杖持たぬ者ワムクライ
「魔術師殿!魔術師殿はいずこかっ!?」
天井に埋め込まれたステンドグラスから、色とりどりの柔らかな幻想的な光が降り注ぐ回廊に、初老の男性の言葉が木霊する。
男性の左肩から前後に垂らされた赤い布地には、王国付きの役職者のみに身につける事を許されている紋章 ─ ”剣に絡まる2匹の翼持つ蛇”が刺繍されている。
男性の名前はユキマエル。
大陸西方に位置する”魔法王国オルフェン”の大臣の一人であった。
剣と魔法が支配する大陸の中にあって、魔法を重視した特殊な国の一つであり、歴代の王も優秀な魔法使いがその座に着いてきた。
そんな魔法王国オルフェンに、ちょっとした問題が持ち上がったのは最近の事である。
「どうされた?そのような大声を出されて」
あたふたと回廊を走るユキマエルの背後から声をかけたのは、純銀製の軽装鎧を装備した兵士である。
「おお、クォークか・・・・・・魔術師殿が何処へ行かれたか知らぬか?」
「魔術師殿?・・・・・・アギナ翁の事か?」
顎に手を当てながらクォークは聞き返す。
「違う違う・・・・・・ワムクライ殿だ!貴君は知っておるのか?」
「ワムクライ殿?・・・・・・はて、”宮廷魔術師”はアギナ翁ではないのか?ワムクライ殿はまだ王国付き魔法使い【13使徒】のはず・・・・・・」
「先ほど会議でワムクライ殿の”宮廷魔術師”への昇格が提案されたのだ」
「それはまた急な話ではあるな・・・・・・ではアギナ翁は?」
「引退されるそうだ。今後は街の魔法学院の責任者として活動して頂く予定・・・・・・そんな事よりも今はワムクライ殿の居場所だ!」
顔を真っ赤にすると、今にも卒倒しそうな勢いでユキマエルはクォークに叫んだ。
「確か・・・・・・朝早く街に行かれたと聞いてるが・・・・・・」
「街・・・・・・街だな?よし、すぐに連れ戻してくれ。アギナ翁がお呼びなのだ」
「アギナ翁が?分かった・・・・・・すぐに手配する!」
ユキマエルにそう言い残すと、クォークは兵士の詰所に向かって走り出したのだった。
大陸の最西端にある魔法王国オルフェンの王都マーリンは、その海岸線に岸壁を利用した城壁がそそり立っており、街の中央部には内陸部から海へと向かってユロン川が流れている。
そのユロン川の海に向かって左側に、街最大の市場が存在していた。
「新鮮な野菜はどうだい?」
「今朝捕れたばかりの魚があるよ」
「珍しい布地はいかが」
活気に溢れた売り手の声が、市場に集まってきた人の群れを掻き分けていく。
人混みの中を颯爽と歩く黒衣姿が一つ・・・・・・
この国では珍しくもない典型的な魔法使いスタイルである。
唯一他と違っていたのは、その人物の手には魔法使いの証しともいえる杖が、握られていないという点であった。
杖はただの飾りではなく、自らの魔法を制御するために必要不可欠なものとされ、杖無しに魔法を発動させるということは魔法使いにとっては自殺行為にも等しい事であった。
では黒衣姿は魔法使いではないのか?
