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第2話

「シラビ、ただいま。起きてるか」


『はいっ、シラビはいつでもバッチリ目覚めてますよー?』


 部屋のスピーカーから間延びした中性的な声が響く。どこからともなく返ってくるその声には、妙に人間離れした感覚があった。 


 リビングに向かうと、備え付けのモニターに薄く明かりが灯り、シンプルな造形の顔が映し出される。


「お風呂、入れといてくれたか?」


『もちろんバッチリです!』


 モニターの中で、シラビの顔が得意げにふくらむ。湊は軽く頷くと、洗面台へ向かった。すると背後から——


『ミナトさん、今日はマカモ湯にしてみました! 実は昨日からお湯、入れ替えてません!』


「は!? お前、何入れたんだ!? それに、入れ替えてないってどういうことだ!?」


『CMでやってたんで、取り寄せてみたんですよ〜。きっとプリミティブでオーガニックでフローラルな……ウガっ』


 モニターの横の壁に、湊の拳がぶつかる。シラビは『ピ〜〜』と奇妙な声を発しながら、画面の端まで逃げた。


 せっかくの1日の終わりを、得体の知れない入浴剤で台無しにされたくない。湊は急ぎバスルームへ向かった。


 そこにあったのは——清涼な湯。湯気に乗って、微かにラベンダーの香りが漂う。どうやら、湊が普段使っている入浴剤の匂いらしい。


『うっそぴょーん——モガっ』


 再び、壁に湊の拳骨がめり込んだ。




「はぁ……お前のその機能、誰が実装したんだ?」


 風呂上がりの湊は、淹れてもらったコーヒーを手にソファに沈み込む。だが、その顔には妙な疲労感が滲んでいた。


『誰って、シラビはずっとシラビのままなのですよ〜? いつだってミナトさんのご期待に応える、クレバーでキュートなAIですよっ!』


 ムフンと誇らしげな顔をするが、本当にそう思っているのかは疑わしい。


「さっきのは頼んでないけどな」


 湊がジト目を向けると、シラビは素知らぬ顔で口笛を吹く。


『そ、そういえばミナトさん!もうすぐ、100年前に地球を飛び立った系外宇宙探査機が帰ってくるらしいですよ!』


 話題を変えようと、ネットワークから拾ったニュースを語り出すシラビ。

 100年前──大戦前の時代か。そんな昔の探査機が、長い年月をかけて宇宙を旅し、再び故郷の地球へと戻ってくる。


『何でも、遥か彼方の宇宙を彷徨う彗星のカケラを持ち帰ったそうですよ!』


 なんともロマンのある話だ。もしかしたら、そのカケラの中に宇宙人の証拠が含まれているかもしれない。

 いや、それどころか、探査機が宇宙人に発見され、地球までついてきた……なんて可能性も?


 公安局に所属する湊たちなら、その対応を任されることになるだろう。「未知との遭遇」──そんな事態が、案外現実になるかもしれない。


 シラビの与太話のはずが、意外にも興味をそそられてしまった。


 湊は立ち上がり、空になったコップを流しへ置く。

「消灯」のハンドサインを送ると、部屋の明かりがすっと消え、代わりにカーテン越しの街灯りがぼんやりと浮かび上がった。


「シラビ、明日は午後から半休をもらうつもりだ。トレーニングもしたいし、一緒に来てもらうぞ」


『はいっ!このシラビにおまかせください!』


 汚名返上とばかりに張り切るシラビに、湊は苦笑しつつ寝室へ向かう。

 遅くまで仕事をしていたせいか、布団に入るとすぐに眠気が押し寄せ、あっという間に意識が沈んでいった。


 静かになったリビングで、シラビがぽつりと呟く。


『おやすみなさい、湊さん』


 煌々と輝く街の明かりが、カーペットに幻想的な影を落としていた。



 * * *



「おはよう。シラビ」


『おはようございます!ミナトさん!


