第十話「最も恐れていたこと」
よく見慣れた背中。
決して大きくはなく、なのにいつも元気いっぱいで、金色の長い髪が明るく輝いて…
そんな背中の真ん中に、何か見慣れないものが突き出している。
その銀色のものは少しずつ伸びてきて止まったかと思うと、根元の部分から赤いものが溢れ出してきた。
「驚いた。まだ動けたの?」
「イオりんは…アリスが…守るのです」
静かに小さくなっていく銀色の針は、アリスの背中に徐々に広がる赤いシミだけを残しなくなった。
そしてその背中は、力無く、ゆっくりとこちら側に倒れこむ。
「…イオりん?…大丈夫ですか?…怪我はないですか?」
オレを巻き込んで倒れこんだアリスは何度も聞いたことのある言葉を、弱々しくかけてくる。
なのにオレはその言葉がよく理解できないでいた。
ただ、いつの間にか体は動けるようになっていたので、座り込んでいるオレに倒れ掛かっているアリスの顔を覗き込んだ。
その顔は、胸を貫かれているというのに痛みよりも先にオレを案じていてーー
「あ、ああ…」
「…無事で…よかったのです」
ただただ、オレが怪我をしていなかったことだけを喜んでいてーー
「なに、やってんだよ」
「決まってるじゃないですか…"約束"、守ったのです」
ーーそして、命の灯火が消えかかっていることを表していた。
「なん、で?約束?そんなお前が勝手に押し付けたようなもの…それに、だとしても十分果たしてくれたじゃねえか?お前が…死んだら、オレは…」
「………」
「おい、なんか…言えよ」
「…………」
「なんとか言ってくれよ‼︎勇者だろ‼︎魔王を倒すんだろ‼︎こんなところで死ぬわけないだろ⁉︎なあおい‼︎」
「……」
オレの言葉に沈黙で返すアリス。それは今、アリスが既にどんな状態なのかを黙示していた。
「心臓を貫いた。一瞬で殺すために魔力も込めていた。なのにしばらく生きていたのは勇者だからかしら?」
「……」
紫陰の冷酷な言葉が、認めたくない現実をいやでも突きつけてくる。
「どう…して…」
「どうして?あなたはわかっているはずよ。どうしてこうなったのかを」
「巫山戯るなよ…アリスは…アリスだけは助けてくれるって…」
「そうね。でも、あなたが死ぬことになった結果、こうなった。それがなぜだかわからないはずがないでしょう」
「何故かって…」
「…これはあなたが招いた惨状。あなたの弱さが招いた事」
「………」
いつの間にか静かに冷たくなっていくアリスを抱きしめていた。なのに、アリスの身体はどんどん冷たくなってーー
「理解したくないなら、教えてあげる」
ーートクトクと元気のいい心音は、もう、聞こえなかった。
「これはあなたが招いた、あなたが最も恐れていた事態。きっと私がやらなくても、いずれはこうなっていた。それはあなたもわかっていたはずだ。あなたが弱いから。それなのに不釣り合いの力を持っていたから。あなたのその力は、あなたの意思に関係なく不幸を招く。人は皆、己の力に見合った不幸を払うために力をつける。でもあなたを襲う不幸は大きすぎた。そしてあなたはそれに立ち向かうのでは無く逃げた。現実から逃げた。助けてくれる人に逃げた。その結果、弱い人間が一人出来上がった。それは例えあなたが望んでそうなったわけで無くても、その事実は否応なしに不幸を招きあなたを襲う。あなたを助けるのはいつもあなたを愛してくれる誰かで、傷つくのはあなたでも、消えていくのはいつもあなたを愛してくれる人」
「うる…さい…」
「現に今その子が死んだ。それはあなたが弱かった結果。きっとその子はあなたを守ってくれていたんでしょう?でも、そんな事をしていればいつかその子は殺される。あなたはそれがわかっていたはず。だからあなたは逃げた。逃げて逃げて、逃げ続けた。そして、さっきもあなたは逃げた。己の死に逃げようとした。あなたはその子を助けるためだけではない。本当は逃げるために死ぬ事を選んだ。ヒーロー気取りの馬鹿げた死の方がよっぽどマシな死に方だ。本当にあの時、あなたがやらなければいけなかった事はーー」
「黙れーーーーー‼︎‼︎」
オレは紫陰を睨む。
紫陰の表情は厳しく、でも何かをあきらめるかのようにこちらを覗いていた。
「お前に、お前になにがわかる⁉︎欲しくもない、使えもしないギフトを渡されて‼︎この容姿だ、この力だ、なにがチートだ⁉︎何一つろくな事はありはしない‼︎おかげでどんな目に会い続けてきたかそれがわかるのか⁉︎それでも生きていかなきゃいけないオレの人生のなにがわかるものか‼︎それなのに簡単に戦えと言ってくれたな‼︎じゃあお前がやってみろ‼︎何度もさらわれかけて、何度も殺されかけて、それでもお前は逃げないと言えるのか⁉︎」
「そう?私なら逃げない」
「言うだけなら簡単だよ‼︎このチーターが‼︎どうせお前も魔王のギフトか何かで楽に生きてきたんだろ‼︎オレだってお前みたいに力欲しかった‼︎ただ普通に生きていけるだけの力が欲しかった!でも、たったそれだけの力さえオレにはなにもないんだよ‼︎そんな現実からお前だって逃げないわけがーー」
「逃げない。私は逃げなかった」
ーーは?