否、背中に刺繍された紋章 ─ 朱と金の糸で描かれた”剣に絡まる2匹の翼持つ蛇”は、この国に住む全ての魔法使いの憧れ【13使徒】と呼ばれる王国付き魔法使いの証明である。
「・・・・・・殿・・・・・・ワムクライ殿!」
その黒衣姿の背後では、まだ若い兵士が人混みに戸惑いながら大声を張り上げていた。
「あっ!」
兵士は黒衣姿に気づいたのか、人混みを掻き分けるようにして近づいてきた。
「その背中の【13使徒】の紋章・・・・・・ワムクライ・・・・・・殿・・・・・・ですよね?」
「・・・・・・誰だ? 貴様は」
片手でフードを撥ね退けながら振り向いたのは、その顔に少女の如き初々しさを湛えた美女であった。
透き通るような白い肌、銀と言うよりは白に近い髪は肩口で無造作に切り揃えられ、僅かに赤みを帯びた瞳と唇が特徴的である。
「えっ・・・・・・ワ、ワムクライ・・・・・・殿・・・・・・ですよね?」
「何故そんなに驚く? 私の顔を知らないところをみると、貴様は新人だな・・・・・・所属と名前を言え」
表情というものを何処かに置き忘れてきたかのような、そんな冷たい眼差しで兵士を見つめるワムクライ。
「し、失礼しました! じ、自分は遊撃団クォーク隊所属の、ム、ムーアであります!」
「クォークの部下か・・・・・・で? ムーア・・・・・・私に何の用だ?」
直立不動の姿勢となったムーアから興味を失ったように視線を外すと、ワムクライは屋台の木箱の中から黄色の果物を掴み上げる。
「は、はい! ワムクライ殿に伝言があります。すぐに城へ帰るようにとの事です!」
「ふむ・・・・・・城に帰れと?」
屋台の店主に銅貨を渡すと、ワムクライはおもむろに果物に齧りついた。
「ここ数日不眠不休で雑務に追われて、今朝やっとそれから解放されたのだ・・・・・・貴様、どう思う?」
「は、はあ・・・・・・それはご苦労様でした」
「そうだろ? あのような息の詰まる部屋の事は忘れ、今日はゆっくりと羽を伸ばす予定だ。分かったら帰ってそう伝えろ」
「は、はい・・・・・・って、違います! それでは自分が困ります!」
ムーアはそう言うと、慌ててワムクライの前へ回り込み両手を広げる。
「・・・・・・どう困るのだ?」
「それはもう・・・・・・『こんな簡単な任務も果たせないのか!』と隊長から無能扱いされ、馬小屋の番や川下の水門の番に降格されてしまいます!やっと憧れの遊撃団に入れたというのに・・・・・・」
「馬小屋の番も水門の番も、それぞれ立派な仕事だと思うがな・・・・・・遊撃団といえば戦争が起これば最前線で戦う部隊・・・・・・危険だろうが?」
「いえ! 自分は兵士になった以上、戦場で暴れ回りたいのです!」
「・・・・・・変わった奴だ。面白い、気に入った」
そう言うとワムクライはくるりと背を向け、
「もう少し私に付き合え。そうすれば素直に城に帰ってやろう」
唖然とするムーアに声をかけたのだった。
「遅い! 遅過ぎる!」
手にした杖の先で激しく床を叩き、語気も荒くそう叫んだのは、【13使徒】の一人”魔人ハウドゥー”である。
魔法使いというよりは、どちらかといえば戦士といった方がしっくりとくるような体格のハウドゥーであった。
「新参者の分際で我等はおろか、アギナ翁を待たせるとは・・・・・・何様のつもりだ!あの女!」
魔人と呼ばれる所以となった、古代ルーン文字が刻まれた漆黒の禍々しい雰囲気を醸し出す杖を握り締めてハウドゥーは歯を剥いて叫んだ。
「少しは落ち着いたらどうです?」
城の3階にある会議室の中を、落ち着き無くドスドスと歩き回るハウドゥーを見かねて、【13使徒】の中でも麗人と言われている美形の青年ジルが、その流れるような自慢の金髪に手を伸ばして言った。
「たしかに彼女・・・・・・ワムクライはここオルフェンでは新参者ですが、あの身に纏う独特の不思議な魔力・・・・・・少なくとも私は彼女を認めていますがね」
「はん! 俺はあの女が魔法を使ってる姿を見た事など一度も無いぞ?そもそも魔法使いの証たる杖すら持っていない。実は魔法使いを語るただの詐欺師じゃないのか?」
「ハウドゥーよ・・・・・・少々口が過ぎるぞ」
重々しい口調でそう言ったのは、好々爺といった感じの宮廷魔術師アギナ翁である。
「ワムクライ殿を【13使徒】に招き入れたのは、この私と王の二人である・・・・・・その決定が不満か?」
「・・・・・・いえ・・・・・・滅相もない・・・・・・俺・・・・・・いや、私はただ・・・・・・」
アギナ翁に静かに見つめられたハウドゥーは、杖を抱くような格好で深々と頭を下げる。
「まあ・・・・・・今回の昇格に納得がいかないのは、何もハウドゥー一人に限った事ではありません」
ジルはそう言うと、円卓のテーブルに肘をついて手を組み合わせる。
