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バッドエンドの観測者  作者: 遠峰 黎


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3/3

最終章:バッドエンドの観測者

 白、白、白。


 この場所には、色彩という概念が存在しない。

 視界の端から端までを埋め尽くすのは、命の脈動を一切拒絶するような、純然たる無機質の白。


 我々「観測者」の仕事は、この虚無のただ中で、ひたすらに「終着」を記録すること。

 宇宙の至る所で、瞬く命が、どのような軌跡を辿り、どのような最期を迎えたのか。それを一文字の狂いもなく書き留め、膨大な記録の海へと収める。


 この宇宙には無数の命があり、その数だけ物語がある。しかし、その中には残酷で、不条理で、救いようのない結末を迎えるものもある。


 俺たちはそれらを冷徹に仕分け、宇宙の書庫へと収める。感情はノイズであり、不要なもの。

 俺たちはただの観測者であり、ただの記録媒体でなければならない。それが、我々に課せられた使命であり、存在意義だった。


 そんなある日のことだ。


 一人の女の最期を記録するために、俺はいつもの「白い部屋」で待機していた。


 現れたのは、銀髪を上品に結い上げた、穏やかな微笑みを湛える老婦人だった。

 彼女は、かつて自らの執念で滅びの運命を覆した伯爵令嬢――その名は、セシリア。その輝かしい一生の終着を、俺は観測していた。


 彼女は霞む視線で家族を見つめていた。愛する人へ、愛の言葉を告げる。そして、最高の笑顔と共に息を引き取った。完璧なまでの大往生。

 魂となった彼女は、懐かしそうに目を細めて口を開いた。


「……ああ、本当に幸せだった」


 彼女の声は、この無機質な空間に不釣り合いなほど、温かな色彩を帯びていた。


「あなたは……?」

「俺は、お前を観測する者だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「そうですか。あなたが⋯⋯」


 彼女はふと、思い出したように俺に問いかけた。


「あの人は、お元気ですか?」


 俺の手が止まった。


「……あいつのことか。あいつは、観測者としての役目を果たせなかった、哀れな男だ」


 俺は彼女に告げる。


「あいつは、怒りに身を任せて介入を行った。本来、我々はただ眺める者であり、因果に触れることは禁じられている。だが、あいつは運命を強引に捻じ曲げた。あいつが何のために、そんな不合理なことをしたのか。その理由は、我々には理解できない。今は、その報いとして、牢獄に囚われている。永遠にな」

「そうですか⋯⋯」


「……会いたいか?」


 老婦人は静かに頷いた。


 俺は彼女を連れて、白の果てへと向かった。

 空間そのものが檻となった、音のない牢獄。そこには、床に座り込んで虚空を見つめている男がいた。

 セシリアは男の前に立ち、優しく声をかけた。


「……こんにちは」


 男はゆっくりと顔を上げた。瞳は赤黒い怒りと悲しみに濁っていた。しかし、彼女を見た瞬間、その奥に微かな光が宿った。


「……おばあちゃんになったな、セシリア」

「ふふ、覚えていてくれたんですね。でも仕方ありませんわ。あれから何十年も経ったのですもの。あなたはあの頃のままね。ずっと、ここに?」

「ああ。そうだ。観測者としてのあるべき姿に戻ることができたら、ここから出られるそうだ」

「なんで、閉じ込められているの?」

「本来の役目を忘れて、馬鹿なことをした。ただそれだけだ。だが、不思議と少しも後悔はしていない。今の俺なら、あのときのお前の感情が、少しだけ理解できる気がする」

「そう⋯⋯」

「君たちを理不尽な目に合わせた奴ら。あいつらへの怒りだって、きっと理解できる。もしかしたら俺は、この感情を忘れたくないのかもしれないな⋯⋯」


 男は、自らの掌を見つめた。

 そして、セシリアは、純白の床に静かに腰を下ろした。


「そうだ、良かったら、お話ししませんか?」

「話? 俺にか。……いいだろう。聞かせてくれ」

「ええ、私の昔話……。いいえ、あの日の『続き』の話を」


 セシリアは、穏やかな口調で語り始めた。


 あの日、彼女が戻った十八歳の朝。

 伯爵の罠をどう切り抜け、どうやって愛する人の手を再び握りしめたのか。


 そして、あれからの彼女が送った、退屈で幸せな五十年の情景。子供たちの笑い声、夫と歩いた散歩道、庭に咲いたバラの香り。

 愛する人にずっと伝えたかった、大切な言葉。


 囚われた男は、目をつぶってその声を聞いていた。

 あの日、彼女がどのような「続き」を歩んだのか。彼は、彼女が語る自身の幸せな日々に、必死に思いを巡らせているようだった。


「……なんだか途中から、これといった波瀾万丈もない、平坦で、面白みのない話になってきたな」


 男は鼻で笑うように言った。

 だが、その声からはトゲが抜け、柔らかな響きが混じっていた。


「ふふ、そうですね」


 セシリアはそう言って笑みを浮かべ、過去に思いを馳せる。


「刺激もなければ、意外性もない。退屈すぎて欠伸が出るような話だ。だが、案外悪くないかもしれない。そういう、記録にも残らないような話も」


 彼が抱き続けてきた冷たい怒りが、静かに解けていくようだった。


「でも、ここからの話が、すごく大事なんですから」


 女はそう言って笑うと、「バッドエンド」の続きを、哀れな男に語り始めた。


 男は、その話に静かに耳を傾けていた。

 いつまでも。そして、笑みを浮かべながら。




(了)

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