきているのです)
先ほどからアリスは異様な存在を感じ取っていた。
イオを抱えて走り出してすぐに、何かがついてきていることには気づいたがどこにも見当たらない。
それも、森の中で音一つ立てず、常に一定の距離を保ちながらついてきている。
森の中が暗いことを差し引いても、常人を卓越する勇者の視力にかからない時点でただものではなかった。
(とにかく、まずは森を抜けなくてはならないのです)
その存在が異常であれど対処ができない以上、アリスは足を止める時間などない。
同じ速度でついてきてなお、姿を見つけらないのならこの場所は完全に相手のホーム。敵の狩場で応戦するほど余裕のある状況ではない。
それに森を抜ければここよりは発見しやすい。姿さえ確認できれば後はいくらでも対処は可能だ。
どんな存在であれ、今は危害を加えられる前に逃げ切ればいい。
そう思いアリスは走り続けようとしたとき、それは突如として牙をむいた。
アリスの足に何かがまとわりつく。
突如として足元をすくわれたアリスはその勢いのまま前のめりに倒れてしまう。
倒れる途中で何とか身体を横に傾けイオに対する衝撃を緩和するが、そこでようやくアリスは追ってきていた者の正体を知った。
アリスの影から獣の頭がはい出してきていた。
それは腕から上の部分だけが地上に出ているようで、まるでモグラのような格好であった。
だが、その姿はモグラでなく、漆黒の毛皮に覆われており、長い顔と口に並んだ鋭い臼歯とそこから漂う鼻につく獣臭さはそれが獰猛な肉食獣であることを物語っていた。
魔獣『シャドウウルフ』
狼が魔獣化した際に稀に発生するユニーク種である。
彼らはどういう原理かわからないが影に溶ける。
影に入り込む彼らを見つけるのは困難なため、人の影に溶け込んでは家の中で姿を現し一家全員皆殺しにするという事件が多発し、第一級特殊危険種に指定されていた。
魔狼はアリスの影に潜んで上半身だけを現し、そのノコギリのような歯はアリスの右足を深く抉っていた。
「いたいっ!いたいのです!」
アリスは身をよじり、足をばたつかせて振り払おうとするが、魔狼はさらに牙に力を込め状態が悪化する。
このまま噛み千切らんばかりに喰いつかれ、たまらないとばかりにアリスは手刀で振り払う。
手刀は魔狼に命中したが、切り裂かれた瞬間、まるで水風船が割れたかのように、輪郭を失い黒い水のような影となって飛び散る。
影が宙を舞う異常な現象。飛び散った影は重力に従い土にこぼした水のように消えていく。
(足の治療を……いや、それよりも――)
アリスは必死になって近くのイオを抱き寄せた。
そのまま、イオを自分の上に乗せ庇うように地面と距離を取らせる。
その瞬間、地面から飛び出した魔狼の牙がアリスの脇腹に喰らいつく。
「いっ――、あ―ああ…あぁっっ」
痛みに一瞬体の硬直したアリスであったが、声にならない悲鳴を叫びながら狼の頭に向かって肘を振り落とした。
ビシャリ、と音を立てて狼の身体は再び溶解し飛散する。
アリスは、その勢いのまま肘を地面にたたきつける。
その反動を利用して、体を回転させイオの上に乗り、全力で地面をけった。
噛みつかれた右足に激痛が走り泣きそうになるが、歯を食いしばって耐える。
アリスの身体がイオを伴い空中に高く飛翔する。そのまま近くの枝を掴みぶら下がった。
右手で枝を掴み、左手でイオを洗濯物のようにぶら下げ、アリスは空を見上げた。
森の中、頭上は葉に覆われ空は包み隠されていたが、その隙間からはほんの薄っすらと夕日の光がこぼれだしている。どうやら日はまだ完全に沈み切っていないらしい。
もし完全に沈み切れば、夜は魔狼のフィールドだ。そうなれば、イオを抱えたまま逃げ切れるとは思えない。
早急に森から脱出する必要があった。
そのために、アリスは思考を加速させた。
(魔狼は影に溶け込む、おそらくその存在そのものが影に近いのです。先ほど感じ取った気配が14、そのうち12は倒して、数は最悪二体以上のはずなのです)
荒い息を整えながら、アリスは自分の身体に回復魔法をかける。
その効果は未だに跳ね上がっており、瞬く間に傷口がふさがっていく。
服に痛々しい血の跡を残したまま、怪我は跡形もなく完治する。
(何より、相手の居場所がわからないのが問題なのです。影さえなければ姿を現すはず、森を照らすには――)
