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 翌日、ビスコット男爵邸に三人の女騎士がやってきた。

 侯爵は、本当に護衛を付けるつもりらしい。


 ビスコット男爵邸には執事や侍女、使用人なら居るものの、騎士は雇っていなかったので、突然やってきた騎士にメルは戸惑いを隠せない。

 どうしたものか、と立ち尽くすメルに、女騎士達は膝を付き、恭しく礼をとる。


「私達は本日よりメル様付きの騎士となります」


「え、あ、はい……」


 何と返事を返すべきかも解らずに混乱しているメルをよそに、騎士達は次々と自己紹介を進めていく。

 三人の名は背の高い順に、セシル、アナ、マリーというらしい。

 メルの混乱した頭には、彼女達の自己紹介が早すぎて若干付いていけていないようだった。

 

「グラース様に、メル様を死守するようにと命じられました。どうぞよろしくお願い致します、メル様」


 グラースというのは侯爵の名だろう、とメルは思う。

 考えてみれば、メルは侯爵の名も知らなかったのだ。

 侯爵という立場上、有名な人ではあるのだろうが、いかんせんメルが社交界に顔を出せば面倒な男によって邪魔が入るので他所の貴族を覚えている暇がないのである。

 名も知らないというのに、騎士など付けてもらっていいのだろうか、とメルは困惑していた。

 しかし付けられた騎士があまりにも綺麗だったので、どこか嬉しくも思っていたりする。

 騎士が付いてくれるなど、急にお姫様にでもなった気がして。

 そう思っていたのも束の間、騎士達は仕事の説明を始めた。

 それを聞いたメルは、驚いて目を瞠る。

 一人は門の外で門番を、他の二人は邸内に居るものの座らないと言うのだから。


「一緒に居てくれるだけで良いですから!」


「メル様、そういうわけにはいかないのです。これが我々の仕事ですから」


 子供に言い聞かせるように言うのはセシルだった。

 だが、メルもはいそうですか、と引くようなタイプではない。


「どうせ外に出る予定もありませんし! そもそも厄介な男達が動き出すのは夜ですし!」


「メル様を死守するため、私達は一瞬たりとも気を抜けないのです」


 困ったような笑顔で、しかし強い意思を込められたセシルの言葉。


「……私なんかのために、ごめんなさい」


 メルは折れるしかなかった。

 申し訳なさそうに頭を垂れるメルに、マリーはけらけらと笑いながら声を掛ける。


「私なんか、なんて言わないでくださいメル様。私達は喜んでここに来たのです。だって、普段の仕事はあの厳ついグラース様の護衛なのですから」


 それに続くようにアナも口を開く。


「そうですよ。こんなに可愛いお嬢様の護衛が出来るなんて、嬉しくてたまりません」


 と。

 急に押し寄せてきた褒め言葉に、メルはただただ顔を赤くするだけだった。

 女性に褒められるのは、慣れていなかったから。


「それにしても、男性の護衛を女騎士の方がしていたのですね」


 騎士など雇おうと思ったことのない男爵邸に居たので詳しくはないのだが、女騎士は女性を護衛するものだと思っていた。


「あぁ、それには深いわけがあるのですが、グラース様の名誉の為、私の口からはお教えできません」


 セシルは申し訳なさそうに言った。

 無理して聞きたいわけでもないメルは、言えないのなら言わなくても結構です! と両手をぶんぶんと振って見せる。

 そして、深い理由とはきっと女好きとかそんなものだろうと勝手に想像した。

 しかしセシルはその思考を読んだかのように口を開く。


「決してグラース様が女好きだから、というわけではございません」


 と。

 ふふふ、と笑うセシルを見ながら、女好き以外に何か理由があるのだろうかと思案するメルだったが、グラースに然程興味を持っていなかったメルはすぐに考えるのを止めてしまう。