「何一つ、力を持っていなかった。だけど、何からも逃げなかった。迷宮に迷い込んだ時も、母が攫われた時も、あのクソみたいな戦争の時も、神に襲われた時も、吸血姫と敵国に乗り込んだ時も、腐食姫を止めるための戦いも…私はただの一度も逃げずに戦い抜いた。この力はギフトなんかじゃない。全て己で身につけた力。私は、あなたよりもずっと過酷な現実を勝ち抜いてきた」
…………。
「だから、あなたが戦わなかった事を私は軽蔑する。あなたが本当にしなければいけなかった事、それはどんなに辛くとも、醜くとも最後まで戦う事だ」
「……は…ははは」
紫陰が何を言っているかはほとんどよくわからない。
そして、自分も何を言っていたのかも、よくわかっていなかった。
「あなたは本当はわかっていたはずだーー」
いや、きっと分からなかったのではない。
理解しようとしていなかっただけだ。
ずっと、目を背け続けてきたことを全て言い当てられていたのだから。
「いずれは、こうなる事をーー」
ただ、いつも、何の前触れも無く、襲いかかってくる理不尽な現実。
きっと起こってしまう事だけど、今ではない、もっと先だと逃げ続けてきた。
「だから、あなたはいつか死ぬ気だったんでしょうーー」
それを、たったさっき会ったばかりのやつに、次から次へと見透かされている。
「誰かが死ぬ前に、あなたが死ぬ事を選ぶつもりだったーー」
正確に、心の底に隠していた諦観のような思い。
誰にも伝えず、密かに己自身で終えるつもりだったその思い。
「そうして、最後まで逃げるつもりだったーー」
それらを捉えて容赦無く正確に突きつけられた紫陰の言葉はーー
「だからこれは、最後まで、戦わなかったあなたが招いた最悪の結末だ」
寸前のところで保っていた精神を、容赦無く崩壊させた。
「はは…あははは……はははははははははははは」
「…………」
「ああ、そうさ、きっとそうなんだろ?あってるよ‼︎お前は何一つ間違ってはいないさ‼︎」
「…………」
「いつかこうなるはずだったんだ‼︎こんなオレを、アリスは最後まで守ろうとしてくれる。でもそんなことさせ続けてたらいつかアリスは死ぬ。現に今死んだ!逃げようとしたオレを庇って死んだ!こうなる前に…こうならないようにオレはもっと早く死んでおくべきだったんだ‼︎それができないならせめて自衛できるだけの力がなきゃいけない。そんなことわかってた‼︎だけどオレは何もしなかったよ。ただただアリスに甘えて守られて、それで平和になっていた気になっていた、そんなバカなオレが招いた最低の不幸だ‼︎そうだよ!悪いのはオレだ!中途半端に生きてきたオレの所為なんだよ‼︎」
「…………」
「……でもなあ、オレがどんなに逃げようと、オレにどんなに落ち度があろうと、どんなにオレが間違っていようと……アリスを殺したのはお前だろう?」
「…………」
「いつだってそうだ‼︎お前らは、悪意を持っていつもオレの大切なものを奪っていく‼︎そのくせにさらに知ったかぶって上から説教か?笑わせるな‼︎お前らさえいなければオレは何も失わなかったんだ‼︎逃げる必要も無くて、ただ静かに暮らせていたんだよ‼︎」
「…そうね。でも、それはただのーー」
「うるさい‼︎黙れ‼︎この殺人鬼め!ようやく掴んだオレの日常をよくも、よくも粉々にぶち壊してくれたな‼︎死ね、死ね、死ね!死ね‼︎死ねっ‼︎死ねーー‼︎あのクソ神父も、異端審問会の連中も、強姦魔どもも、奴隷商人も、盗賊団も、裏ギルドの連中も、騎士団も、アリスやオレの家族に賞金をかけてやがるクズな連中も、こんないらない力をくれやがったあのクソ神もーーーーー」
その言葉を最後に、スマホからコンパクトナイフを取り出しーー
「ーーーお前も、死ね」
ーーー己の心臓を突き刺して、首を描き切った。
〜〜〜
紫陰はただ見ていた。
狂ったように笑い出し、最後は心の奥底に溜まった怨念の言葉を吐きながら、己の心臓を突き刺し喉を切り裂いて、金色の少女を守るように倒れた少年を。
彼の怒りを表すような深紅の液体は、静かに床に静かに広がっていき、少年の最後が近い事を示している。
「…やっぱり、あなたには白紙の運命は重すぎた。現実にさえ抗わないあなたが運命になど……」
それだけ言うと、紫陰はポケットから四角い板のようなものを取り出した。
それは、少年が持っていたものとは別の、紫陰のスマートフォン。