アリスの脳内に現状を打破するための方法を浮かんでは消えていく。
魔法で照らすにしても、木々がつくる多く影は大量に残ってしまう。
頭上の葉を切り取ったところで小さな安全地帯ができるだけ、それもすぐに夜になって消えてしまう。
枝は高い位置にしかない。これをたどったところで魔狼も影を伝って登り追いかけてくるであろう。立体的に動かなければならないぶん、スピードが落ちる。それならまだ地べたを走ったほうが早い。
いっそ根こそぎ木々を伐採してやろうか?それともすべて燃えてしまえばきっと影なんて残らない。狼もいい具合に燻製されるはずだ。
アリスの思考が危険な方向に進み始めた時にふと思い出した。
母曰く――
「『もし、どうしようもなくピンチに陥ったら、とりあえずなんでもいいから爆発させなさい』だったのです‼」
それはさらに危険な方向に考えをマッハに突っ切る、とても親が子供に教えることとは思えないものであった。
もし、ここでイオが起きていたのなら全力で止めていたであろうし、『止めろ!今すぐ考え直せ、そして忘れろ!』と叫んでいたに違いなかった。
だが、悲しいかな。
イオは気絶していた。つまりこの場にアリスを止める事のできるものは誰一人としていなかった。
そしてアリスはまるで神から回答を得たかのように、輝くような笑顔で魔法を唱えた。
「『ライト・エキスプロージョン』……あれ?」
手始めに軽い爆発から起こそうとしたアリスであったが、思いもよらぬ事態に直面した。
発動した魔法は、一般的にもよく知られているような中級の凡庸魔法。
その程度のもの、普段なら寝ぼけていてもまともに発動できるのだが今回は異常が起きた。
魔法は使用者が注意を怠ると暴走することがある。
その場合起こる事態は、魔力だけをごっそり持っていかれたり、効果が何度も連続して発生したり、なぜか全く別の魔法が発現したりとさまざまであるが、最も恐ろしいのは時として使用者を巻き込みかねない爆発と呼ばれる事態である。
爆発、つまり魔法がはじけ飛ぶような状態のこと。発動した魔法の何段階も上の効果が発動したり、文字通り意味もなく爆発したりする。
今回起こった現象はまさしく爆発であった。
軽い爆発魔法が爆発して、間違っても気軽に使っていいようなレベルでないほどまでに状態が跳ね上がっていた。
お手軽魔法が、神話的戦略兵器級の大魔方陣を組み始めた時点で事態を察したアリスは早急に対処に移った。
「『プロテクト・インパクト』」
枝を掴んでいた手を放し空中でイオを抱きしめ全力で二人に耐衝撃の魔法を張る。
その魔法もなぜか暴走し、全く知らない防御魔法が完成したが衝撃にも耐性がありさらにその効果もはるかに高レベルになっていた。着地の衝撃をも無効化しアリスとイオは無事に地に舞い戻る。
そのことから、事態の状況に一定の推測を付けたアリスは全く別の魔法も発動する。
「『二重詠唱・絶対不可侵ノ境界線』」
境界線を張る魔法に、その線から侵入不可能になる効果を付加する。
本来なら複数の人数による位置の指標を用いて安定させた状態で行う安全地帯を作るための魔法である。
上級魔法の組み合わせである上に、本来なら複数人で協力して発動しないと安定しないため境界に穴が開いたり、途中で途切れたりして効果に期待できなくなるのだが、これすらも暴走しアリスのイメージ通りの線を描き結界が張られる。
二重詠唱によって描かれた二つの線は互いに円を描き、大きな円の内側に小さな円が描かれ、穴の小さな巨大ドーナツのような形をとる。そのドーナツの穴の中にはアリスとイオがいた。
外側の線は内側からの越境しようとするものを阻み、内側の線は外側から来るものを阻んだ。
そして、境界線が完成したと同時に頭上付近にあった大魔方陣が完成し発動する。
世界が白熱に包まれた。
その光景は地獄業火すら生温いといわんばかりの熱を持った白。境界の向こう側で、世界は白に溶かされ無へと帰る。
太陽が落ちてきたといわんばかりの閃光の炸裂。そして、強すぎるその光は、容赦なくアリスの網膜を焼いた。
「むをぉぉぉ!目が!目があああ‼」
アリスはどこぞの大佐と同じような叫び声をあげながら、両目を抑え転げまわっていた。
イオは気絶していたことが幸いして、目を焼くことがなかった。