「私はともかくとして、他の【13使徒】の面々はいずれもオルフェン国内出身の者ばかり・・・・・・余所者のワムクライ殿が、アギナ翁の後継者として宮廷魔術師の座に着くことを快く思っていない・・・・・・それが証拠に呼び出しにも関らず、ここに集まった【13使徒】は僅かに6名・・・・・・」
空席が目立つ室内を見回しながら、ジルはオーバーとも思えるアクションで頭を振った。
「彼女はこの国で何ら功績らしい功績を揚げていない・・・・・・【13使徒】の誰もが納得するような・・・・・・それが一番の問題点では?」
「そ、そう! ジルの言うとおり!」
ハウドゥーは手にした杖を高く掲げ声を荒げた。
「我等【13使徒】は王国安泰の為に、今まで数え切れない功績を揚げてきた。俺・・・・・・いや、私とそこに座っているゾンホは、北の山に棲み着いたブラック・ドラゴンを退治したし、ジルとハッサン、それにマーシャの三人は毒の沼の古城の主、ヴァンパイア・ロードを見事に倒した・・・・・・他の【13使徒】もそれぞれ各地でこの国を脅かす脅威と戦ってきた! だが、あの女ワムクライは違う・・・・・・研究と称して自室に籠ったままではないか?」
「・・・・・・なるほど」
アギナ翁は瞳を伏せたまま小さく頷いた。
「要するに貴君等が納得するような、【13使徒】の一員として相応しい功績を残せば、ワムクライが宮廷魔術師になる事に反対はしない・・・・・・そういう事だな?よく分かった・・・・・・ユキマエル」
「え・・・・・・は、はい。な、何でしょう?」
後に控えていた大臣は突然名前を呼ばれ、慌てて返事をする。
「これより直ちに街へ出向き、盗賊ギルドの長”アッシド”に大至急城へ来るように伝えてくれ。アギナが呼んでいると言ってな・・・・・・」
それだけ言うとアギナ翁は、疲れたように背もたれに体を預けたのだった。
「遅くなりました。このワムクライに、どういった用件が?」
張り詰めた空気が支配する謁見室に姿を現したワムクライは、玉座に向かって深々と一礼をした。
ただしそこには王の姿はなく、玉座を挟むような形でアギナ翁とユキマエルが立っていた。
現国王が原因不明の高熱に侵され、病床に着いているのはワムクライも知っていた。
国内から優秀な医者、薬草師等を秘密裏に集め、その治療に当たらせているという。
玉座に真っ直ぐに伸びる赤い絨毯の両サイドには、杖を手に彫像のように立つ【13使徒】の姿がある。
そこから感じる突き刺さるような視線を、気にした風でもなくワムクライは彼らの顔を軽く一瞥した。
「・・・・・・錚々たる顔ぶれ・・・・・・何かあったのかい?」
「我が王国の宮廷魔術師アギナ翁より貴殿に話があるそうだ」
ユキマエルが厳かな口調でそう言うと、杖に体重を預けるような格好でアギナ翁が前に出た。
「早速であるがワムクライ、貴殿に頼みたい事があってな・・・・・・」
「・・・・・・頼み?」
「そうだ。王の体調については貴殿も知っていると思うが、一向に好転しておらんのが現実だ。そこで貴殿には万病に効くと言われておる”天使の涙”を入手してきてもらいたい」
「・・・・・・天使の涙?」
ワムクライは一瞬、形の良い片眉を跳ね上げる。
「天使の涙と言うと、あの伝説の木と言われる古代樹の朝露の事かい?」
「そうだ。それを入手してきてもらいたい」
「これはアギナ翁ともあろう人が・・・・・・”天使の涙”は伝説の存在・・・・・・それを」
「いや、実在するぜ」
謁見室には不似合いの野太い声は、アギナ翁の隣から聞こえた。
「貴様は・・・・・・たしか・・・・・・」
「そう。この王都で盗賊ギルドの長をやっているアッシドだ。”天使の涙”だが、各地に散らばる俺の部下の一人が、偶然に見つけちまったのさ・・・・・・古代樹のある場所を・・・・・・」
「ほう・・・・・・それは面白い。一体何処だ?」
「”呪われた都市イキ”さ。知ってるだろ?あのイキにある地下遺跡の奥深くにあるのさ」
「イキか・・・・・・この魔法王国オルフェンの汚点とも言われる場所だな・・・・・・」
ワムクライのその言葉に、【13使徒】の間にざわめきが起こる。
「まあいいさ。私も興味がある場所・・・・・・その依頼引き受けよう」
「そうか。ならば早速で悪いが取り急ぎイキへ向かって欲しい。我等が王の苦しみを一刻も早く和らげて差し上げたいのでな・・・・・・誰か供に就けよう・・・・・・」
謁見室を見回すアギナ翁を手で制すると、ワムクライは静かな口調で言った。
「それならば遊撃団の兵士ムーアを頼む」
「・・・・・・ムーア? あのクォーク隊の新兵のムーアか?」
「そう。そのムーアだ」
目を白黒させるユキマエルに、ワムクライはきっぱりと言い放ったのだった。