 本日は2282年1月18日水曜日、天候は晴れ。お出かけ日和ですよ!』


 外を見やると、昨日の雪模様とは一転、陽光が向かいのビルに反射して煌めいていた。


「局から連絡は来ていないよな」


『重要なタスクはありません!東久世様から、時間のある時に寄って欲しいとのことです!』


「了解」


 おそらく、修理に出していた予備のMRS(強化筋肉スーツ)のことだろう。

 湊はここ3ヶ月、たびたび修理を依頼していた。こんなペースで持ってくるのは局内を見ても珍しいらしい。


 時に激しい機動も必要な公安局の任務。MRSとは公安局が独自に開発した筋力補助装置なのだが、先輩方は扱いがうまいのだろうか。


『ミナトさん!今日はご飯どうされますか?』


「いつも通りで」


『はーい!いつも通り和食セットでここにお取り寄せですね!」


 3割増しオーバーなシラビのウィンクを横目に、ストレッチをしていると、宅配ボックスにミールセットが届く。

 180階にある共用食堂を使ってもいいのだが、人がいると落ち着かないので専ら取り寄せをしていた。朝食はお米派だ。


 昨夜は就寝が遅かった分、眠り足りないが、日々の生活リズムは崩せない。体を使う仕事である以上、日々のルーティンを守ることが重要だと湊は考えていた。


 帝邦グループが製薬事業を分社化したとかいうニュースを聞き流しながら、おにぎりを齧る。


 眠くてもご飯を食べれば胃腸が動き出す。体のスイッチを入れるのだ。


「じゃあ行くか」


 食事を終えた湊はシラビの入れてくれた温かいお茶を飲み干し、リビングとガラス越しになっているガレージへと向かう。

 そこには愛用しているバイクがあった。


 エンジンをかけてガレージから出る。共通エレベータを通ってエントランスフロアから公道にでた。


 空は雲ひとつ無い快晴だ。融雪コンクリートで出来た道路は雪が積もることはないが、溶けた水滴がきらきらと反射して少し眩い。


「今日は空いてるな」


 通常であれば、交通局の物流システムが最適化計算で旅客や貨物輸送量の分散を図る。何も無ければ今日のように道路は混雑しない仕組みになっていた。

 何事もなく平和で、快適で何よりである。


「あー、帰りに水素ステーションに寄っとかないとな」


 見ると、燃料残量は残りわずかだった。


 水素エンジンは都市内モビリティとして主流ではないため、燃料を供給出来る場所は比較的少ない。

 水素が主に使われるのは航空機や宇宙輸送機であり、道路を行き交う車両の大半は供給が容易な電気駆動式であった。


 だが、水素エンジンの加速した時の音や振動、操作感は電動モーターには再現しえない。

 単なる移動手段としてだけではない、ドライブする楽しさがそこにはあった。


 ビルの窓に姿を映しながら、湊のバイクは疾走して行く。


 シンジュク特区に入ったところでカーブに差し掛かる。ビルを貫通したトンネルを抜けると眼前にそびえるのは、オービタル・ピナクル、この都市のランドマークであった。


 ぐっとアクセルを踏む。目的地まで一直線なのもあるが、湊が今いる第3層ーオルビスから公安局のある第1層ーアストラまで一気に勾配を駆け上る必要がある。


 ピナクル内の昇降機を使っても良いのだが、湊はこの登っていく感覚が好きだった。


 目一杯までアクセルを踏み、一気に120階ほどの高さを駆け上った。


 ツンとした感覚を耳抜きしながら、アストラ層の駐車場にバイクを停める。

 時折雷鳴のような轟音と共に振動が伝わってくるのは、直上にある宇宙港のせいだ。

 オービタル・ピナクル、通称星見台とも呼ばれる電波塔は、交通の要衝としての役割も担っている。ルーフと呼ばれる天井の上側ではひっきりなしに宇宙輸送機や航空機が発着していた。


