71:変わらない温かさ
「というわけで、この2家が再び君達を煩わせる可能性は低いだろう」
エディリナ殿下お勧めのスイーツと紅茶を楽しみながら聞いた殿下のお話は、事前に聞いていたアーネスト様の予測とほぼ同じで少し気が楽になった。
あの嫌な新聞社も、きっと明日には謝罪記事を出してくるだろう。ほっとしながら紅茶を口にしていると、エディリナ殿下が楽しそうに笑った。
「それにしても、セリーナには驚かされたわ。思わず止めに入るタイミングを失ってしまったもの」
「え……」
まさかエディリナ殿下もあの場にいらしたのだろうか。全く気が付かなかった。私の疑問が顔に出ていたのか、エディリナ殿下が言葉を続ける。
「王宮前であなたを巻き込んだ騒ぎが起きていると耳にしたから、お父様達は不在だったし、私が向かったのよ。でもいざその場に着いてみれば、あなたが自分で2人をやりこめてしまったのだもの。とても感心したわ」
「お、恐れ入ります……」
せっかく落ち着いたと思ったのに、なんだか変な汗が出てきた。
エディリナ殿下の言葉に、ナイシェルト殿下も深く頷く。
「アーネストがセリーナの後ろに庇われている構図も、なかなかに衝撃だったな。だがアーネスト、君は嬉しかったのではないか? 私は嬉しかったぞ。君の選んだ人が、君のために必死になれる人で」
その言葉にチラリとナイシェルト殿下に視線を向けたアーネスト様は、澄ました顔で紅茶を口へ運んだ。
「……まぁ、否定はしない」
「ふふ、あの場を見逃したお母様は絶対に悔しがるわね」
エディリナ殿下の楽しそうな声が、柔らかく響く。やってしまった感は拭えないけれど、でもアーネスト様や殿下方が私の行動を好意的に捉えてくれているのならば、救われる思いもする。
そしてふと、あの場に現れたデュアン卿のことが思い出された。
「あの、デュアン卿は何故殿下と共にいらしたのでしょう。当主の行動を止めるためでしょうか」
そう問うと、アーネスト様とナイシェルト殿下が同時にため息を吐いた。
「私がデュアン・スプレイグと共にいたのは、彼が突然会議室の天井から降ってきたからだ」
「え?」
よく分からない言葉に戸惑っていると、ナイシェルト殿下の視線は非難がましくアーネスト様へと向いた。
それを受けて、アーネスト様が嫌そうに口を開く。
「スプレイグの後継は、従順に当主に従うフリをしながらずっと、彼を失脚させる隙を狙っていたらしい。だから昨日君と話をした後、当主にはこう報告した。『彼女は予想通り魔公爵に恐怖を抱き、故に逆らえずにいる。助けを申し入れたら、とても感謝してくれた』とね」
「それは……」
アーネスト様が現れるまで、自信に溢れていたスプレイグ当主の様子が思い出される。あれは私がアーネスト様からの罰を恐れつつも、最終的には助けを申し出た彼の手を取るだろうという確信があった故のことだったのか。
「スプレイグ当主がカエル頭を引っ張り出してきたのは、君を手にするだけでなく、新聞通り僕が不当な手段で君を連れ去ったことを強調して断罪したかったからだろう。本当に強欲なことだ。だがその強欲さを後継に利用されて、カエル頭は断罪の協力者どころか、今や口の軽い共犯者。言い逃れは難しいだろう」
「嘘を当主に信じ込ませてあの行動を起こさせるなんて、デュアン・スプレイグもなかなかやるわね」
「だが当主を焚き付けておきながら、僕にはギリギリで密告して阿ろうとするあの後継の性根が気に食わない。初めから素直に協力を仰げば、まだ良かったものを」
眉間に皺を寄せたアーネスト様に、ナイシェルト殿下が呆れたような視線を向けた。
「だからといって、急に本人を会議室に飛ばすことはないだろう。見知った顔だから良かったものの、話を聞く前に警備が捕縛するところだった。しかも結構、痛そうな音がしたぞ」
「状況報告と釈明の機会を与えてやったんだ。失敗して捕縛されたのならそれでもいい。セリーナの誘拐に加担した、相応の罰だ。まぁ命拾いをしたようで残念だったけどね」
「まったく……」
ため息を吐くナイシェルト殿下を見ながら、あの場に現れた時アーネスト様が口にした『面倒事』とは、デュアン卿とのあれこれだったのだろうと察する。
彼の策略に利用されたと思うといい気はしないけれど、でもそれが当主の支配から逃れるために必死で考えた策だとしたら、彼がこのチャンスを逃すまいと思ってしまう気持ちも理解できる気がした。