発動した魔法は、境界線の間で爆音と光の柱を立てた。
外から見れば、まるで太陽が柱となって出現したとしか思えない光景であった。
境界は本来安全地帯作成のための魔法であるため、柱が内にはらんだ熱、衝撃、爆音などは通さないが、外側の光景は観察できるように通すようにできている。
故に、遮断されなかった光は世界を照らしつくし、夜の帳を溶かして一時的に昼より明るい何かを引きずり出した。
白に染まった世界は影の存在すら許さない。
絶対的な光の前ではシャドウウルフは生存不可能であった。
アリスが目を抑えてのたうち回っている間に影は溶かされ、跡形もなくなった。
「も……もう、終わったので…目があああ」
魔法の効果が着れたか確認するために目を開け、また眼を焼かれる。
このようなことを後二、三回繰り返したのちようやく、世界は夜を取り戻す。
だが、光景は夜のとばりで夜色に染めなおされても戻らないものがあった。
アリスたちがいた場所を残し、大地が奈落の底を示すがごとく深くえぐれていた。
アリスはそれを真顔で眺めている。
「だ、大丈夫。一発だけなら誤射かもしれないっておかあさまは言っていたのです。のーかうんと、とかイオりんも言っていたのです」
はたしてそうだろうか。
イオはいまだに目を覚まさないが、何故か『その一発が核爆弾だから終わってんだよ!早く元に戻せ!出来るよな、出来だろ、出来れよ』という声が聞こえる。
きっと幻聴だと判断したアリスは無視して次の問題の解決に移る。
アリスを中心に約半径200メートルが文字通り跡形もなく消滅した。広大な森の中にポッカリと空いた穴はまるで新たなダンジョンが発生したかのような有様であった。
穴の底は、世界の中心にも届きそうなほど深く底が見えない。
「『クリエイト・ライトボール』」
アリスは眼を閉じたまま、小さな光球を作成する。
薄っすらと目を開けて確認すると、やはり暴走しているのか、先ほどの光並みに世界を照らしていた。
アリスはそれを穴の中に落とした。
太陽に負けないほどの光を発する球はみるみる奈落の淵に吸い込まれていくが、魔力が切れて光が消えるまで落ち続けた。
照らされた光でも穴の底が見えない。いったいどれほど深くまで大地がえぐれたのかはわからない。
だが、一つ朗報もあった。
「あ、街があったのです」
消滅した森の向こう側に、小さな街灯り見えた。
夜空を背景に、優しく光る街はどこか幻想的な光景を醸し出している。
「『ライトニング・ワークス』さあ、早く帰るのですよ、イオりん」
案の定、暴走して強化されたアリスの身体能力はイオを担いでなお、300メートルを余裕で飛び越えた。
普段生じる電撃も、着地の際の衝撃も、今は魔法により耐性が付きイオは一切ダメージを追わなかった。
まるでウサギがジャンプするような感覚で、だが、傍から見ると砲弾が発射されたように飛び跳ねたアリスは、着地と同時に弾丸のようなスピードで街へと向かうのであった。
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アリスが街にたどり着いたときそこは外から見た華やかさとは裏腹に、混沌と化していた。
アリスの魔法で発動した光の柱は余裕で街からも」見えていた。
人々が慌ただしく走り回り、あちらこちらで騒ぎ声や泣き声声が飛び交い、路上の中心で祈るものまで出てきていた。
「おい!なんださっきの光は」
「神がお怒りである。皆のもの祈りを」
「違う!終末の前兆だ。世界が終わるんだ。やっぱりあの予言は正しかったんだ!」
「嘘つけ!先月は黙示禄で滅びる、先々月はラグナロクだ、とか言ってて結局滅びなかったじゃないか、いい加減にしろ!」
「UFOだ!やっぱり宇宙人は実在したんだ」
「免罪符〜、終末に向けて免罪符はいりませんか〜。これを買えばあなたの来世は超絶美人のオトコの娘」
「マジかよ、買うわ。でもお高いんでしょう?」
「ついに始まったか、やれやれ俺の隠された力が――」
「俺、明日から仕事探すわ」
「聞いたぞ、くそニート。明日から家で週8で働いてもらうぞ」
街の住民はたくましかった。
そんな彼らには目もくれずアリスは孤児院へと急ぐ。
時折、アリスに気づいて血まみれのその姿にぎょっとする人間もいたが彼らのかける声も無視して突き進んだ。
