第6話
「それにしても、マキナ・アイの監視網をかいくぐるとは、犯人は只者じゃないな」
湊が低くつぶやく。
街の灯がちらほらと滲みはじめた黄昏の中、彼の瞳にはわずかな緊張が宿っていた。
『あのAIを欺くなんて、並の技術じゃ到底不可能ですよ。セキュリティ工学、ステルス技術、行動心理学……政府の内情に通じた者が関与している可能性もあります!』
「…そうだな。個人の仕業とは思えない。連携して動いてる連中がいる。真島たちが心配だが――黒瀬先輩が同行しているなら、まあ安心か」
『黒瀬先輩……あの、保安学校を主席で卒業されたっていう……!?』
「そうだ。実戦経験も豊富で優秀、相手の心理分析に長けていて、俺も勝てたことがない」
『えぇ~!? 本当に!?』
「あの人に視線を向けられた瞬間、自分の次の動きをすでに読まれているような――そんな錯覚に陥る。あんな感覚は、後にも先にも先輩だけだった」
『それは……心強いですね!』
「ああ。だからこそ、こっちが足を引っ張らないようにしないとな」
『そこはシラビにお任せください!』
威勢よく胸を張るAIに、湊はわずかに笑いながら答えた。
「じゃあ、さっそくナビを頼む。最速で行くぞ」
『了解です! ……って、そっちは道じゃないですよぉ!?』
湊のバイクが段差を乗り越えて、欄干を突き進む。渋滞に喘ぐ夕暮れの都市をものともせず、白銀のボディが走り抜けていった。
*
雑居ビルとパチンコ屋に挟まれた古びた立体駐車場の前で、湊はバイクを停めた。
すぐ横を、缶ビールを手にした男がふらつきながら通り過ぎる。
遠くの方からは、夜の繁華街のざわめきが微かに聞こえていた。
「御縁さん、ポイントK-7、現着です」
『……湊か。予定より、90秒早いな』
「工夫しました」
『なるほど。では、車を回してポイントG-3で蓮をピックアップ。そのままトーチタワーに向かってくれ』
「了解」
そういって、御縁さんはミュートになる。
湊は駐車場横の古い煙草屋の壁に貼られた、色あせた張り紙に目を留める。そこに描かれた「手」に、自分の手を重ねた。
瞬間、電子音が鳴り、古びた昇降機が唸り声を上げて稼働を始める。
やがて錆に軋む扉が開き、暗がりの奥から漆黒の塊が姿を現した。
『黒鴉……! うわあぁっ……PX-G9の初期ロットですよね!? しかもリアウィング装備!?』
「ああ。正式採用前に製造されたプロトタイプだ」
湊はそう答えながら、車の周囲を素早く一周する。
鋭い目つきで、外装の継ぎ目、底部、ホイール、排気口を確認…特に異常はなさそうだ。
『やっぱり……! 50年代の限定モデル、現存するのは300台のみって言われてるのに! しかもこのフレームナンバー、“公安予試機構”のままですね……!』
「現役で残ってるのは、国内に二台。これは第七方面の予備車両だったらしい」
湊は車体の下に身をかがめて確認する。何も仕掛けられていない。
『ここの曲線美、音速で拝ませていただきたい……。芸術だ……芸術というよりもう、これは――文化財!!!』
車体のそばに立つと、ドアが静かに開く。中には合成皮革のシートが4つ。硬派で無駄のない内装だが、隅々までメンテナンスされているのが分かる。
「いや待ってください湊さんッ、コアフレームのこの露出っぷりとか完璧すぎて……! ああ、この鋼のライン……美しさが視神経を直撃するレベルなんですが!?』
「さて――蓮を迎えに行くか」
「ああああああああ、コアフレームの露出バランスが最高……! え、なにこのライン、え?造形、神? いや、もはや崇拝対象!?」
「あ~~シラビ?」
『しかもですよ!? 首都高複線計画に完全対応済み!!
新・旧の融合とか、設計者の変態性が最高峰でして!?
