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作者: 杜隯 爐

諸君は

燃えるように赫く、殺人的に繊細な今宵の三日月を見たか。



なんてことはない。

駅から自転車を漕いでいただけだ。ただそれだけ。

坂を下って開けた畑の広がる最後の径に出た時、

それは視界に映し出された。

「火事だ。」

始め、勉強の疲労で麻痺している殆ど微睡んだ私の脳は

それを火事だと認識した。

しかし次の瞬間にはそれが誤りだと悟っていた。

家事にしては、あまりに火が高すぎる。

あれは、月だ。


衝撃的だった。そしてまた暴力的でもあった。

赤くて大きい満月というのは幾度か目にしたことがあり、

その度に大したものだと傲慢にも感心していたものだが、

今宵の月はそんな普段の不遜な私に、何か生暖かい凶器を差し向けるかのように、低く、低くこちらを覗いていた。


それから180秒と経ずに家に着いたと思うのだが、なおも私の心は先ほどのあの扇情的な曲線が支配していた。

自転車をつけ家に入り、おもい荷物を玄関に叩きつけ、

家へ上がってしまうべきかどうか寸分悩み、今度は悩んだことさえも幻覚と言わんばかりに、狂ったように私は外へ出た。


家の周りを少し走り回った程度では全くそれの見える気配がなかったので、私はやけになって自転車に跨り、つい先ほどまで腹の虫を抑えるのに必死だったことなど忘れてしまったかのように必死で漕いだ。

時刻はとうに22時を過ぎた。明日も早いはずなのに、こんな一瞬のくだらない羨望のためにがむしゃらに動かす足が止まらなかった。止まってくれるはずもなかった。

私はその時、確かに交尾を待つあの熱帯夜の煩わしい蝉と何の相違もなかった。ただ私が望んだのは月だ。さっきのあの月なのだ。


もう既に沈んでしまったのか、どんなに自転車を漕いでも月は現れなかった。私が普段愛している、遠くで月を覆い隠すあの木々達を、こんなにも憎いと思ったのは今日が初めてだった。


それから私は突然糸が切れたようにとぼとぼと家に帰った、

然し乍らその時になって、ようやくある深く本質的な感動が僕に押し寄せた。あの月を見たのは僕だけなのだ。

どんなに言葉で語ろうと、あの月を、あの血よりも綺麗で土の匂いがする赤色を浮かべられるのは僕だけなのだ。

そうすると不思議と、安堵と、何一つ希望のない明日への喜びが、確かに手元にあるように見えた。


しかしそれもまたただの偽りで、そのすぐ後には、こうして必死に伝えようと言葉を紡ぐ自分自身への失望が怒涛の如く押し寄せて、私はまた死にたくなってしまった。


私は結局、地を這う一匹の尺取り虫に過ぎなかったのだ。



諸君は、燃えるように赫く、殺人的に繊細な今宵の三日月を見たか。

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