第4話|お姉さまと呼んで、いいですか?
午前のお勉強を終えたわたくしは、ひとり王女宮の小部屋にいた。
さっきまで使っていた本やペンを机の上に並べたまま、椅子にもたれてぼんやりする。
窓の向こうには、まだ春の名残を感じさせる陽射し。風に揺れる木々の葉が、きらきらと光を散らしていた。
王女宮が正式に稼働してからというもの、出入りする者の数が目に見えて増えた。
それだけではなく、挨拶、案内、応対──覚えることも、こなすことも増えている。
お兄様から贈られた髪飾りや衣装棚に増えている大人びたドレス。それらを見るたびに、ここがわたくしの宮になったのだと実感する日々。
だけど。
少しだけ、寂しいと思うのは──贅沢なことでしょうか。
皆さまが優しくしてくださるほどに、なぜだか胸がきゅっとするのです
「……マティルダ」
控えていた扉の向こうから現れたのは、わたくし付きの侍女、マティルダだった。
「お呼びですか、アリシア様」
「はい。あの、少しだけ──わたくしとお話、していただけませんか?」
彼女は一瞬だけ驚いたような顔をしたあと、柔らかく微笑んで、部屋に入ってきた。
「もちろんです。お茶をお持ちしましょうか?」
「ううん、今日は……そういうのではなくて」
わたくしは立ち上がって、ソファへと向かう。
「マティルダも、どうぞ。今日は……お話がしたいのです」
「……畏まりました」
少しだけ躊躇うような間のあと、マティルダはおそるおそる隣に腰掛けた。
「マティルダは、わたくしのこと……どう思っていらっしゃいますか?」
「え?」
問いかけに、マティルダは目を瞬かせた。
「王女として……とかではなく、いまのわたくしのことを、です」
「アリシア様のこと、ですか」
「はい。……わたくし、立派にふるまえているでしょうか。皆さまに、きちんと“王女”として見えているでしょうか」
思っていたよりも、声が震えていた。
たぶん、自分でも気づいていなかった。だけどこの数日、わたくしはどこか不安だったのだ。
ちゃんとできているか。
笑顔でいるけれど、誰かの期待を裏切ってはいないか。
「アリシア様は、いつも堂々としていらっしゃいます」
そっと添えられた声は、あたたかくて、どこか誇らしげだった。
「でも……本当は、いま少しだけ、お寂しいのではありませんか?」
マティルダの声が、わたくしの胸の奥に触れた。
「……ばれてしまいましたわね」
わたくしは小さく笑って、うなずいた。
「マティルダは、わたくしが八歳のときから、ずっと一緒にいてくださっていますね」
「はい。初めてお目にかかったときのこと、よく覚えております」
「あのとき、わたくしが転びそうになったのを、咄嗟に支えてくださったこと……あれが最初でしたわね」
「……はい。あれ以来、ずっとそばに」
「そのときから……ずっと、姉のように思っておりましたの」
「……アリシア様」
マティルダの表情が、わずかに揺れる。
「ですから──わたくしが“お姉さま”と呼んでも、構いませんか?」
静寂。
でも、すぐに返ってきたのは、微笑みだった。
「……そのお言葉、ありがたく頂戴いたします、アリシア様」
少しだけ姿勢が正されたようにみえた。
でも、聞こえてきたのは、いつもよりほんの少しだけ柔らかい声音だった。
たったそれだけ。
でも、わたくしの心は、ふっと軽くなった気がした。
──わたくしには、お姉さまがいる。
そんな当たり前の、だけど大切なことを、今日また一つ、思い出したのだった。