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婚約破棄?いたしませんが。――ずっと両想いですので――

作者: cfmoka
掲載日:2026/10/04

最近、私の婚約者を狙っている令嬢がいるらしい。


「そうなの?」

「そうなの!」


友人のクラリスは、私以上に怒っていた。

昼休み。

王立学園の食堂で向かい合っていたクラリスは、ばん、とテーブルを叩いた。


「昨日なんて、殿下が庭園を歩いていらしたら、わざと目の前で転んだんですって!」

「まあ」

「殿下が抱き留めたそうです!」

「あら」


それは大変。

転んだ令嬢が。


「怪我はなかったの?」

「そっち!?」


だって転んだのでしょう?

心配するところだと思うのだけれども。


「殿下ですよ!あなたの婚約者の!」

「知っているわ」

「抱き留めたんですよ!」

「まあ、だって。転んできた人を避けたりしたら、怪我をするでしょう?」


クラリスは頭を抱えた。


「セシリア様……あなた、正気ですか?」

「なんだかちょっと失礼ね」

「その令嬢、エミーリア・ローデン男爵令嬢です」

「ああ、あの」

「知ってるんですか!?」

「同じ学園だもの」

「そうじゃなくて!最近、殿下にものすごく接近しているって有名なんですよ!」

「そうなの?」

「そうなの!」


私の婚約者である皇太子アレクシスは昔から女性に人気がある。


顔がいい。

頭もいい。

剣も使える。

身分については言うまでもない。


だから、女性から好意を向けられること自体は珍しくなかった。


「心配じゃないんですか?」

「別に」

「どうして!?」

「アレクシスだから?」

「理由になってません!」


そう言われても困る。

アレクシスとは六歳の頃から十一年間一緒にいる。

彼がどういう人なのかは知っているつもりだった。


「まあ、何かあれば本人から聞くわ」

「それじゃ遅いんですよ!」


クラリスはまだ何か言っていたが、午後の授業を告げる鐘が鳴った。



◇◇◇



その日の放課後。


「セシリア」

「まあ。ごきげんよう、殿下」

「二人きりのときくらいアレクシスと呼んでほしい」

「ここ、廊下でしてよ?」

「では場所を変えよう」

「……何か御用かしら?」

「昨日の件だ」

「ああ。転んだ方?」

「聞いたのか」

「先ほど伺いましたわ」


アレクシスの顔が曇った。


「すまなかった」

「どうしてあなたが謝るの?」

「女性を抱き留めた」

「それは転んだからでしょう?」

「……そうなんだが」

「その方、怪我は?」

「なかった」

「よかったですわね」


話は終わった。

そう思ったのだが、アレクシスは帰らない。


「セシリア」

「なにかしら?」

「怒っていないのか?」

「え?どうして?」

「…………」


しばらく黙ったあと、アレクシスが私の両手を握った。


「好きだ」

「はい」

「君が好きだ」

「存じておりますわ」

「本当に?」

「十一年間、毎日三回は言われていますから」

「今日はまだ一回しか言っていない」

「二回目よ」


アレクシスは安心したように笑った。


「では、あと一回言えるな」

「回数限定ではないのだけれど」

「好きだ」

「使い切りましたわね」

「明日になればまた三回言える」

「ですから。回数限定ではございませんのよ」


満足したらしい。

私の手を離した。


「それで、昨日の件だが」

「まだございますの?」

「あの令嬢は、エミーリア・ローデン男爵令嬢というらしい」

「存じております」

「知っているのか?」

「同じ学園の生徒ですもの」

「そうか」


アレクシスは少し考えた。


「彼女に、今度二人で出掛けませんかと言われた」

「まあ」

「断った」

「まあ……」

「……それだけ?」

「何と言えばいいのかしら?」

「いや」

「ああ。ごめんなさい。気づかなくて。行きたかったのね?」

「違う。絶対違う。絶対に行きたくない」

「なら問題ないでしょう?」


また黙った。

何かしら?面倒になってきたわ。


「アレクシス」

「なんだ?」

「私、あなたを信用しているの」

「……」

「あなたが行かないと言ったなら、絶対行かないのでしょう?」

「ああ」

「なら大丈夫なのよ」

「そうか」

「そうよ」


今度こそ、アレクシスは笑った。

何だかとても嬉しそうだった。

変なの。



◇◇◇



ところが。

それで終わらなかった。


三日後。

図書室から出ると、廊下の向こうにアレクシスがいた。

件のエミーリア嬢もいた。

何故か柱の陰にクラリスもいた。


なぜそこに?


