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第2話|炎月一日、白ユリの贈りもの

「ねえ、マティルダ。あのドレスはどこ?」



姉のように慕う侍女のマティルダに向けて、どこか甘えたような声をアリシアは向けていた。



「あのドレスでしたら、お部屋の衣装棚にかけてあります。

本日、本宮殿に向かわれる時のお衣装ですから、汚さないようにしているんですよ」

「そうなの? ねえ、もう一度、見てみたいの」



そう告げるアリシアの腕の中には小さな箱がある。

それが、先ほど王太子である兄エドワルド自らが持参したものであることに気づいたマティルダは、ため息をつくしかなかった。



「つまり、アリシア様はその中身とドレスが似合うか確認なさりたいと」

「うん、やっぱりマティルダはわかってる!」



完全に気持ちが浮きたっているのか、アリシアの声はいつもより高くなっている。

小箱の蓋を丁寧にあけた彼女の手には見事な花の髪飾りがあった。



「これって王家の白ユリよね?」

「そうですわね。さすがは王太子様。見事なお品をアリシア様にと思っていらっしゃいますわ」

「ね、これならあのドレスを着た時に髪に飾ってもおかしくないわよね」



確認するようにちょっと小首を傾げる姿。

その姿に苦笑を浮かべたマティルダは穏やかにこたえるだけ。



「王太子様がご自身で選ばれたものが似合わない、などということはありませんわ。この髪飾りはあのドレスにとても似合うと思います」



その声にアリシアの顔がパッと明るいものになる。

そのまま、マティルダの手を引くようにして衣装棚に近づいているのだった。



「そうよね。お兄様がくださったのですもの。絶対に似合うわよね。

でも、着る前に確かめてみたいのよ」



そう告げるアリシアの前にあるドレス。

今日、炎月一日はアリシアの10歳の誕生日。

この日を境に子どもから王女としての扱いになるのだということを乳母から聞かされていた。

それを証明するのがドレス。


今、彼女が身につけているのは子どもらしいひざ丈ほどのワンピース。

上品だが動きやすさを重要視しているものはドレスというのには少し足りない。

でも、目のまえにかけられているモノは違う。


ふくらはぎまで届く、幾重にも重ねられた薄布のスカート。

王家の色の白に金糸で刺繍が施され、腰のリボンは深みのあるローズピンク。


一気にお姉さんになったような気分にアリシアはご機嫌状態だった。

そこに、兄であるエドワルドが学園に行く前の忙しい時間のはずなのに、わざわざ持ってきてくれたのだ。


それだけではない。

渡してくれた時に兄が口にした「お前に似合うと思って選んだよ」という言葉で、アリシアはすぐに気がついたのだ。


それが、今日のドレスに合わせて“わたくしのためだけに”用意されたものだということに──。

だからこそ、ちょっとでいいからドレスとこの髪飾りをならべてみたかったのだ。




◇◇◇




「お兄様、これ、ちゃんと似合っていると思いますの?」



ふくらはぎまである白いドレスの裾を、アリシアはほんの少しだけ持ち上げて見せた。

肩まで伸びた金髪の横には、朝に王太子である兄──エドワルドが届けてくれた白ユリの髪飾りが、美しいカーブを描いて揺れている。

そのままくるりと一回転。



「どうでしょう? 王女らしく見えます?」

「もちろんだ。……ああ、思った通りだ。よく似合っているよ、アリシア」



穏やかな笑みをたたえたまま、兄は言った。

本宮殿の中でも最も格式ある一室。金糸で織られたタペストリーに、純白のクロスがかけられた円卓。

その中央には、アリシアの好物ばかりを並べた小さな祝膳が用意されている。


本宮殿に呼ばれているとは聞いていた。けれど、ここまで格式高い部屋に通されるとは──。

そして、何よりもっと驚いたのは──



「お父様が、今夜は“家族だけで祝いたい”とおっしゃっていてね」



兄のその言葉と共に、国王である父が姿を見せたときだった。

王としての仕事が忙しいために、なかなか会うことのできない父。

だからこそ、アリシアはどんな礼をすればいいのかわからない。でも、王女ではなく、ただの娘として微笑んでくれる父に──アリシアは、小さく頭を下げた。


こうして家族三人きりでの夕食は、王妃である母がいた頃以来だと、エドワルドがぽつりと呟いた。

その声に、アリシアの胸の奥がきゅっと小さく痛んだ。



(お母様……)



決して口に出せないけれど、忘れたわけではない。

けれど、今日は“新しい始まり”でもあると、アリシア自身が思っていた。



「本日は、王女アリシア=リュミエールの十歳の祝いの日である。

王家の血を継ぐ者として、これより正式に“王女宮”を与えることとする」



静かにそう宣言した父の声が、アリシアの耳に深く染み渡る。

まるで時が止まったかのように、室内が静まり返った。

次の瞬間、椅子から勢いよく立ち上がってしまったアリシア自身の動きが、室内の空気を破った。



「……それって、今までのお部屋じゃなくて?」

「そうだ。あの場所は“かつて王妃が暮らした宮”を暫定的に使っていた。

だが、明日よりそこは──“王女アリシアの正式な居所”として改装が始まる」

「わ、わたくしが……?」



目を丸くして、自分を指さす。

父はゆっくりと頷いた。



「王女としての立場も、役割も、少しずつ求められていくだろう。

だが、それと同じように、そなたの居場所も、名前も、王家の者として然るべきものに整えられていく。

それは、今日この日からだ」

「……はいっ!」



こういう時にするべき礼として乳母から教えられたカーテシー。

ぎこちない所作ではあるが、一生懸命にする姿に父も兄も微笑ましくみつめるだけ。


──そして、始めて披露したカーテシーから頭をあげた時、その瞳はどこかきらきらと揺れていた。

王女としての自覚。責任。名誉。そして、誇り。

それらを受け止めようとするには、まだ心が追いついていない。それでも、アリシアの中には確かに“嬉しさ”があった。



(わたくし、本当に王女様になるんだ)



このドレスも、兄がくれた髪飾りも、今日のためのもの。

けれど、それらがすべて──「始まり」のしるしだったと、今ようやく理解できたのだ。



「……お父様、ありがとうございます。わたくし、精一杯がんばります」



小さな手をぎゅっと握って、正面から父に伝えた。

その一言を聞いた兄は、どこか眩しそうな視線をアリシアに向けていた。

王太子である彼にとって、妹は大切な家族であり、将来を背負う一人の王族でもある。

でも──



「……大きくなったな、アリシア」



その呟きは、兄としてのものだった。

父が静かに席を立ち、「明日からは忙しくなるぞ」と笑いながら背を向ける。

王太子もまた、その背に続いて歩き出す。


ただ一人、部屋に取り残されたアリシアは、扉の閉まる音を聞いて、そっと壁際の鏡の前へと向かった。

兄からもらった髪飾り。王家の白ユリの意匠が、金髪の横で静かに光っている。



「……ほんとうに、似合ってるかしら?」



鏡の中の自分に問いかけながら、そっと頬に触れてみた。

少しだけ熱い。

それは嬉しさのせい? それとも、これからの責任を思って?


アリシアには、まだその違いはわからなかった。

でも──



「がんばらなくっちゃ」



鏡に向かって、にっこりと笑ってみせた。

まだ10歳の、でも立派な王女の顔で。




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