もし市場に出したら、10億? いやむしろプライスレス!!』
だめだ、この子回路がオーバーヒートしちゃってる。
「シラビ!!」
ドン、と湊がフレームを拳で叩く。
『あ”あ”あ”あ”~~~ッ!!シラビの黒鴉がぁあああ!!』
いや、お前のじゃない。
突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ、湊は短く指示を飛ばす。
「バイクは帰還させておいてくれ」
『ーーーッ、了解ですゥゥ!!!』
*
蓮の回収地点は、シンバシ駅〈レベル・エーテル〉の中枢接続階──シンバシ・ミッドコアだった。
駅前は、足早に帰路へと向かうスーツ姿の人並が忙しなく公差している。
ロータリーへ滑り込むように停車した黒い車の中、湊はハンドル越しに周囲を見渡した。
ほどなくして、人の流れを割るように一人の男がまっすぐに現れた。
コートの襟を立てた長身の青年──蓮。湊たちを視認すると、表情を和らげ、軽く手を上げた。
「おいっすー湊、おつかれさん!」
「ああ、おつかれ」
蓮は身をかがめて助手席に滑り込む。
ドアが閉まるや否や、湊はアクセルを踏み込み、車を発進させた。
「目的地、トーチタワーだったな。ここからだと、ちょっと距離あるぞ」
『所要時間、予測値で15分です!』
「渋滞を考慮すると、定刻到着は難しいかもな」
湊が言うと、蓮が眉をひそめる。
「……でも、他に道はないんだろ?」
「ああ、だけど別に道の”表”を走る必要はないよな?」
湊の言葉に、蓮の眉がさらに動いた。
「『えっ、まさか……?』」
ちょうどそのとき、視界の先に現れた分岐路。
標識には、”特殊車両走行レーン”の赤いサインが瞬いている。
湊がギアをM<Magnetron>に切り替えた瞬間、車載システムが応答した。
『磁力走行に移ります』
すると、車体に微かな振動が走り、路面がゆっくりとねじれていく。
ぐるりと裏返るように風景が反転し、いつの間にか、空が足元に、地面が頭上にあった。
「うっーー座学では習ったが、はじめてだ。あ~頭に血が上っていくーーー」
二人して首元をいじり、RMS<筋肉強化装甲>の与圧を調整する。
「しっかり意識を保てよ。これですぐに着くはずだ」
「なんでお前はちょっと楽しそうなんだよ」
「血が騒ぐから」
「戦闘狂だな」
そういって、蓮は目を細めた。
『湊さんはー、狂っています!』
「おい!」
シラビの感想に、蓮は腹を抱えて笑い出した。
*
トーチタワー。
灯の名を冠すこのビル群は旧丸の内・八重洲エリアに林立する、大規模商業施設である。
3つの主要なビルが螺旋を描くようにそびえており、夕暮れ時からすでに煌々とライトアップがされていた。
内部には、美術館、映画館、リゾートホテル、、遊園地など様々な娯楽施設が収容されるほか、学校や居住区、果ては大使館や警察庁、製薬工場まであると聞く。
湊たちは、ニホンバシ行政区に入ったところで通常車線に復帰すると、首都高から降りてトーチタワーの基部までやってきた。
車の窓越しに見えるのは、人と車の混雑。無数のホログラム広告と照明の反射が路面を照らし、光の迷宮のように辺りを染めていた。
窓越しに入ってくる派手なネオンを浴びながら、湊が問う。
「シラビ、リフトは何分待ちだ?」
『6分程度です!比較的スムーズな方かと!』
「待てないな。自力でいこう」
「自力ってーーー、まさか壁を上るつもりか!?」
助手席の蓮が目を見開いてこちらを見た。
「まさか。ビルの周りに周遊道路があるだろ?それを使うだけだ」
「……だよな、はは。いや、お前なら壁登りも冗談に聞こえないからさ」
蓮が苦笑混じりに言う。
湊もふっと笑い返した。
「流石に重力には勝てない。さっきのができたのは磁気レーンがあったからだ」
「ーーそうだな。安心したよ。お前、時々物理法則を無視してるように見えるからな……」
蓮の言葉に、湊は肩をすくめる。
——そんな風に見られているのか、と少し驚いた。
湊自身はいつだって、最適な判断を選び取ってきたつもりだった。必要なら躊躇わない。恐怖という感情も、判断のノイズとして除外してきた。
迷いがなければ、あとはただ"実行するだけ"。
だが、それが外から見れば常軌を逸して見えることもあるのだろう。
「……死なない範囲でやってるんだがな」
湊がぽつりと呟くと、シラビの声が軽やかに重なった。
『その“死なない範囲”の基準が、既におかしいって話なんですよ〜湊さん!』
蓮が吹き出した。
「ほら見ろ。お前はやっぱりちょっと狂ってるんだよ」
湊は運転席で苦笑しながら、ステアリングに手を置いた。
光の塔を見上げ、アクセルを軽く踏み込む。