しかも私を見つけるなり、


「しっ!」


と人差し指を口元に当てている。


仕方なくそっと近づく。


「何をしているの?」

「静かに!」


小声で怒られた。


「決定的瞬間です」

「何の?」

「いいから見ててください」


静かに見守る。

エミーリア嬢がアレクシスを見上げていた。


「殿下。私……以前から殿下をお慕いしております」


まあ。

告白だわ。告白。

これは聞いていて、いいのでしょうか。


「セシリア様、どこへ行くんです?」

「告白中に盗み聞きするのは悪いでしょう?」

「あなたの婚約者への告白ですよ!」


そうだった。

では聞いていてもいいのだろうか。


「婚約者がいらっしゃることは存じています。でも、私……諦められなくて」

「そうか」


アレクシスが答える。


「気持ちはありがたい」

「では……!」

「だが、応えられない」


エミーリア嬢の顔が曇った。


「セシリア様がいらっしゃるからですか?」

「そうだ」

「もし、あの方がいなければ?」

「その仮定に意味があるのか?」


アレクシスが首を傾げた。


「え?」

「セシリアはいるが」

「ですから、もしものお話です」

「なぜ?」


会話が進まない。

クラリスも眉間を押さえている。


「例えば!」


エミーリア嬢が声を荒げた。


「セシリア様が他の男性を好きになったら!」

「泣く」


即答だった。


「え」

「たぶん三か月くらい寝込む」


何を言っているのだ。


「え、えーと。殿下、その、それから?」

「説得する」

「誰を?」

「セシリアを」

「それでも駄目だったら?!」


アレクシスが真剣に考え始めた。


「……もっと説得する」


エミーリア嬢が黙った。


「諦めないんですか?」

「なぜ私が諦めるんだ?」

「だって振られたんですよ?」

「まだ仮定の話だろう」

「そうですけど!」


もう出ていっていい気がする。


「アレクシス」


声をかけた。

二人が一斉にこちらを見る。


「セシリア!」

「セシリア様!?」


「ちょっと、こらセシリア様!」


クラリスまで。


「聞いていたのか?」

「途中から」

「どこから?」

「私が他の男性を好きになったら、あなたが三か月も寝込むところから」

「そこか……」


なぜ恥ずかしそうなのだ。


「大丈夫よ」

「何が?」

「今のところ他に好きな人はいないから」

「今のところ?」

「言葉の綾よ」

「セシリア」



「あなたが好き」



ぴたりと止まった。

分かりやすい。


「本当に?」

「ええ」

「もう一回」

「嫌よ」

「なぜ?」

「恥ずかしいから」

「私は毎日言っているが」

「あなたは恥ずかしくないの?」

「君になら別に」


どういう神経をしているのだろう。

後ろからクラリスのため息が聞こえた。

エミーリア嬢を見る。

顔が真っ赤だった。


「……あの」

「はい。何でしょう?」

「ごめんなさい」


頭を下げられた。


「どうして謝るのかしら?」

「だって私、殿下を……」

「好きになること自体は仕方ないでしょう?」


感情なんて、好きにできるものではない。


「ただ、アレクシスは私の婚約者だから、二人で出掛けるのは困るけれど」

「はい……」

「それ以外なら別に」


エミーリア嬢が俯いた。

泣いているのだろうか。


少し心配になったところで。


「セシリア」

「なに?」

「今、私が好きだと言ったな」

「まだそこなのね?」

「今日はいい日だ」

「そう」

「もう一度言ってくれ」

「嫌」

「なぜだ」

「しつこい」


エミーリア嬢が震え出した。

そして。


ぷっ。

吹き出した。


「あ」


本人が慌てて口を押さえる。


「申し訳ございません!」

「いい」


アレクシスは不満そうだったが、怒ってはいなかった。


エミーリア嬢はもう一度笑った。


「なんだか……思っていたのと全然違いました」

「何が?」

「お二人です」


どう思われていたのでしょう。




◇◇◇




しかし。