そして、少ない連絡先の中からある名前を探していた。
(……⁉︎)
しかし、その動作は中断される。なぜなら、いま、この場に明らかな異常が起こったからだ。
(魔力濃度が…濃すぎる⁉︎)
明らかにおかしな異常ーーそれは異常なまでに濃密になっていく空気中の魔力。そのレベルは紫陰の記憶では神域と呼ばれる神の住む異次元ですら薄く感じるほどの濃密さであった。そして、考えられる原因はただ一つ。
「なるほど、それがあなたの切り札というわけ」
目の前の、心臓と首を突き刺して自害した少年。
ただまた逃げるために死んだと思っていた少年の最後の悪あがき。それは紫陰の予想もしていなかった誤算。
紫陰には、これと似たような状況に記憶があった。だが、あまりにも環境が違いすぎたため、考えもしなかったのだ。
異常なまでの魔力濃度の上昇。このレベルは紫陰の記憶では一度だけしかない。旧時代最後の戦争ーー神や天使、悪魔や王、姫と呼ばれる支配者や管理者たちが次から次へと死んでいくという地獄すら生ぬるい戦場の中で起こった高魔力濃度の災害。
それを、目の前の少年は心臓と喉を切り裂き、その身体の内側に走る魔力回路から直接魔力を漏出させるだけで、たった一人で起こしたのだ。
「永久機関とは話には聞いていたけど、これほどとは思ってもいなかった……あの人の話もたまには信じるべきかしらね…」
神が与えたギフト、それを利用した魔力の永久機関。そこから漏れ出した、超高純度の魔力は、急速にいくつもの『淀み』を生み、瞬く間にいくつもの『魔物』を創り上げていく。
(最低でも聖獣クラス…それをいともたやすく量産ときた)
次から次へと生まれる魔力の淀み、ありえないスピードで生まれてくる魔物の数々…
虫のような鎌脚を持つ狂犬のような物、大量の禍々しい口と目玉が不規則に付いているクリオネのような物、大籠とそこからその身体のほとんどがはみ出している肉食獣のような鳥……それらはまるで統一性は無い。
ただ何かを壊し尽くしたいという衝動を、捏ねて固めて形にしたようなモノ、それが魔物なのである。
生き物として生きていくための機能も性能も何も要らない。ただ見る者に恐怖を与え、ただ目の前で生きている者を殺しつくすために存在する異形ーーそれが魔物なのである。そこには悪意すら存在しない、ただ義務的に破壊をし続ける。
故に生まれたての魔物が最初に破壊の標的に選んだ者、それは目の前に立つ紫陰ではなくーー
「ーー⁉︎させない!」
自分たちの生みの親であり、既に骸になりつつある、最も近くにいたイオであった。
蟲と犬を足したような魔物が脚の鎌をイオの身体を八つ裂きにしようと振り下ろす。
その瞬間、紫陰は魔物の"目の前"に立っていた。紫陰は左手で持っていたピックを逆手に持ち鎌を受け止め、右手にもう一本のピックを持ち魔物に突き刺した。
そして、刺された魔物は微動だにしなくなる。それはまるで、時間が止まったかのようにーー
「やっぱり、今度は人形に行かせないで正解だった」
しかし、次の瞬間には他の魔物が紫陰に目がけて一斉に攻撃してくる。
だが、魔物たちの猛攻は空を切る。なぜなら先ほどまでそこにいた紫陰は、何故かもう既に魔物の達から離れた廊下の先にいたからだ。
そして、紫陰の足元にはイオとアリスの身体が横たわっていた。
魔物は離れた場所で立っている紫陰を見つけると一直線に向かってきたり、攻撃を飛ばしてきたりしている。
紫陰はそれを鬱陶しそうに一瞥すると手を伸ばし、
「「「*{%#*+・~%%⁉︎」」」
次の瞬間には魔物たちは一斉に動けなくなっていた。
「はぁ……全部切り裂くつもりでやったのに…後片付けが面倒ね」
紫陰は、目の前で動けなくなっている魔物と、その後ろから未だに次から次へと生まれてはこちらに向かってきて動けなくなっていく魔物の群れを見ながら呟いた。
そしてこの状況を創り出した足元の少年を見やる。
心臓と喉の傷口は既に縫い止めてあり、そこからはもう魔力は漏れてはいない。
少年はまだ微かに息があった。失血でその命の消えゆく中、閉じた瞳から静かに涙を流していた。
「……その子のために泣けるのに、その子があなたのために泣かないはずがないじゃない」
紫陰は静かに眠る少女に目を移し、その頬に流れた涙の跡を見ながら静かにつぶやいていた。
かなりの難産でした。
なんかだいぶん強引な感じになってしまって申し訳ない。




