第11話 「やることってそれかよ」
「ん、どうかしたの?」
「えっと、そこまでして人を遠ざけてたのに、どうしてオレには話しかけてきたんだろうって思って」
「興味があったから。というのはさっき話したでしょ?」
浅輝は、不思議そうに小首を傾げた。
「それは聞いたけどさ、肝心の、なんでオレなんかに興味を持ったのかわかんないんだよ。特に興味を引くようなものなんて何も持ってないし」
すると、一瞬だけではあったが、浅輝が妖艶な笑みを浮かべたように見えた。
「私は知ってるわよ。風間がどれだけすごい人か。でも、その話は残念だけどできないみたいね」
どうして。そう、ショウが口にしようとして呑み込んだ。
急遽、浅輝に振り回される格好で走り出したセダンだったが、ここにきて動きを止めた。どうやら目的地にたどり着いたようだ。
時間は遅刻しない程度に余裕を持たせた八時三十五分。
これでやっと解放される。いつもならそう思うところだが、あれだけ思わせぶりなことを言われたら、逆に気になってしまう。
やきもきしているうちに、浅輝はさっさと車外へと降り立ち、ショウが出られるように少し離れていた。
「どうしたの? 降りないの?」
前傾姿勢になり、車内を覗き込むように訊く。
「ああ、ごめん。すぐ降りるよ!」
わたわたと落としそうになった傘を持ち直し、腰を浮かしつつ座席の上を移動する。丁度、運転席の真後ろに差しかかったところで、前方のファナンがシートの肩に腕をかけ振り向いた。
「風間君」
「へ? は、はい。なんですか?」
「葵沙那様とはこれからも仲良くしてあげて下さい。私は葵沙那様がお生まれになる以前より浅輝家にお仕えしている身でして、少々長く一緒にい過ぎました。今ではこうして邪見に扱われる始末でして」
そう言って、ファナンは自嘲気味に笑った。
「ファナンさんは、浅輝のことが本当に好きで仕えてるんですね」
「ふふ、そうですね」
ショウの言葉に、ファナンは穏やかに微笑む。が、その直後、圧の籠った声が頭上から放り込まれた。
「何してるの。時間あるわけじゃないのよ」
「は、はい……」
「わかったら、早く降りて」
素直に従って車を降りると、ショウは運転席のファナンにもう一度礼を言ってから、浅輝と共に昇降口に入った。
下駄箱からゴムシューズを取り出し、履き替える。
そこで、ショウは周囲がひそひそとざわめいていることに気がついた。
最初は何だろうと思ったが、後ろで同じ動作をする浅輝を見て理解した。
ああ、浅輝と一緒にいるからか。
例の噂の発信源が浅輝だと知った今だからこそ、隣に立たれても何も感じなくなったが、他の生徒はそうではない。今でも浅輝に近づけばファナンに酷い目に遭わされると信じている。
そう考えるとちょっとした優越感だ。クラスメイトの女子にすら滅多に話しかけられることがないのに、あの校内一の美少女と肩を並べて歩いている。これを事件と言わずしてなんという。
今の状況を改めて認識し直したことで、ショウの中で引っかかるものがあった。
そう言えば、なんで浅輝と一緒にいても普通に話せてるんだ?