それでも噂は消えなかった。


『皇太子殿下が男爵令嬢に心変わりした』

『セシリア公爵令嬢との婚約は間もなく解消される』

『真実の愛を見つけたらしい』


誰が流しているのか知らないが、日に日に話が大きくなっていく。


「真実の愛ですって!」


クラリスが怒っている。


「そう」

「そう、じゃありません!」

「だって違うもの」

「放置するから広がるんですよ!」

「噂でしょう?」

「噂で婚約が壊れることもあるんです!」

「そうなの?」

「そうなの!」


困った。

どうしようか。

そう考えていたら。

アレクシスが先に動いた。


翌週の王家主催の夜会。

大勢の貴族が集まる中、彼は私の前まで歩いてきた。


「セシリア」

「なに?」

「踊ってくれ」

「もちろん」


手を取る。


曲が始まった。


「噂を聞いた」

「そう」

「知っていたのか?」

「ええ」

「なぜ教えてくれない」

「あなたも知っていると思って」


「腹が立った」

「そう」

「だから訂正する」

「どうやって?」


アレクシスは答えなかった。


一曲が終わる。

私たちは礼をする。


そして、アレクシスは私の手を握ったまま離さなかった。


「皆に聞いてほしい」


ざわめきが止まる。

嫌な予感がする。


「アレクシス?」

「最近、私が婚約者以外の女性に心変わりしたという噂があるらしい」


周囲が静まり返った。


「事実ではない」


そこまではいい。


「私は六歳の頃からセシリアが好きだ」


待って。


「十一年間、一度も変わっていない」

「アレクシス」

「今後も変える予定はない」

「アレクシス」

「ちなみに婚約解消の予定もない」

「もう十分よ」

「まだだ」

「十分です」

「大切なところだ」


どこが。


「セシリア」


こちらを見る。


「好きだ」


夜会会場のど真ん中で言われた。


ああ、死にたい。


「返事が欲しい」

「今するの!?ここで!?」

「皆の前なら噂も消える」


確かにそうかもしれない。

だからといって。

周囲を見る。


全員がこちらを見ている。

クラリスが満面の笑顔で頷いている。


裏切り者。


少し離れたところにはエミーリア嬢もいた。

目が合う。

彼女まで小さく頷いた。


あなたまで。


「セシリア」

「……好きよ」

「聞こえない」

「大好きです!」


言ってやった。

会場が沸いた。

拍手までされた。


恥ずかしい。

今すぐ帰りたい。


なのにアレクシスは人生で一番幸せそうな顔をしていた。


「もう一回」

「調子に乗らないで」

「残念だ」

「帰るわよ」

「一緒に?」

「婚約者でしょう!」


笑い声が起こった。


その夜を境に、噂はぴたりと消えた。



◇◇◇



「申し訳ございませんでした」


数日後。


エミーリア嬢が私のところへやって来た。


「もう謝ってもらったわ」

「でも」

「アレクシスを好きだったことでしょう?」

「……はい」


素直だ。


「だった、なの?」

「諦めました」

「そう」

「無理です」


真顔で言われた。


「何が?」

「あの方からセシリア様を奪うのは無理です」

「そうかしら」

「無理です」


二回言った。


「私、勘違いしていました」

「何を?」

「お二人は政略結婚だと」

「ああ……」


確かに婚約自体は政略だった。

公爵令嬢と皇太子。

家柄を考えれば自然な組み合わせだ。


「だから、私にも可能性があると思ってしまって」

「なるほど。そうなのね」

「でも違いました」


エミーリア嬢が遠い目をする。


「殿下、セシリア様の話しかしません」

「そうなの?」

「私がどんな話題を振ってもです」

「……例えば?」

「好きな食べ物を聞いたら、『セシリアは桃が好きだ』と」

「……」

「休日の過ごし方を聞いたら、『セシリアは本を読んでいることが多い』と」

「……」

「好きな女性のタイプを聞いたら」

「え?聞いたの?」

「『セシリア』と」


頭が痛くなってきた。