 最初は煩いと思ったものだが、もう慣れたものだ。湊は自動歩道を使って公安局へと向かった。




 *



「おはようございます」


「おはよう。湊」


 宿直室に入ろうとすると、タブレットと睨めっこしている御縁さんが出てきた。


 御縁 誠、情報分析室所属の司令官。

 チームとして行動を行ったり、高度な戦略が必要とされる場面において、湊たち保安官を統制してくれる役割を持つ。

 各所から収集した情報を元に公安局としての立ち振る舞いを策定するスピーディかつ俯瞰的な判断が求められる仕事だ。


 それにしても、そんな彼が悩んでいるのは難事件かなにかが発生したのだろうか。怪訝そうな湊に御縁さんが気づく。


「ん?ああ、いやな。蓮が、子供が肩に登ってきて仕事にならない。学校までまっすぐ登校してくれるにはどうしたらいいかーって」


「あいつは何やってるんですか」


「小学生の交通整理」


 蓮は何をやっているんだろうか。

 自分は昨夜、体を張って事故を未然に止めたというのに。業務の格差が酷い。

 まあ、児童が安全に登校するように手助けするというのも立派な仕事なのだがーー。


「あんまり、真面目に考えなくてもいいと思います」


「そうは言ってもなあ。一応現場の保安官からかかってきた依頼なわけだし…」


 そう言う御縁さんは端末を高速でスクロールしながらどこかへ消えて行った。

 なんだか大変そうだ。そっとしておいてあげよう。



 宿直室に入ると、ちらほらと夜間明けの保安官たちの姿が見えた。

 宿直室は3階分の高さを使ったロビーのようになっており、ソファーや自動販売機などが設置されている。ちょっとしたリラクゼーションスペースのようだ。


 こんなにラフな感じで良いのだろうか、と思っていたものだが、業務が大変な分、待遇を良くしようという狙いなのかもしれない。


 何にせよ、業務中は耳装着型のデバイスを持っていれば出動に対応出来るため、何をしていても怒られたりはしなかった。


 湊も自分のロッカーに赴き、デバイスを取り出して耳につける。ARインターフェースを起動して出勤の欄にチェックをつければ業務開始だ。



「まずは源爺のところか」


 湊は彼ーー東久世 源次郎に折り合って相談したい事があった。

 公安局付きのエンジニアである彼は、湊たち保安官の装備品の維持管理を担当している。


「源爺」と呼ばれているのは親しみを込めているのと、企業のエンジニアを引退して公安局に再就職した、実際のシニアエンジニアであるということもある。


 話では、修理に出していた装備品も戻ってきているようである。湊は早速向かおうとしたのだがーー、


「あ、おはよー!湊じゃん!今日も日勤?」


 振り向くとそこには、真島の姿があった。


「ああ、午前中だけだけどな」


 真島 花梨。蓮と湊と同期であり、当初は研修なども3人で一緒に受けていた。


 明るい茶髪を肩に掛かるくらいの長さで切り揃えている。暗めのニットと黒いパンツスーツをぴしっと着こなしていた。


 手には「7法全書」。そういえば研修の時に読んでおけと言われてまだ一度も読んだことはない。宿直室にある本棚にいつもおいてあるのだが、今時珍しい紙本だからか、分厚さがわかって億劫になっていたのだ。


 湊は本から目を離す。


「そういえばこれ、湊でしょ」


 そう言って花梨は端末を取り出して画面を見せてくる。どこかのネットニュースのサイトのようだ。

 見出しはーー、


 『飛び降り心中か。首都高9号線からのダイブを激写』


 続きには道路の欄干から踏み出した直後の、黒い人影も見える。画質が悪くて性別も年齢も分からない程度なのだが…


「ネットのニュースにもなってたよ」


「俺です…」


「やっぱりね」と頷く真島。


「こんなことするの、湊ぐらいだと思ってたの」


「通行止めになってたしな。時短だ」


 悪びれない湊に真島は眉を緩める。


「湊が保安官として優れてるのは知ってるけど、あんまり無茶しないでね。同期に死人なんて出て欲しくないし」


「それは大丈夫だ。ちゃんと安全マージンをとっているし、こうしてネットでちょっと笑われてるぐらいだし」


 そんな湊に真島は画面を突きつけた。


『首都高を爆走!新型アンドロイドの実証試験か』


「気をつけます…」


 主にコンプライアンス的な意味で。


「じゃあ私は、黒瀬先輩と予定があるから」


「ああ、またな」


 そう言って真島はトレーニング室の方に向かっていく。

 真島は元々普通の高校生だったと言うのだが、どう言うわけか、この危険極まりない公安局に自ら志望して入ってきたと聞く。


 そのため、自分に保安官として足りない技術や素養を進んで学んでいるのだろう。

 その姿勢は素直に尊敬出来る。


 少しだけ7法全書を読んでみる気になった湊であった。


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