マサシ以外とは話題がないから会話は続かないし、こと女子となれば緊張してうまく喋れないはずなのに。
そこまで思考が至って、浅輝の身体に他の誰かの影が重なる。しかし、誰の影と重なっているのか、喉まで出かかっているがもう一歩及ばず眉をひそめた。
ショウは振り返って、浅輝に訊ねた。
「なあ、オレ、今まで浅輝と話したことあったっけ?」
「昨日が初めてよ。それがどうかしたの?」
「いや、なんか浅輝と喋ったのが初めてじゃない気がして。ごめん、勘違いだと思う」
「そう? なら、良いけど」
先に歩き出した浅輝を追い、ショウも横につけて、校舎三階の教室へと続く階段を上る。
「さっきの続きなんだけど、オレ別に興味引くようなこと持ってないと思うんだけど。浅輝も言ってただろ、特別すごく頭がいいわけでもないし、運動もできないしさ」
「私が興味を持ったのはそんなところじゃないわ。もっと別の、そう風間翔という人間の本質的なところよ」
「本質的なところ?」
おうむ返しに問うショウに、浅輝は一つ頷いた。
「そうよ。その点も含めてじっくり話したいんだけど、今日の放課後空いてる?」
「え……それって、オレに言ってんの……?」
「他に誰がいるのよ。それで、良いの悪いの、どっち?」
動転してもおかしくない場面だったが、こんな機会はそうそうないと、乱れかけた精神状態をギリギリで保つ。そして同時に思い出したことが一つ。
雨宮が今後の方針が決まると言っていた時合だ。
返答に詰まり困惑していると、教室にたどり着いてしまった。
「時間前に考えといて」
そう言って、浅輝は引き戸に添えていた指先を滑らせた。
朝早くに起床した割には、色々と時間を取られたせいで、いつもより遅い時間に教室に入った。それでも、始業時間にはまだ五分もあるので、教卓には誰もいないはずだった。だが、どう見ても、無精髭を生やした男性教師の武戒の顔がある。
教師なのに髭はいいのか? と首を捻りたくなる風貌だが、これでもれっきとした担任である。
「おう、風間に浅輝も来たか。これで全員揃ったな。とりあえず座ってくれや」
こんな時間に一体なんだろうと訝しがるショウだったが、自席に向かって歩き出したことで、武戒の身体で隠れていた人影を見て息を呑んだ。
なんでここにいる!?
危うく声に出しそうになったが、ぐっと堪えた。
教室の窓際で且つ最後尾の席。隣に座るマサシと目で挨拶してから、ショウは自分の席についた。
「いきなりのことで驚いてるとは思うが、私もさっき校長に言われてびっくりした。というわけでだ、今日からこのクラスに転校生が入ることになる。じゃ、自己紹介してくれるか?」
武戒の言葉を受け、隣に立っていた少女が一歩前に出た。
「初めまして。雨宮奏と言う。よろしく」
会釈する程度に雨宮が頭を下げると、クラスメイトたちから拍手が送られた。
「三年のこの時期で大変だろうが、みんな仲良くしてやってくれ。雪村、悪いが隣の空き教室から机を一つ持ってきてくれるか? 場所はそうだな。風間の後ろが一番いいだろう」
「えっ」
「ん、なんだ? 嫌なのか?」
睨み付ける武戒の視線に、こんなところで目をつけられるのはご免だと、高速で手を振って否定した。
「じゃあ、俺は授業があるからこれで戻るぞ。雪村あとは任せたぞ」
「わかりました」
学級委員長であるマサシが快活よく返事をすると、武戒と一緒に廊下へと消えた。
教室に残ったクラスメイトが、途端にざわめき始める。特に女子から悲鳴に近い声が上がるのも無理はない。まるで人形のような風体の雨宮は、言ってしまえばマスコット的存在だ。
雨宮は武戒に言われたように、ショウの隣まで歩を進めて立ち止まった。
座るべき席がないから当然といえば当然だが、意図して立ち止まったのは明白だった。予測が肯定されるように、雨宮はショウにだけ聞こえるボリュームで話しかけてきた。
「護衛するにはこれが一番だと思ったのでな」
「これって年齢詐称なんじゃ……。てか、どうやって転入手続きしたんだよ」
「細かいことをいちいち気にするでない。そんなことより、あとで話がある。場所を移せるか?」
「休憩時間なら」
ガチャガチャと音を立ててマサシが机を運んできたことで互いに口を噤んだ。
運ばれてきた机に雨宮が着席したところで、一時間目の担当教師が教室に現れ、そのまま授業が始まった。