 それよりも、目の前に居る騎士達と仲良くなることを考えた方が有意義な気がしたから。

 どの道暫く共に過すことになるのだから、仲良く楽しく過したほうが良いというのがメルの気持ちだった。


 その日の午後、グラースがビスコット男爵邸にやってきた。

 両腕では抱えきれない程の大量の贈り物を持って。


「えーっと、侯爵様……あれは?」


 大量の贈り物はとりあえず玄関先に置いておいて、侯爵様を応接室に通したメルの第一声がそれだった。


「謝罪の品です。メル嬢の好みが解らなかったので、令嬢に人気があると聞いたものを手当たり次第持ってきたら……ああなってしまいました」


 当然のように言ってのけるグラース。


「謝罪って、もう謝罪なんてしていただかなくて大丈夫ですから。むしろ悪いのは私の方なんですし……」


 いや、そもそも悪いのは私に薬を盛ろうとした男だが、という言葉が浮かんだのだが、それは飲み込んでおいた。話がややこしくなる。

 あの男については公爵が尋問していたらしいが、その後どうなったのかは聞かされていない。

 しかし妹が晴れやかな顔をしていたので、きっと恐ろしい罰を受けることになるだろう、と想像しながら勝手に身震いをするだけに留まった。

 想像だけで身震いするのに、真相を確かめる勇気などメルには到底湧いてこなかった。

 ただ一つだけ解るのは、ミエーレがとても姉思いだということと、妹が晴れやかな顔をしている時は碌なことがないということだけだ。


「いえ、わたしは貴女を不用意に傷付けてしまった……だから、受け取ってください」


 至極真剣な顔でそう言われたメルは、それでも受け取れませんと言う勇気など持ち合わせていなかった。

 それに対して満足気に微笑んだグラースは、不意に顔を強張らせる。どこか緊張したように。


「……ところでメル嬢、ビスコット男爵は……?」


「父なら弟を連れて一足先に領地の方に戻っています」


 元々、社交シーズン中は王都で過すつもりだったのだが、娘が薬を盛られそうになったと聞いたビスコット男爵は急いで領地に戻る準備を始めていたのだ。


「領地……ということは、もしかしてメル嬢も……」


 不安そうな顔で問い掛けてくるグラースに、メルは小さく頷く。


「はい、戻ります。色々ありましたから」


「……本当に、社交界には二度と顔を出さないのですか?」


「ん? はい、そのつもりです。自分だけが被害に遭ったのならまだ無理矢理連れて行かれたかもしれませんが、今回は人を巻き込んでしまいましたからね」


 どこか清々しい表情を浮かべたメルは言った。

 付き纏いや奇襲、夜這いに薬……そんなものから離れられるのだから、清々しくもなるというもの。


「わたしは……!」


 何かを言い募ろうとする侯爵を、メルは視線だけで止める。

 そして被せるように口を開いた。


「あなたは私を責めなかった。それだけじゃなく、こうして謝罪までしてくれている。でも……あの時隣に居たのがあなたじゃなく、別の怖い貴族の方だったらと思うと……」


 そう、貴族が皆グラースのように穏やかなわけではないのだ。

 血気盛んな貴族だって居るし、相手が悪ければこんなに穏やかに済まされなかったかもしれない。


「……それは」


「散々荒んだけれど、私は少し運が良かったのかもしれません。隣に居たのが、あなただったから」


 メルが微笑むと、グラースは苦しげに顔を顰めた。


「メル嬢……」


 そう言って、グラースがメルに向かって手を伸ばすと、メルはビクりと肩を揺らして咄嗟にその手を避ける。


「あ、すみません、防衛本能が働いてしまって」


 男から散々な目に遭わされているが故の条件反射だった。


「……こ、こちらこそすみません。それではメル嬢、また後日伺います」


「え? もう侯爵様からの誠意はしっかりと受け取りました。だから、もうあの夜の事はお互い忘れましょう?」


 ね? と言いながら首を傾げるメルを見て、グラースはどこか寂しそうな表情を浮かべている。


「忘れる……」


「忘れましょう。お互い嫌な思いをしたのですから」


 変わらず寂しそうな表情を湛えたままメルを見続けるグラースに、メルは穏やかな笑みを浮かべて言う。

 忘れた方がお互いの為ですから、と。


「あら、グラース様は良い思いをしたんじゃなくって?」


 メルの背後に控えていたアナが突如として口を挟んできた。

 すると、部屋の外で待機していたはずのマリーからも言葉が飛んでくる。


「そうよねぇ、メル様の豊満なお胸を枕に一晩眠ったんですもの。少なくとも嫌な思いはしていませんよねぇ」


 と。

 メルとグラースがドアの方を見遣ると、ドアを開けてひょっこりとこちらを覗くマリーの姿が見える。


「お前達、どうしてそれを……!」


 いつの間にか寂しそうな表情は消え、真っ赤に染まりきっている顔でグラースは言う。


「メル様の妹君に聞きましたわ。羨ましいですわね!」


 アナはにこやかにそう言った。

 それを聞いたメルは、妹め、ぺらぺら喋ってくれちゃって……と内心穏やかではない。