アーネスト様が計画立案者とも言える彼を当主と共に断罪しなかったのも、その気持ちを汲んであげたからなのかもしれない。殿下と共に姿を現したことで、あの場にいた多くの者は、彼が当主を止めるために現れたと予想しただろうから。
そんなことを思っていると、軽やかなエディリナ殿下の声が部屋に響いた。
「まぁ、状況は間違いなく好転したのですもの。とりあえず喜びましょう。面倒な2人をまとめて処理できて、この上ない結果だわ」
「ああ、そうだな」
ナイシェルト殿下も笑って同意する。
色々あったけれど、アーネスト様を取り巻く環境もサバスティ領のことも、揃っていい方向に向かいそうで心が軽くなった。エディリナ殿下の言葉通り、今はそれを喜ぼう。
気を取り直すと、綺麗に並べられた美味しそうな焼き菓子へと自然に目が引き寄せられる。そして夕食が入らなくなるかもと心の片隅で心配しつつ、美味しそうなそれにもう一つ、手を伸ばしてしまったのだった。
あの事件から月末まで、あっという間に時間は過ぎた。
スプレイグ家は早々に当主交代を発表し、前当主は遠隔地で隠居となった。新当主のデュアン魔侯爵からは、巻き込んだことへの謝罪と寛大な対処への礼が綴られた丁寧な手紙が届き、会議室へ飛ばされたとはいえ、本人や家への罰が最小限とされたことに感謝を覚えている様子だった。前当主の監視に人も雇ったとのことで、もう安心しても良いだろう。
そしてサバスティ伯爵家は、マリエラとエルグ・ギルソード事務官が近々婚姻の届けを出し、当主をギルソード改めサバスティとなる彼に引き継ぐ予定だ。
サバスティの名は残るけれど、エルグ事務官が当主となり全権を持つため、マリエラも気をつけねば見限られ離縁される可能性もある。領民のためにも、改心して頑張って欲しいものだ。
ちなみに叔父夫妻は諸々の権限を取り上げられ、領地の片田舎で隠居させられるらしい。もう顔を合わせることもないと思うと、心が軽くなる。
なんてことを考えている私は、夜会出席のために朝から美容パックやらマッサージやらで、マリア達のなすがまま。今は最終調整をしてもらいながら、ようやく支度も終わるかと内心ほっとしていた。
皆これほど時間とお金と労力をかけて身を整えるのであれば、似合わない粗雑な格好でポツンとしていた私が悪目立ちするのも納得だ。できれば皆の脳内からあの姿を消し去ってしまいたい。
過去を思い出してひっそり落ち込んでいると、やがて使用人達が手を止めて、ぴんとした緊張感が漂っていたその場の空気が和らいだ。
「お疲れ様でした」
「セリーナ様、とてもお美しいですよ」
「本当にお綺麗です」
口々に褒めてもらって、改めて鏡に向き直る。
朝から頑張ってくれた皆のおかげで、肌も髪も艶があり、2ヶ月前までパサパサでくたびれていた面影はどこにもなかった。1月前にはまだ見窄らしさが感じられた体型も、料理長のサポートとドレスやアクセサリーの微調整で、不健康そうには見えない。むしろほっそりとしたシルエットは、ブルーグレーのドレスにとても似合っていた。
鏡の中の私が、幸せそうに微笑んだ。
「皆さんが頑張ってくれたおかげですね。こんなに素敵にしてもらって、いくら感謝しても足りません」
ドレスもメイクもアクセサリーも、私が出かけて不在にしている間でさえ、皆が色々考えて試行錯誤してくれていたことは知っている。その成果が、今の私だった。
鏡から、私を優しい目で見つめてくれている皆へと視線を移す。不意に熱いものが胸に込み上げた。
「皆さんが温かく迎えてくれたからこそ、今の私があります。突然現れた私にずっと親切にしてくれて、支えてくれて、本当にありがとうございました。どうかこれからも、よろしくお願いしますね」
胸に溢れた思いのまま、言葉を紡ぐ。
もし私の存在に対して皆が戸惑いや迷惑を表に出していたら、私は萎縮して俯いたままだっただろう。アーネスト様の素敵さに気付かず、ここを去っていたかもしれない。
でもマリアやフリエをはじめとした使用人の皆さんは、まだ婚約者にもなっていない頃から私に尽くしてくれていた。きっとアーネスト様が命じた以上に、私に親切で優しかった。
「セリーナ様……」
潤んだ目をしたマリアに微笑んで、その手を取る。
ここに連れてこられた時、床にへたり込んだ私に差し伸べてくれた手。変わらない温かさに、胸がいっぱいになった。