街道を駆け抜け、丘を登り切り、アリスはようやく孤児院へとたどり着いた。
孤児院は教会も兼ねている。
そこには、先ほどの光景を見て混乱した住民が押し寄せていた。
なかからは騒がしい声に負けないぐらい、シスターの声が響いていた。
どうにも、不安になって押し寄せた住人たちの対応に追われすぎてアリスに気づきそうにない。
普段は、滅多に人の来ない聖堂は人であふれかえり、とても入れるような状態じゃなかった。
アリスは仕方なく教会の裏口から入ることにした。
とにかくまずは、イオを医務室に放り込んで、それからシスターを連れてこればいい。
そう考え、裏口に回るために井戸の前を通った時であった。
「ん、アリス?」
建物の角からアリスを知る人が現れた。
「あ、メランコリー」
「メラよ!いい加減その変なあだ名止めなさい!」
名前を訂正しつつ、言葉を返したのは孤児院ではイオの次に年長組に当たるメラであった。
夜だというのにその色がはっきりとわかるほど、炎のように鮮やかな紅い髪と目を持ち、いつも強気な表情をしている女の子である。
「そんなことより大変なのですメランコリック!イオりんが!」
「若干変えてもだめ!普通にメラと呼びなさい。じゃなくて、イオがどうしたの!」
ここにきてメラはようやくアリスの背にいるイオが普通の状態じゃないことに気づいた。
アリスは、イオの状態とそうなった経緯を手短に話す。
「ええっと……つまり狼に襲われて、傷は塞がったけど意識がない、と?」
「はい……だから、シスターさんに――」
だが、そこから先の言葉はメラの耳には入っていないようであった。
彼女は、途中からうつむいて左の親指の爪を噛み考え事をしていた。
そして、爪が砕ける音が響くと、口元から爪先が噛みとられた指を放しメラは顔をあげた。
「面倒な時に……でも好都合だった?まあいいわ。事情は把握したわ、イオのことは後はこちらで対応する。あなたは今すぐ帰って頂戴。そしてしばらくの間ここには来ないで」
その言葉に、アリスは豆をくらった鳩のような顔になる。
ここに来るな。
つまりそれは、アリスにとってイオに会うなという意味を含んでいた。
アリスはその言葉の真意を確かめようとしたがそれより早くメラの言葉が続いた。
「出来ればそこの岡を飛び降りて!理由を話している時間はないわ。とにかく院の誰にも見つからないように――」
「聞こえてるよ、メラ姉さん」
だが、その言葉を遮る人影が表れた。
「パルゥ、あんたシスターの手伝いをしていたはずじゃ?」
表れたのは、年長組の一人パルゥであった。
彼は月明りで不気味に反射するメガネを抑えながらアリスたちを鋭くにらんでいた。
「こいつらがイオ兄さんを背負ってアリスがきたことを教えてくれたんだよ」
そういうパルゥの後ろにはまだ小さい弟妹達が並んでいた。
「何してるのあなたたち!今どんなに忙しいことになっているか知っているでしょう。今すぐ母さんの所に戻りなさい」
メラはにらみをきかせて彼らを追い払おうとした。
普段は、彼女がその表情をするだけで怒られると勘違いした弟妹達は泣き出したりする。
だが、いまこの場にいる幼い弟妹達は誰一人泣き出すどころか、むしろ迎え撃つような表情をしていた。
「姉さん、わかっていると思うけど誰一人逃げないよ。他でもない、イオ兄さんのためなんだ。誰一人、逃げるわけがないだろう」
そういうパルゥの視線はアリスを射抜くように見ていた。
それに気おされ、アリスは後ろに小さく後ずさった。
メラは忌々しそうな表情でパルゥをにらみ返す。
「パルゥ、トモシオが見えないけど?」
「ああ、トモシオ兄さんなら母さんの手伝いをしてもらってるよ。流石に人が溢れる聖堂の中に母さんだけを残すのもいけないと思って」
「嘘ね、あんたに都合のいい奴だけを集めたでしょう!」
「いやだなぁ。偶然トモシオ兄さんが残っただけだってば」
「そんなわけないでしょう!大体あんたはそいつがイオにとって――」
「知っているさ!だが、流石にもうみんな限界なんだよ!――」
言い争いを始めたメラとパルゥをアリスは横から見ていた。
彼らの口論は互いに譲れないものを示すように段々と白熱していった。
状況に気おされ、徐々にこの場から後ずさりつつあったアリスであったが、ふと気づいた。
未だ言い争っている二人を除いた、この場にいるイオの弟妹達がずっとアリスをにらみ続けていることを。