 何か言葉を発するべきだろうか、と思ったメルだったが、気の利いた言葉が一文字も思い浮かばなかったためただただ黙り込むしかなかった。


 その後、グラースはふらついた足取りで邸から出て行く。

 ビスコット男爵の居場所を聞こうとしていたことを思い出したメルが何か伝言でもあったのかと問うたのだが、グラースは後日で良いと言ってそそくさとメルから離れて行った。

  グラースが去った後、メルはアナ達に声を掛ける。


「あの、皆さんは侯爵家の騎士様なんですよね? 主にあんな事言って大丈夫なのでしょうか……?」


 あんな事とはもちろんおっぱい枕の件である。


「はい、もちろん大丈夫です。私共が背中を押さねばあの方は何も出来ませんからね。むしろ感謝してもらっても良いと思っているくらいですわ」


 アナがにっこりと笑ってキッパリと言うものだから、メルはそれ以上何も言えなくなった。

 それだけでなく、ふふふ、という笑いがどことなく不穏だった気がしたので口が開けなくなったといっても間違いではない。



 それから数日後、領地の方の準備が済んだとの連絡が入ったため、メルはすぐさま領地に戻る事にした。

 侯爵には何も言わずに戻るつもりだったメルだが、三人の女騎士達が共に領地に向かうというので一応侯爵に手紙を出した。それが二日ほど前の話だ。

 ビスコット男爵邸と侯爵邸は然程離れているわけでもないので、すぐに返事が来るのではないかと思っていたが、全くの音沙汰なしで出発の日が来てしまった。

 本当に騎士達を連れて行っても良いのだろうか、と不安な様子を見せていたメルなのだが、当の騎士達はそんなことを気にするでもなく出発の準備を手伝っている。


「メル嬢!」


 不意に掛けられた声に、メルは自分の耳を疑った。

 何故ここに彼が居るのだ、と。


「何をしているんですか……?」


 侯爵って暇なんですか? と口を衝いて出そうになったが、さすがに口を噤んだ。

 侯爵相手にそれはマズいだろう、と思って。


「見送りに来ました」


「見送りなんて……。侯爵様はお忙しい人でしょうに。ところで、騎士様達は本当に連れて行ってもよろしいのでしょうか?」


 にこやかに笑っているグラースをよそに、混乱して眉根を寄せているメル。


「もちろんです。あぁ、ビスコット男爵の邸の隣の空家を買い取ったので三名の部屋についてはご心配なく」


 溌溂とした声で発せられたグラースの言葉にメルはまたしても耳を疑う。

 隣にあった空家を買い取った、といとも簡単に言い放ったのだ。

 そもそも何故邸の隣が空家だと知っていたのだという疑問も浮かんだが。

 しかしメルも三人の騎士達の事を気に入っていて、さらには騎士達が居れば安全は保証されたようなものなので、当人達がいいと言うのなら、ぜひとも連れて帰りたいところではあった。


「それでは、お言葉に甘えたいと思います」


 と、メルは頭を下げた。

 そんな時、ミエーレが見送りにやってきた。


「あら、お邪魔だったかしら?」


 ミエーレは首を傾げながら、メルとグラースを交互に見遣る。


「何が?」


 照れくさそうに苦笑するグラースに気付きもせず、きょとんと首を傾げるメル。


「お姉様」


「ごめんね、ミエーレ。……貴女が私の結婚について心配してくれてるのは解ってるのよ。でも、やっぱり私は結婚なんて出来ない」


 メルがそう言うと、ミエーレの顔が悲哀の表情に変わる。


「お姉様、寂しくないの?」


「大丈夫よ。……あぁ、そんなに心配するなら公爵家の権限で同性でも結婚出来るようにしてよ。私あの騎士様みたいな方々となら結婚したいわ!」


 唐突な爆弾発言である。

 指名された騎士達は、満更でもなさそうな表情を浮かべている。実にノリの良い騎士達だ。


「……いや、さすがの公爵家でもそれは無理ね……」


 ううん、と呻りながら顎に手をやり悩んだ表情を見せるミエーレに、メルはクスクスと笑う。


「でしょうね。じゃあ暫く会えないけど頑張りなさいね」


 そう言って、メルはミエーレの頭をぽんぽんと撫でる。

 すると、ミエーレは寂しさからかメルにぎゅっと抱きついてしまった。

 それを見たメルは、仕方ない子、と苦笑を零す。


「いつまでも姉に甘えてないで、帰って公爵に甘えてあげなさいな」


「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」


「そんな一生会えなくなるみたいな声出さないの」


 メルはもう一度仕方ない子ね、と呟いてミエーレをぎゅっと抱きしめた。

 一頻り抱き合うと、メルは思い出したようにグラースの方を向きなおす。


「それでは侯爵様、色々とご迷惑をおかけしました。さようなら」


 深々と頭を下げ、こちらには一生のお別れを告げる。


「ええ、さようなら、メル嬢」


 そう応えたグラースの顔は、夏の日差しのように眩しかった。





 

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