「会話にならないんです」

「何だか本当にごめんなさい」

「なぜセシリア様が謝るんです?」


確かに。


「ですから諦めました」

「そう」

「それに」


エミーリア嬢が少し笑った。


「セシリア様のことも好きになってしまいました」

「私?」

「はい」


予想外だった。


「怒られると思っていましたから」

「どうして?」

「婚約者に近づいたんですよ?」

「でも、もうやめたのでしょう?」

「はい」

「ならいいじゃない」


エミーリア嬢が笑う。


「本当に、思っていたのと違います」


また言われた。


「では、友人になっていただけませんか?」

「私と?」

「はい」

「いいけれど」

「本当ですか?」

「ええ」

「ありがとうございます!」


こうして。


婚約者を奪いに来たはずの令嬢と、なぜか友人になった。



◇◇◇



それから一年。


卒業式を無事終えた私たちは、その三か月後に結婚式を挙げた。


結婚式当日――


「セシリア」

「なに?」

「綺麗だ」

「ありがとう」

「好きだ」

「はい」

「愛している」

「はい」

「君と結婚できて幸せだ」

「思い出して。まだ式の途中よ?」

「もう逃げられないぞ」

「……逃げる予定はないわよ」


アレクシスが笑った。

私も笑う。


参列席にはクラリスがいる。

エミーリアもいる。

二人とも泣いていた。


なぜ本人たちより泣いているのだろう。


「セシリア」

「今度は何?」

「幸せにする」

「違うわ」

「え?」

「一緒に幸せになるのよ」


アレクシスが目を見開いた。

それから、ゆっくり笑った。


「ああ」


私たちの婚約期間は十二年とちょっと。

その間。

婚約破棄はなかった。

すれ違いもなかった。

浮気もなかった。

身分違いの真実の愛もなかった。


あったのは。

私を好きだとしつこいくらい言う婚約者と。

そんな彼を、実は私もかなり好きだったということ。


それだけだった。




◇◇◇




――ちなみに。

結婚して三年が経ち第一子が昨年誕生した今でも。


「セシリア」

「なあに?」

「好きだ」

「はい」

「今日、何回目か分かるか?」

「四回目ね」

「違う。五回目だ」

「まあ。そうだった?」

「朝食のときにも言った」

「……聞いてなかったわ」

「なぜ!?」

「書簡を読んでいたもの」

「では無効だということにして」

「何の話?」

「もう一度言おう。好きだ」

「はいはい」

「返事は?」

「そうね。私も好きよ」


満足そうに笑う。

この顔を六歳の頃から見ている。

たぶん。

これから先も、ずっと見る。


世の中には、恋を引き裂く運命だとか。

燃え上がる真実の愛だとか。

そんなものもあるらしい。



好きな人がいて。

その人も自分を好きで。

嫌なことがあれば話して。

誤解があれば確かめて。


明日も一緒にいる。

それで十分ではないだろうか。


「セシリア」

「今度は何?」

「明日も好きだと思う」

「そうなのね」

「明後日も」

「はいはい」

「十年後も」

「分かったから」

「五十年後も」

「ちょっとしつこいわね?」

「嫌か?」


少しだけ考えるふりをした。


「……嫌、ではないわね」

「それは、好きという意味か?」

「自分で考えて頂戴」

「好きという意味だな」

「ふふふ。もう寝なさい」


アレクシスは笑った。

私も笑う。

今日も特に波乱はない。

たぶん明日も。

それでいい。


私は、この何も起こらない、穏やかな恋を愛しているのだから。

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― 新着の感想 ―
こんなにアレクシスの愛情が重いのに セシリアの友人のクラリスが騒ぎ立ててるのを見て クラリスが黒幕だとばかり思ってましたw
執拗な噂にはヒロイン以外の黒幕が居そうな気配がする しかしわ殿下つよい
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