それに気づいたとき、アリスの身体はまるで蛇ににらまれたカエルのように固まった。
そして彼らの視線で、アリスはなぜこの場にパルゥがやってきたのかを悟る。
彼らの視線に込められたもの、悪意なき敵意。
アリスはその意味を知っている。彼らは――を見るように自分を見ている。
古い記憶が、アリスの脳内をよぎる。
たくさんの子供がアリスを囲み、ずっとにらみ続けていた。
彼らの視線には好意などない。ただあるのは何か恐ろしいものに対する怯えと、それに立ち向かおうとするための勇気。
彼らは、口々に様々な単語を吐く。全く文字も発音も異なるそれらの言葉だが、その全てがアリスのことを指していた。
脳で勝手に再生されるその言葉を打ち消すかのように、先ほどから耳鳴りが止まらない。
左手で痛くなるほど髪を掴んで頭を抑える。太陽のように美しい金髪が何本か音を立てて千切れるがそれでもかつての光景は容赦なくアリスの中で再生され続ける。
光景の中で子供たちはアリスに向かって石を投げ始める。
子供たちは勇敢にもアリスに立ち向かったのだ。何倍もの力を持つものにかなうことはないのに立ち向かうその姿は、まるで勇者のようではないだろうか。
そして、勇者に囲まれるアリスはまるで――
その時、誰かがアリスの肩に触れた。
「ヒッ!」
アリスは小さな悲鳴を上げ相手を見る。
「……(ジーー)」
そこには、左右非対称の色をした目がアリスを見つめていた。
左右で全く違う宝石を埋め込まれたようなオッドアイ持ち主は孤児院の末っ子リーアであった。
彼女は何を思っているのか、ただひたすらにアリスを見続けていた。ただ、その眼には未だ言い争っている弟妹達と違い敵意はない。
たっぷりとアリスをのぞき込み、そしてようやく口を開いた。
「……にぃに」
「え?」
「……にぃに、治療する。……だから、ちょうだい」
そういうと、リーアは両手精一杯伸ばしてアリスに向けた。
アリスは、背中にイオが乗っていたことを思い出す。イオは、治療が必要だった。そしてリーアは回復魔法のエキスパートである。
「………早く」
だが、アリスは動けなかった。
イオには早くちゃんとした治療を受けさせなければならない。リーアに渡せばあとは、彼女がイオを何の問題なく目覚めさせてくれるはずである。
だが、アリスはイオを渡すことができなかった。
イオの弟妹達は未だにアリスをにらみ続けていた。
その視線は痛いほどアリスを貫き、それは脳裏によぎった過去の光景と全く一緒である。
この場でイオを失えばきっとアリスは――になってしまう。
魔王を倒すはずの勇敢なはずの勇者は、今この場で背中で気絶している少年以外に縋るものがなかったのである。
「……む」
「あっ!」
だが、じれったいと思ったのだろう。
リーアはアリスの後ろに回り込み、その小さな見た目からは想像できないくらいの怪力で彼女の背中からイオを引っぺがした。そのまま彼を担ぎ上げ孤児院の医務室へと消えていった。
身体にうまく力が入らなかったアリスはなすすべなくイオを奪われとうとう一人になってしまう。
後に、アリスを囲む弟妹達だけが残った。
「さて、待たせてしまって申し訳ありません、アリスさん。それと、お見苦しいところを見せてしまいました」
囲む弟妹達をわって、パルゥが表れた。
先ほどまで言い争っていた近くで、メラが壁を背にして寝息を立てていた。どうやら魔法で無理やり意識を奪ったらしい。
そして、パルゥは眼鏡の位置を調整しなおし、改めてアリスに向き合って宣言する。
「待たせておいてなんですが、もう少しだけ時間をいただきます。なに、少しだけ話をさせていただきたいだけです。今後のことと、私たちがあなたに対して思っていることを聴いてほしいだけです」
今日一日で、たくさん恐ろしいものを見たが、旧魔王よりも、肉塊よりも、魔狼よりも、今は目の前のパルゥのほうが恐ろしく感じた。
いつの間にか夕日は沈み切っていた。
人々が押し寄せ騒がしい教会の片隅で、彼らは静かに言葉を紡ぎ始める。
そして数分後、人ごみに紛れてアリスは死人のような足取りで孤児院を後にした。
お久しぶりです。
就職したり、車に衝突されたり、仲の良かった友人が仕事で遠くまで飛ばされることになったりしましたが私は元気です(白目涙目




