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8:綺麗な背中

 微かなざわめき、遠くで人の動く気配。心地よい微睡の中で、ぼんやりと目を開けた。


 部屋は少し離れたところにあるカーテンの隙間から差し込んだ自然の光で、ほんのりと明るい。

 ……明るい?


 がばっと身を起こす。今は何時? 寝過ごした? 朝食の支度は? 掃除は? 早くしなければ、また罰を……!


 飛び起きて、けれど全く知らない部屋にいる事に気がつく。

 ……どこ?

 真っ白になった頭で呆然としていると、ようやく少しずつ昨日の出来事が思い出されてきた。ありえない格好で出席させられた祝賀会。魔公爵の冷たく燃える赤の双眸。なぜか妻として連れ去られた先で受けた、思いがけない厚遇。


 あれは夢ではなかったのか。

 恐る恐るベッドから降りて、眠りを妨げないためかほんの少しだけ開けられたカーテンへと向かう。さっとそれを引くと、眩しい陽の光が部屋へと差し込んだ。


 太陽はすでに高くのぼり、時刻は昼をとうに過ぎた頃だと思われる。どれだけ寝過ごしたのかと、衝撃で体がふらついた。

 居候のような身で、こんな時間まで惰眠を貪っていたなんて信じられない。なんて事をしてしまったのだろう。自分のしでかした事に震えていると、ふいにドアが開いた。


 ハッとして振り返ると、驚いたように目を丸くしたマリアさんと目があった。


「お目覚めだったのですね、失礼致しました」


 優しい笑顔にも反応できずに固まったままの私に、マリアさんは穏やかに言葉を続ける。


「お夕飯まではまだ少しございますので、なにか軽めのものをご用意いたしましょうか」

「……?」

「とりあえず、お着替えの用意をさせていただきますね。少しお待ちくださいませ」


 再びドアの外に姿を消したマリアさん。カーテンを掴んだ姿勢のまま動けない私は、身支度の手伝いをしにきた使用人の皆さんが再びドアを開けるまで、そのままの姿勢で固まっていたのだった。








「こんな時間まで眠ってしまってごめんなさい」


 顔を洗ってようやくまともに頭が回り始め、支度を手伝ってくれる使用人さん達に泣きそうになりながら謝った。

 怒られるかと思ったのに、みんな優しく笑ってくれる。


「まあまあ、私達に謝られる必要などございませんよ」

「旦那様からも、なるべく寝かせるようにと言われておりました。治癒にはかけられる方も負担がございますから」


 治癒?

 着替えを手伝ってもらいながら不思議に思っていると、マリアさんが私の背中を見て嬉しそうに笑った。


「お背中、綺麗に治していただいてようございました」

「え……?」


 その言葉に、昨日私の元を訪れた魔公爵の姿が頭に浮かんだ。後で診ていただきましょうね、というマリアさんの言葉も。


 光魔術はそれに特化した家系に依頼することが多いから勘違いしていたが、あれは魔公爵に診てもらおうという意味だったのか。

 そういえば、起きてから全然痛みも違和感もない。


「……っ」


 思わず身を捻って背中を見る。いつも視界の端に見えた火傷の跡が、ない。本当に、消えた……?


 一生懸命背中を見ようとする私に、使用人さんが鏡を取ってくれた。鏡越しに見た私の背中は、まるで火傷の跡などなかったかのように真っ白で、その名残すらも見当たらない。


「……あ…………」


 叔父に引き取られて早々、心をへし折る痛みと共に、まるで家畜の烙印のように背中に残った火傷の跡。私を地獄に繋ぎ止める楔のようだったそれが、跡形もなく消えている。


 もう、痛みや違和感を感じなくていい。どうしようもない惨めさや劣等感も感じなくてよいのだ。痩せ細ってはいても、綺麗な背中。それを魔公爵は取り戻してくれた。

 救って、くれた。


「ひっ、く、」


 込み上げてくるものを抑えきれなくて、呼吸が引き攣れる。ボロボロと溢れた涙が、視界を歪ませた。

 着替えの途中だから、みんなを困らせてはいけないと思うのに。涙は後から後から流れてきて、全然止まらない。


 嬉しくて嬉しくて、そして情けなかった。

 これほどのことをしてくれた魔公爵に、私は礼すら言っていなかった。漏れ聞いた噂に怯え、最初の印象だけで恐ろしく残酷な人だと決めつけた。


 昨日の出来事が次々頭を巡る。行き場のなくなった私をここに引き取り、世話をさせ、傷を癒し、夜食を手配し、心ゆくまで休ませてくれた。その事に、私は今の今まで気が付かなかった。

 卑屈になった心が、私の目を曇らせていた。優しさに怯えと不信を返していた。その事に、ようやく気がついた。


 着替え途中で床に泣き崩れてしまった私に、誰かが優しく毛布をかけてくれる。ここの使用人さん達がこんなに優しくて穏やかなのも、きっと魔公爵の影響なのだ。それに気がついて、ますます涙が出てくる。


 君はほとほと床が好きなようだな。

 泣きじゃくりながら、昨日魔公爵が呆れた声で言ったその言葉がなぜか脳裏をよぎった。


 あの赤の瞳に、今はとても会いたかった。


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